舞い上がる。

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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

青春ロードムービー『ポンチョに夜明けの風はらませて』を観て来ました。

2018-01-29 20:50:53 | Weblog
1/25(木)に、イオンシネマ新潟西で、上映がもうすぐ終わる気になる映画を二本連続で観よう!と言うことで、『ポンチョに夜明けの風はらませて』、『女神の見えざる手』を観て来ました。





一本目に観たのは『ポンチョに夜明けの風はらませて』です。



ひとまず予告編はこんな感じです。





この映画は、早見和真さんの原作小説を、廣原暁さんの脚本・監督によって映画化したものなのですが、僕はこの映画を観るまで早見和真さんも廣原暁さんもまったく知りませんでした。
どうして観に行ったのかと言えば、予告編を観てなんとなく面白そうだと思ったからです。

どういう物語かと言うと、高校3年生のバカな男子3人組が、卒業式の数日前に車であてもなく旅に出るという青春ロードムービーです。
僕は基本的に青春映画が大好きですし、さらにロードムービーも大好きなので、青春ロードムービーというジャンルの作品はどうしても見過ごせないのです。

さらにダメな奴らが主人公の映画というものが僕は本当に何よりも大好きなので、ダメな奴らが主人公の青春ロードムービー『ポンチョに夜明けの風はらませて』、予告編を観た時点で「これは観るしかない!」と思ったのです。
ダメな男子たちの青春ロードムービーだと、昨年同じくイオンシネマ新潟西で観たドイツ映画『50年後のボクたちは』がすごく面白かったなあということが思い出されたりしたのですが、同じようなテーマの映画が日本でも作られているのなら、これもきっと面白いに違いない!と思いました。

で、実際に観た感想としては、まあ、それなりに面白かったです。
まず、主演の3人がとても魅力的ですよね。

お調子者ですぐに変なことを思い付いては他の2人を巻き込んでいく又八、3人の中で唯一大学を受験するものの不合格で落ち込むジン、優柔不断ながら行動をともにしてしまうジャンボと、3人それぞれに思わず友達になりたいと思ってしまうような魅力があったと思います。
映画の冒頭、ジンの合格発表を、お父さんの車を勝手に持ち出したジャンボと、その車を運転する又八(唯一免許を持っていたから)が見に行くものの、ジンが不合格で、俺たちどうすればいいんだよ、みたいなことを言い合いながら、近所を当てもなくなんとなくドライブしている3人を観ていたら、なんかこういうどうしようもない青春っていいなあ、自分もこんな友達が欲しいなあ、と思ってしまいました。

すると、たまたま寄ったコンビニで、駐車場の車の中でマネージャーともめて苛立っていたグラビアアイドルの愛が、ちょっとしたトラブルから暴走族に襲われてしまうところに、3人が巻き込まれてしまい(というか無駄に首を突っ込んでしまい)、愛が3人の車に助けを求めて(面白半分で)突然乗りこんできてしまったことがきっかけで、突然暴走族と逃走劇を繰り広げる羽目になります。
で、ハリウッド映画とかだったら、ここで美女をカッコよく助けて当てもなく旅に出る!みたいな流れになりそうなところですが、彼らは暴走族にこっぴどくやられて、開始早々、車がボコボコにされてしまうのです。

このように、3人は基本的に常に情けなくて、突然の非日常的な状況にもハイテンションではしゃぎまくる愛とは対照的です。
こうして、まったくカッコよくない3人と、ハイテンションな美女という不思議な4人のボロボロのロードムービーが始まります。

翌日、物凄く頭の悪い理由で(しかし本人は大真面目に考えて)ジャンボがピンサロに行き、そこで出会ったピンサロ嬢のマリアとちょっとしたトラブルが発生し、色々あってジャンボとマリアは二人で店から逃げ出すことになります。
こうして、なし崩し的に又八、ジン、ジャンボの3人に、グラビアアイドルの愛、ピンサロ嬢のマリアが加わった5人で、ボロボロの車でめちゃくちゃな旅が始まってしまう…という物語です。

という訳で、この映画はダメな男子たちが学校から逃げ出して、美女たちと繰り広げる自由奔放なドタバタギャグ旅行を繰り広げるという、完全なる男子の夢が満載な映画だなあと思います。
とは言え、さっきも書いたように主演のズッコケ3人組は完全に情けなくて無力な存在として描かれ、ネタバレを避けるために詳しくは書きませんが女子たちとも最終的にはすれ違ってしまうというあたり、決して理想ばかりを描いているわけではないシビアな一面もあるという、そのバランスは絶妙だと思いました。

徹底的に情けない男子たち(要するに俺たち!)が、情けないまま、それでも自由奔放に生きる姿は、どうしても魅力的に見えます。
少なくとも、僕が十代の時に見ていればかなり心をぐっとつかまれてしまっていたのではないかと思います。

とは言え、じゃあこの映画が自分にとって本当に最高の一本だったかと言われたら…正直、ちょっと物足りなかったし、色々と細かいディティールに関して違和感を持ってしまうよう部分もたくさんありました。
荒唐無稽な映画だからこれでいい!と言われてしまえば何も言えませんが、どうしてもエピソードの描き方がちょっと強引で、展開が無理矢理に思えてしまう部分が多かったなあと思ってしまい、すごく好きなタイプの物語なのにちょっと乗り切れない気持ちになってしまったところが残念でした。

また、こういうダメな男子たちの青春映画は、最終的に彼らが現実の壁に直面したり、ボロボロに傷つきながらも、それでも自分らしく生きていくとか、それでも希望は失わない、みたいな部分にこそ、感動が生まれるものだと僕は思っているのですが、そこの部分がちょっと弱いなあと思ってしまいました。
要するに、彼らが少しでも何か成長したりした部分が見えたらもうちょっとカッコよかったのになあ…と思ってしまいました。

ダメな若者たちがボロボロになりながらも自由を求めるような映画で僕が好きなものと比べると、『ぼくらの七日間戦争』のようなカタルシスもなければ、『十五才 学校IV』のような成長も見られなかったのは、ちょっとざんねんでしたね。
特に、先ほども書いた『50年後のボクたちは』ではちゃんと最後に現実の残酷さとその中で一抹の希望、みたいなものが描かれるのですが、そういうものが描かれていればもっといい映画になったのになあと思いました。

とは言え、実はこの映画には主演の3人の他に、もう一人の裏の主役ともいうべき中田というキャラクターが登場し、彼はもともと3人と一緒に卒業式にゲリラライブをしようとしている仲間なんですが、3人がいなくなってしまうから1人になってしまう人物です。
そんな中田が迎えるある結末があるのですが、そのシーンこそ、僕が求めていた青春映画にふさわしいクライマックスになっていたし、そこにはある種のカタルシスもあったので、基本的なストーリーには色々思う部分はあったにせよ、中田という人物がしっかり描かれていた部分はこの映画の良かったところだと思いました。(もうちょっと出番があっても良かった気もする)

あと、色々思うところはあったにせよ、エンディングで流れる忘れらんねえよの「明日とかどうでもいい」が、まさに青春パンクと呼ぶにふさわしい、びっくりするほど爽やかな名曲なので、このエンディングが流れた途端物凄く感動してしまいましたし、エンディングにこの曲が使われている時点で、結構いい映画だったんじゃないかな…なんてことも思いました。
ちなみに、「明日とかどうでもいい」は完全に映画タイアップとして作られて曲らしく、MVにもこの映画のキャラクターたちが登場しているので、この映画を観た方はこっちもおすすめです。





というわけで、何だかんだ結構面白い映画だったんじゃないかなと思います。
原作小説も読んでみたくなりました。
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