五年ぶりの友人の話。
この前の、1/28(土)のこと。
五年ぶりに再会した友人Nと飲みに行きました。
Nとは同い年でどちらも新潟出身ですが、中学も高校も違うのに友達という不思議な縁。
まあ、そこら辺の経緯はまた今度適当な頃合いを見計らって話すとして、何はともあれ飲みに行ったのです!
ちなみに最後に会ったのは5年前、お互い二十歳だった時のこと。
当時、俺は信州大学の大学生で、彼は京都の大学生になっていました。
その時はお互い大した話もせずに別れたのですが、それから五年間、俺達は一切の連絡を取っていなかったのです!
(後で分かったことですが、友人Nは携帯を何度もぶっ壊し、その度にデータが消えたり番号が変わったりしていたらしい)
そんな僕らが再会したのは、ある日彼からFacebookにメッセージが届いていたからでした。
これぞ、ソーシャルネットワーク!
Get Wild And Tough!
インターネットのIT革命やー!
そしてFacebook上で再会した僕らは、その翌日にさっそく飲みに行ったのです!!
場所は、新潟駅前の居酒屋でした。
再会した僕らでしたが、5年間一切の連絡を取っていなかったため、何から話せば良いものか…
取り敢えず近況報告をしているうちに、何しろ5年も経っているので何時間も経っていきました。
取り敢えず俺は、大学を卒業して松本で演劇をしながらフリーターしていたけど、昨年11月からは新潟で働いているという、なかなか変な5年間のことをざっくりと話しました。
一方友人Nはと言うと、大学4年生の時に卒論を提出せずに、大学を一年休学し、アメリカに留学、帰国してからは、昨年卒論を提出して卒業、その後は新潟に戻り、今は新潟でフリーター言う、彼もまた普通とは言い難い人生を送っていました。
変な人生を送っている者同士、不思議な雰囲気で会話がはずみました。
案外みんな真面目な人生送っているから、こういう変な境遇を話せる仲というのも貴重です。
そもそも俺は地元新潟にあまり友達がいないのに、こうして気兼ねせずに飲みに行ける友人が出来たことは嬉しいなあと思いました。
高校卒業までの18年間は新潟で暮らしていたと言うのに、数少ない飲みに行く友人は中学も高校も大学も違うというのは面白い話です。
ところで、俺の家と彼の家は、旧新潟市(合併する前)の西と東の正反対の場所にあります。
同じ市内でもかなり遠いので、遊びに行った事も1、2回しかありません。
そんな訳で、東新潟と西新潟ってお互いあんまり行ったことないからよく知らないよね、という話になりました。
友人Nは、お祖母さんの家が新潟市の大江山にあるのだということでした。
友人N「ばあちゃんの家が大江山にあるから、俺にとって大江山は特別な場所なんだよね」
その後、Nがアメリカ留学した話に。
Nが留学した先は、アメリカのロサンゼルスだったそうです。
もともとアメリカの、特に西海岸の音楽が好きだったNは、いつかアメリカに行くと決めていたそうです。
実はNは、留学する前に一度アメリカ旅行をしたことがあり、その時ロサンゼルスが気に入ったので留学を決めたのだということでした。
そして始まる留学生活、向こうの人達との出会い、日本から遊びに来てくれた友人、そして帰国…
その一年後、大学卒業直前に再び訪ねるほど、Nにとってロサンゼルスは大切な思い出の地になったそうなのです。
友人N「いや、本当にロスに留学できた事はすごい経験だったよ。俺にとってロスは、大江山と同じように特別な場所になったね」
大江山とロサンゼルスが一緒に並べられている!!
アメリカの大都市・ロサンゼルスと、新潟市内の一つの地域・大江山が、同じ聖地として呼ばれる日が来ようとは。
明日から大江山を、新潟のロサンゼルスと呼ぼうと思います。
次回、Nくんのロサンゼルスの思い出編。
つづく。
この前の、1/28(土)のこと。
五年ぶりに再会した友人Nと飲みに行きました。
Nとは同い年でどちらも新潟出身ですが、中学も高校も違うのに友達という不思議な縁。
まあ、そこら辺の経緯はまた今度適当な頃合いを見計らって話すとして、何はともあれ飲みに行ったのです!
ちなみに最後に会ったのは5年前、お互い二十歳だった時のこと。
当時、俺は信州大学の大学生で、彼は京都の大学生になっていました。
その時はお互い大した話もせずに別れたのですが、それから五年間、俺達は一切の連絡を取っていなかったのです!
(後で分かったことですが、友人Nは携帯を何度もぶっ壊し、その度にデータが消えたり番号が変わったりしていたらしい)
そんな僕らが再会したのは、ある日彼からFacebookにメッセージが届いていたからでした。
これぞ、ソーシャルネットワーク!
Get Wild And Tough!
インターネットのIT革命やー!
そしてFacebook上で再会した僕らは、その翌日にさっそく飲みに行ったのです!!
場所は、新潟駅前の居酒屋でした。
再会した僕らでしたが、5年間一切の連絡を取っていなかったため、何から話せば良いものか…
取り敢えず近況報告をしているうちに、何しろ5年も経っているので何時間も経っていきました。
取り敢えず俺は、大学を卒業して松本で演劇をしながらフリーターしていたけど、昨年11月からは新潟で働いているという、なかなか変な5年間のことをざっくりと話しました。
一方友人Nはと言うと、大学4年生の時に卒論を提出せずに、大学を一年休学し、アメリカに留学、帰国してからは、昨年卒論を提出して卒業、その後は新潟に戻り、今は新潟でフリーター言う、彼もまた普通とは言い難い人生を送っていました。
変な人生を送っている者同士、不思議な雰囲気で会話がはずみました。
案外みんな真面目な人生送っているから、こういう変な境遇を話せる仲というのも貴重です。
そもそも俺は地元新潟にあまり友達がいないのに、こうして気兼ねせずに飲みに行ける友人が出来たことは嬉しいなあと思いました。
高校卒業までの18年間は新潟で暮らしていたと言うのに、数少ない飲みに行く友人は中学も高校も大学も違うというのは面白い話です。
ところで、俺の家と彼の家は、旧新潟市(合併する前)の西と東の正反対の場所にあります。
同じ市内でもかなり遠いので、遊びに行った事も1、2回しかありません。
そんな訳で、東新潟と西新潟ってお互いあんまり行ったことないからよく知らないよね、という話になりました。
友人Nは、お祖母さんの家が新潟市の大江山にあるのだということでした。
友人N「ばあちゃんの家が大江山にあるから、俺にとって大江山は特別な場所なんだよね」
その後、Nがアメリカ留学した話に。
Nが留学した先は、アメリカのロサンゼルスだったそうです。
もともとアメリカの、特に西海岸の音楽が好きだったNは、いつかアメリカに行くと決めていたそうです。
実はNは、留学する前に一度アメリカ旅行をしたことがあり、その時ロサンゼルスが気に入ったので留学を決めたのだということでした。
そして始まる留学生活、向こうの人達との出会い、日本から遊びに来てくれた友人、そして帰国…
その一年後、大学卒業直前に再び訪ねるほど、Nにとってロサンゼルスは大切な思い出の地になったそうなのです。
友人N「いや、本当にロスに留学できた事はすごい経験だったよ。俺にとってロスは、大江山と同じように特別な場所になったね」
大江山とロサンゼルスが一緒に並べられている!!
アメリカの大都市・ロサンゼルスと、新潟市内の一つの地域・大江山が、同じ聖地として呼ばれる日が来ようとは。
明日から大江山を、新潟のロサンゼルスと呼ぼうと思います。
次回、Nくんのロサンゼルスの思い出編。
つづく。
大学の授業で学んだが、ロサンゼルスの場合、ロスとオレンジの二郡を合わせた人口が一般的に都市人口とされる。
しかしそのうち本来的な意味でロサンゼルス市内に住んでいる人は新潟市とそんなに変わらなかった記憶がある。(たしか、100万弱ぐらい。)
そう考えると新潟とロスって似てませんか?
詳しいな!
なるほど、実は中心部は普通の都市規模のロサンゼルスと、大合併で強引に政令指定都市になったけどぶっちゃけ旧新潟市の都市規模は何も変わらない新潟は似ているということか!
なるほど似ているかもしれない。
Nくんにはロスと新潟を股にかけるようなビッグな男になって欲しいものである。