舞い上がる。

日々を笑い、日々を愛す。
ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

ちょっとの無職ならがまん。

2022-03-24 14:42:41 | Weblog


ここ数年ずっと悩んでいることで、人間みんな何かしら不得意なことがあるし、不得意なことがあっても得意な部分を活かせば何とか生きていけるものだと思うのですが、僕の場合は不得意なことが「お金を稼ぐこと」だから本当に生きていけないわけです。
他にどれだけ能力があっても、世の中が経済で回っていて、誰もがお金を使えるという前提の上に社会が成立している以上、「お金を稼ぐ能力」だけを飛び抜けて持ってない人間にとって、この社会は物凄く生きづらいわけです。

ここ数年で昔に比べたら様々な障害やマイノリティに対する社会の理解は少しずつではあっても進んだと思っているんですが、この「お金を稼ぐ能力」だけがない人間の生きづらさって、まだ世の中に見つかっていない問題なんじゃないかと思うんですよね。
多分、こんな人間が存在しているということ自体、世の中の多くの人達は想定していないと思うんです。

他の障害と違って周りが気付きづらいということは、自分自身もそういう生きづらさに気付けないということでもあるわけです。
例えば、学生時代の勉強には特に何の支障も出ず、進学も普通に出来たのですが、就活のタイミングで「仕事のことが考えられない」という壁に当たるわけです。

でも、こんな自分でもよく分からない生きづらさ、どうしたって自分も周りも気付けないものだと思うんですよね、特に子供時代は。
世の中の多くの人がこの問題に気付いていないということは、教員の大半も気付いていないと思うし、こんな子供がいるって想像もしていないと思うんですよね。

というか、未だに「病気に見えないですよね」ってよく言われるわけなんですけど、そりゃそうなんですよ。
それ以外の能力は平均値以上あっても、ある能力だけ著しく劣っている(僕の場合は「処理」という能力)、そういう病気なんですよ、発達障害とは。

障害者の方のための障害年金や、貧困な方のための生活保護などのシステムは日本社会にはありますが(それもまだまだかなり不十分だとは思うけど)、この問題をどうこうするシステムはまだ社会にないと思うんですよね。
だから、僕はもういい年齢になったのに両親を頼る以外何もできないわけですが、これも心の中では「仕方ないこと、恥じる必要はない」と自分に言い聞かせてはいますが、どうしても世の中から「甘えだ」と言われているような気がしてしまうし、自分の中で微妙な引け目みたいなものは消えることはないような気がします。

難しい問題ですが、世の中には虐待や貧困などで両親を頼れない人、そういう状況下で精神を病んでしまった人、それでも自分の力だけで生きていかなければいけない人、などが本当の大勢いるわけで、そういう人のことを考えると、自分の悩みを軽々しく人には話せなくなってしまう自分もいます。
とはいえ、僕は虐待もされず家族にも環境にも恵まれて育ちましたが、それでも人間は病む時は病むし、先天的に生きづらさの問題はあるわけです。

でも、いじめや虐待や貧困などの後天的な分かりやすい原因がある生きづらさに比べて、先天的に持っている生きづらさって、ちょっと世の中から軽視されているよな、という実感があります。
とはいえ、いじめも虐待も貧困などが一刻も早く解決すべき重大な社会問題であることは間違いないし、それは僕も理解しているし心からそう思っているので、どうしても僕みたいな生きづらさのことはちょっと主張しづらいよな…という複雑な気持ちもあります。



経済的に物事を考えられないし、「お金を稼ぐために何かする」ことがまったく出来ないわけです。
変な話、例えば好きなことや得意なことをボランティアでやる分には普通に出来ることでも、それが「仕事」となった途端、お金が発生すると言われた途端、プレッシャーで出来なくなるんです。

とはいえ、過去にはアルバイトをしていたこともあるし、その中には好きで働いていた仕事もありました。
それはスーパーの品出しだったのですが、単純に僕は「スーパーの品出し」という仕事が好きだったんですよね。

要するに、好きなことをやる→その結果としてお金がもらえる、という仕事なら出来るわけです。
逆に、お金を稼ぐ必要がある→そのために仕事をする必要がある、という考えになった途端、何も出来なくなってしまうわけです。

それと、好きな仕事というのは自分の中でかなり条件があって、働いていて楽しい仕事というだけでなく、社会にとって必要だと自分が思えるかどうか、というのもかなり重要だったりします。
スーパーの仕事が好きな理由は、僕がスーパーを心から必要としているからというのがかなり大きいです。

でも、以前友人からパチンコ屋の仕事を紹介されたことがあったのですが、パチンコ屋なんて僕は好きじゃないし、世の中のためになっているとも思えないので、絶対に働けないと思ったわけです。
また、選挙の出口調査のバイトに申し込んだこともあったのですが、「お金のため」という理由で申し込んだはいいものの、出口調査を嫌いだし意味がないと思っている自分に気付いてしまって、仕事の当日に体が動かなくなって断ったこともありました。



そんなわけで、仕事ができないですが、これ、かなり特殊な生きづらさだと思うので、理解してくれる人が全然いないんですよね。
でも、世の中を探せばそんな人もいるのではないだろうか…

そんなことを思った僕は、今まで書いてきたような内容をいくつかのツイートにまとめ、最後に「簡単に理解してもらえるものだとは思ってないので、そうじゃない人から推測で色々言われても困るんですけど、もし、自分もそうだ!って本当にピンポイントで当てはまる人がいたらこっそり教えてほしい。」とつぶやいたのです。
すると…なんと翌日、一人の人からこっそりDMが来たではないか!!

その人のプライバシーにかかわることなので詳細は載せませんが、ちょっとだけ説明すると、仕事をすると体調を崩すが、仕事さえしなければ普通に健康らしいのです。
だから、いわゆる障害という扱いにならないので生きるのが難しい、という感じらしく、自分とまったく同じ症状とは限らないものの、似たような悩みを抱えた人はいるんだなあ、と思いました。



そもそも、僕が最近こんなことを悩むようになってしまった原因は、僕のやっているトークイベント「月刊おはなし図鑑」で、トークの内容や人付き合いなどは大切にしているのですが、集客や利益を出すなどの経済的な部分をまったく考えられないことに気付いたことでした。
これもさっき書いたことと同じで、「いい作品やイベントを作る→評価される→結果的に集客や収入に繋がる」という考え方なら出来るのですが、最初から「集客や収入」を目的に活動するのが気持ち悪いんですよね。

そのことをある人に相談してみたところ、「そうやってお金や集客のことばかり考えずに自分の活動の内容に集中できるのはいいところだから、悩むのは分かるけど自分らしく続けてほしい」みたいに言ってもらえて、ちょっとだけ救われましたね。
まあ、これは下手したら一生治らないかもしれないくらい簡単には解決しない問題だと思うので、長い時間をかけてうまく付き合っていける方法を探っていこうと思います。

で、さっきも書きましたが、同じ悩みを持っている人、もしくは身近にそういう人がいるという方、よかったら匿名でも何でもいいのでこっそり教えていただけないでしょうか。
本当に繊細な悩みなので軽々しいアドバイスとか分析とかは要らないのですが、本当に心当たりがあるという方だけ、こっそりご連絡いただけたらありがたいです。
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