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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

東区市民劇団 座・未来「夜明け前~亀田郷 1945~」を観てきました。

2023-02-05 23:16:00 | Weblog




2/4(土)、江南区文化会館で東区市民劇団 座・未来「夜明け前~亀田郷 1945~」を観てきました。
個人的に東区市民劇団 座・未来の公演は、新潟で演劇を始めた2012年から数回を除いてほぼ毎回観ているくらい応援している劇団です。

東区市民劇団 座・未来は、毎回基本的に新潟、特に東区の歴史を題材にしていること、市民劇団ならではの幅広い世代が共演していること、そして王道の物語を直球で描いているところが好きです。
ただ今回の公演は、今までの座・未来の魅力を残しつつ、新しい挑戦も感じられました。



今回の「夜明け前」は、戦時中の新潟の亀田郷といわれる農村地域を舞台に、村人達、都会から疎開してきた子供、戦地に行った若者、新潟に滞在している兵隊、捕虜収容所脱走兵などなどが登場する群像劇です。
この群像劇というところが、本作の最大の魅力だったと思います。

というのも、歴史を学ぶとどうしても著名人の情報が中心になりがちなんですが、実際は歴史に名前も残らない多くの人達が生きて時代を作っていたわけです。
だから新潟が舞台でも例えば山本五十六とかじゃなくて、歴史に名前も残らない市井の人々の営みによって新潟・亀田郷の歴史を描く、そういう視点からの挑戦を感じる意欲作だったと思いました。

そして、歴史に名前も残らない一人一人に、私達と同じように家族や大切な人がいて、遊んだり喧嘩をしたり恋をしたり、それぞれの人生を生き、そして亡くなっていった。
そういう過去の人々のささやかな営みの果てに今の豊かな田畑があり、その想いは今もまだこの地に生きていると感じられる演劇でした。



で、ここからちょっと細かく見ていくと、まず冒頭はいきなり物語が始まるんじゃなくて、色々な登場人物が全員舞台上に大集合して、それぞれの気持ちを一人一人語っていきます。
こういう演出は今までわりと王道のエンターテインメントを得意としていた座・未来の演劇にはちょっと珍しいと思いました。

この場面は登場人物一人一人の自己紹介的な物語の導入であると同時に、よく聞くとどの台詞も誰かに呼びかけているものになっている。
それがなんていうか、同じ時代を生きた人々がお互いを想い合っていたことを感じられる場面になっていたと思います。

で、こういう台詞を中心とした演出って、演劇じゃないとできないと思うんですよ。
やっぱり映画とかだともうちょっと具体的な場面にしないと違和感があると思うので、演劇の強みを生かした演出だと思いました。



後半は具体的に物語が展開していって、群像劇だから色々あるんですが、一番メインだと思ったのは喧嘩している二つの村の村人達が野球で仲直りする場面。
太平洋戦争という歴史を背景に、村人達の喧嘩と仲直りという小さな物語を描くことで、本当は人々は争わずに分かり合えるのではないかという希望を示す。

しかも、野球は当時の敵国であるアメリカの文化であり、さらにこの村に野球をもたらしたのは捕虜収容所からの脱走兵なわけで、本当は国や文化を超えて分かり合えるはずだ、という明確な反戦のメッセージが感じられる場面でした。
しかしそういう幸せに思えた物語の終盤、登場人物の何人かは戦死していくことで、人の命や平和な生活を奪う戦争の恐怖が伝わります。



そして最後、冒頭と同じように登場人物(亡くなったキャラも含む)が全員舞台に大集合して、反戦、平和のメッセージをリレーで繋ぐように話していく。
こういう場面って、下手すると説教臭かったり偽善的に見えたりしてしまいがちですが、反戦のメッセージに至るまでの歴史的背景を演劇で描いているから説得力がありました。

特に、タイトルの「夜明け前」というのが、戦時中の過去ではなく、世界では戦争が続いている現代もまだ「夜明け前」である、という意味だったのはかなり重みを感じました。
しかもそれを幅広い世代が共演する市民劇団が演じることで、現代に生きる私達は世代を超えて助け合えるはずだと示すという、この劇団だからこそ伝わるものがある演劇でした。
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