元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

【常に優しき人となれ】

2021-03-22 00:19:47 | 日記
https://ryuho-okawa.org/quotes/20200711/ 

私がみなさんに、かくあってほしいと思うことは、
「常に優しき人となれ」ということです。

仕事のなかに埋没しているときにも、
家庭のなかで苦しんでいるときにも、
私はみなさんに、
この言葉を思い起こしてほしいのです。
「常に優しき人となれ」という言葉を―。

『愛の原点』 P.210より

人間にとっていちばん大切な
「愛」の教えがわかりやすく説かれた
幸福の科学の入門書。

あなたを幸福な人生へと導く
一冊となるでしょう。
目次
まえがき

第1章 愛の原点
1 愛の意味
2 愛の起源
3 愛を妨げるもの
4 善悪の超克
5 愛の原点

第2章 魂の美しい輝きのために 「愛の原点」講義
1 愛の定義
2 他者の存在
3 愛、根源の力
4 愛を妨げるものとは何か
5 善悪二元論
6 魂の輝き

第3章 祈りの本質
1 祈りとは何か
2 仏神と人間
3 高級霊の存在
4 大宇宙に遍満するエネルギー
5 祈りの方法

第4章 人生の煌めきとは何か
1 大自然に見る繁栄
2 旺盛なる生命力
3 循環の法
4 美しき人生
5 人生の煌めきとは何か

第5章 一日一生
1 初秋に思う
2 収穫の時
3 一日一生
4 悩みの分断
5 新しき生活

第6章 仏我一如
1 仏を感じるとき
2 反省の基本
3 想念帯とは何か
4 魂の歴史
5 仏我一如

第7章 新時代への序曲
1 新時代の予感
2 時代の転換点
3 新しき悟り
4 希望の鐘は鳴る
5 未来はるかなり

第8章 愛と光と優しさと
1 夢を語る
2 愛は風の如く
3 光の乱舞
4 常に優しき人となれ
5 人間の幸福とは

あとがき
コラム

愛とは何か。
その根源的な問いへの答えが一冊に。
 
「愛」──現代人にもっとも誤解されている言葉かもしれない。
本書では「愛とは、
自他一体の考え方」という愛の定義にはじまり、
「愛の意味」「愛の起源」「愛を妨げるもの」など、
人間にとって、いちばん大切な愛の教えが語られる。

「愛」の悩みは、他者の存在との関係において生じがちだ。
しかし、「人間は他者の存在なくして、進歩も向上も幸福もない」ことに気づくとき、愛の神秘に驚くにちがいない。



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菅政権が日本を没落させる3つの理由(三橋貴明)国民の貧困化は進み、婚姻率はさらに下がり、少子化に歯止めがかからず、「日本人消滅」へと一気に近づく。

2021-03-22 00:16:50 | 日記
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/page-3.html

菅内閣が発足しました。結果的に、少なくとも「短期」では日本が没落、衰退、解体の方向に向かうのは避けられないでしょう。
 理由は、三つ。

1. 緊縮財政が継続する
2. これまで以上に構造改革が進む(特に、中小企業改革)
3. 国家観なき政策が、内閣人事局を活用し、強引に推進される
 の三つでございます。

 特に「3」。

 すでに、菅総理は政策に
反対する官僚は「異動(=左遷)」すると明言しています。

菅義偉官房長官は13日のフジテレビ番組で、政府が政策を決めた後も反対する官僚は異動させる方針を示した。「私ども(政治家は)選挙で選ばれている。

何をやるという方向を決定したのに、反対するのであれば異動してもらう」と述べた。

 内閣人事局の在り方について、菅氏は見直す考えが「ない」と明言。同局は、中央省庁の幹部人事を一元的に扱い、政治主導の象徴とされる一方、官僚の忖度(そんたく)につながっているとの指摘もある。(後略)』

 2015年から本格化した「日本の食料安全保障を破壊する」農協改革・農業改革は、菅官房長官(当時)主導でした。

 「
日本の食料安全保障を破壊する」農協改革に、多くの農水官僚は反対をしていました(当たり前ですが)。

 すると、菅官房長官は農水省において、
「農業が産業化し、農水省が要らなくなることが理想だ」
 と、頭のおかしいことを言っていた小さな政府主義者(要は新自由主義者)、傍流の「奥原正明」を強引に事務次官に据えたのです。

 農水省というか「国家の関与」を無くし、農業を「市場」に任せ、いかにして「食料安全保障」を守るというのでしょうか。

モンサント(現バイエル)のようなメジャー企業が、日本人の生命の根幹を握ることになるに決まっています。食料安全保障が、完全に「独占的ビジネス化」する。

 というわけで、奥原は農水省では出世コースから外れ、2015年に同期の本川一善氏が事務次官に就任。慣例に従えば、奥原は退官するはずでした。

 ところが、そこに内閣人事局の権力を振りかざし、菅官房長官が介入。

本川氏は一年も絶たずに退任させられ、後任に奥原が就任。
しかも、普通は一年任期のはずの事務次官を、奥原は二年も務め、日本の農業破壊に多大なる貢献を果たしたのです。

 農水省内で、奥原に逆らった農水官僚たちが左遷されていったのは言うまでもありません。
 
さらに、総務省の「ふるさと納税」。

 多くの日本国民が理解していないように思えますが、ふるさと納税は「
緊縮財政」の一環です。

緊縮財政により、日本政府は地方交付税交付金を減らし続け、地方行政が財政難に陥った。

それを受け、ふるさと納税の制度が創設され、
「政府はもはや地方自治体の面倒は見ない。ふるさと納税で、地方自治体は国民の税金を奪い合え」
 という残酷な政策なのです。

 まさに、地方財政に「自由競争」の原理を導入したわけですが、結果的に、「元々、強い自治体は高額返礼品でより多額の税金を獲得し、弱い自治体は税金を十分に確保できない」事態に陥るのは当然です。地方自治体間の、格差拡大ですね。

 さらに、自治体間の返礼品競争が激化することは、制度発足時から誰にでも予想がつきました(実際に、激化しました)。

その上、そもそもふるさと納税は、税制の「受益者負担の原則」にも反しています。

 というわけで、地方自治を担当する総務省では、
ほぼ全ての官僚がふるさと納税の拡充に反対しました。
 
 ところが、2014年、総務省で自治税務局長を務めていた平嶋彰英氏が、菅官房長官に対し直接、制度上の問題点を指摘したところ、翌年7月に自治大学に異動になってしまったのです。

元々、平嶋氏は総務省の事務次官候補でしたが、省外に追い出されてしまった。
菅官房長官に意見を上申すると、それがどれだけ正しくても、報復人事を受ける。霞が関の官僚たちは、震え上がります。

 さて、上記のような実績を誇り、さらには、
「日本国民を分断する、アイヌ新法」を、「先住民族に興味を持ってもらい、そのことを発信する。国際親善、国際観光に大きな役割を果たせる(菅官房長官)」
 というノリで推進した。

 国家観がなく、国家の官僚制度に対する理解もなく、ナショナリズムを破壊する政策を「
インバウンド」とやらのために平気で推進する(推進した)人物が、我が国の内閣総理大臣に就任したです。

経済ですが、竹中平蔵氏やデービッド・アトキンソン氏等「国際金融資本の代理人」たちが「ブレーン」となり、「緊縮財政」「構造改革」「国家観欠如の政策」が猛烈な勢いで進むことになるでしょう


TBS系の番組「報道1930」が取り上げた発言で、アトキンソン氏は日本の経済政策について、「日本のために中小企業は半分消えていい」「中小企業の合併が一番望ましい、どんどん合併して無駄を省き、余裕を持つことで賃金を上げることが出来る」などとコメント。

日本の中小企業を統合再編することで無駄を減らすことが出来ると繰り返し、約357万社の中小企業を160万社程度に削減するべきだと発言していました。


菅首相も先日の記者会見で
中小企業基本法の見直しに言及しており、アトキンソン氏と同じような方向性の発言をしています。

いわゆる中小企業の削減統合案で、
中小企業を強引に統合再編させることで日本経済を改善することが出来るとする内容です。


アトキンソン氏と菅首相は長年の交流があり、菅首相の経済政策は彼の影響が大きいと言われています。

本当に日本の中小企業を半分に減らしてしまったら、それだけ大量の雇用や技術などが失われてしまう可能性が高く、中小企業のモノ作りが支えていた日本経済全体が大きく崩れることになるでしょう。

 具体的には、コロナ恐慌による潜在成長率の「ゼロ化」というショックを利用した「ショック・ドクトリン」が始まるのは、これはもう確実です。

 特に、アトキンソン氏が提唱する
「中小企業改革」は、日本経済の屋台骨を最終的にへし折ることになると予想します(だからこそ、止めなければならないのですが)。
 
 間もなく、「中小企業は中小企業基本法に保護され、甘やかされている! 最低賃金を引き上げ、体力がない中小企業は潰すべきだ。新陳代謝が必要だ」といった古臭いレトリックが、マスコミで繰り返されることになります。

 コロナ禍で業績が悪化した中小企業も、自己責任。投資をせず、生産性を高めず、
労働者に十分な給与を払えない企業など、潰して再編成だ!という、残酷な構造改革の幕が上がるのです。
 
 日本のすそ野が広い産業基盤、オンリーワン企業など、特色のある膨大な中小企業という「日本経済の宝」こそが、最後の「既得権益」なのでございます(代理人たちにとっては)。

 そして、日本の
「中小企業が多い」経済構造が壊されると、地方の雇用に担い手がいなくなり、地域共同体は壊され、東京一極集中がさらに加速します。

当然ながら、国民の貧困化は進み、婚姻率はさらに下がり、少子化に歯止めがかからず、「日本人消滅」へと一気に近づくことになるでしょう。

何とかしなきゃね。
 
とりあえず、支持率を引き下げるのです。そのためには、本エントリーに書かれたような「事実」を国民が知らなければなりません。
皆様、「事実」の拡散にご協力ください。
 この政権を長続きさせてはなりません

動画です。

『第2次安倍政権は1人当たりの名目GDPを「約10000ドル」激減させた動かぬ証拠』菅総理は安倍政権を継承するという。貧困化は続く。




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【ゴールデンルール「自分がしてほしいように、他の人になせ」の由来】大川隆法

2021-03-22 00:16:34 | 日記

天国・地獄は外の世界にだけあるわけではなく、

自分の心の内にもあるのだ。心はいかようにも動き

心の針は三百六十度、どの方向にも動いて、

霊界の、どの世界にも通じていくのだ。

また、生きている人間として持っている、

その心の針が、他の人とも影響し合っているのだ」ということを知る必要があるのです。


そういう宇宙観を知ったときに、

人は、自分を愛するがごとく他を愛さざるをえなくなります。

いわゆるゴールデンルール、

「自分がしてほしいように、他の人になせ」

という黄金律は、ここから導き出されてくるのです。

大悟の法 P.204より


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【自助努力のそばに救いはある】

2021-03-22 00:16:11 | 日記
https://ryuho-okawa.org/quotes/20200703/ 

人間が自助努力をしているとき、
同時に、
それを超えた大いなる他力もまた救いの手を差し伸べているのです。

大きな慈悲がいつも臨んでいることを忘れずに、
その慈悲と手を結ぶような自助努力をしていくことが大切です。

このような世界観を持つべきだと思います

『奇跡の法』 P.215より
あなたの人生を、
好転させる方法がある。

なぜ、日本人は潜在的に繁栄を恐れるのか。
その原因を霊的真実や歴史から読み解き、
個人の救済から国家の新生、
そして人類再生の奇跡へと導く。
あなたの、そして日本と世界の運命は、
この一冊によって変えることができる。


○運命を逆転させる心の法則
○先の大戦を霊的視点から振り返る
○未来社会における宗教のあり方とは
○21世紀の人類に必要な心構え etc.

目次
まえがき

第1章 運命を逆転させる法――考え方には人生を変える力がある
1 不幸を呼び寄せないために
人間は悪いことを信じやすい
人々の想念波が及ぼす影響
考え方のパターンを変えていく
自分をよく知っているのは自分自身

2 人生は一冊の問題集

3 悩みには理性的な対応を

4 問題を細分化せよ
量的、時間的に分割する
「雪下ろし」のように

5 優先順位をつけよ
人生の問題にはさまざまな要素がある
悩みを書き出して分類する
重要なものから「ピンポイント攻撃」を

6 捨ててこそ道は開ける
「何を捨てるか」という決断
捨てた分だけ苦しみが軽くなる

7 肯定的な自己像を描け
人間は自分の考えているとおりのものになる
未来の幸・不幸を決める心の種子


第2章 繁栄への道――過去の教訓を未来に生かす歴史観
1 日本人の深層心理にあるもの
アメリカを超ることへの恐れ
戦争に関する根深い罪悪感

2 明治以降の日本の歩み
開国後の日本人の努力
日清戦争と台湾の植民地化
日露戦争は世界史のターニングポイント
伊藤博文の暗殺と韓国併合
反日感情の背景にあるもの
先の戦争をどう観るか

3 第二次世界大戦の霊的側面
日本の神々の戦争責任
日本の敗戦がもたらしたもの

4 軍事的、宗教的に観た日本の敗因
日本とドイツの軍事思想の欠陥
教えのない宗教は世界宗教になれない

5 民族神と地上界の関係

6 第二次世界大戦が遺した大きなツケ
東欧と中国の社会主義化
唯物論思想と暴力革命思想

7 世界が向かうべき方向とは
地球的価値観をつくる
個人と全体の幸福を同時に実現する
自由主義的で民主主義的な政治


第3章 宗教の新しい風――未来社会をリードする宗教の条件
1 少子化、高齢社会を考える
新しい家族観が必要な時代
西洋化した文明の二つの選択
人口が急増する国家の危険性

2 宗教と政治
「仏法は王法を超える」の真意
中道思想から遠い日蓮主義
奉仕に生きた忍性を攻撃した日蓮
宗教の逆説
宗教と政治の違い
『水滸伝』に見る政治戦略
宗教は権力ではなく権威を求める姿勢を

3 宗教と経済、宗教と科学技術
経済原理の変化に対する寛容性
科学技術の許容と譲れない一線

4 宗教界に新しい風を


第4章 未来への創造――正しい価値観が繁栄を創る
1 二十一世紀以降のビジョン

2 真の教育とは何か
国家百年の計と教育理念
日本特有の精神風土
個人の熱意や努力に光を当てる
学問の有用性
優しすぎる体制は国家の衰退を招く
「パイの取り合い型」思考の誤り
幸福への道は無限にある

3 霊界と悟り
教育の本質は真理の探究
霊界とこの世の関係
教育の基礎に真実の霊界観を
日本的宗教観の問題点

4 信仰と成功
信仰は努力の放棄ではない
高等宗教を実学のバックボーンに
自助努力のなかに大いなる他力が臨む

5 未来の創り方
新文明は新しい宗教から生まれる
この世に正しい価値秩序を


第5章 サクセス・マインド――真実の成功と繁栄のなかを突き進むために
1 真実の世界認識とは
2 人生をよりよく生きるために
3 最高の自己を差し出す
4 人類に必要な心構え

あとがき
コラム

すべての人の手に、幸福と成功を。
 
希望実現の本は多いが、真なる宗教の教義として、
その核心部分が説かれたことは、
まさに「希望の福音」の何ものでもない。

序章の「希望について」では、その希望の正当性を問い、
人間心を離れた見地から、
希望と違った結果のほうがよい場合もあると説く。

「祈りにおいて、聖なる自己実現をめざしなさい。
正しい祈りは必ず聴かれるでしょう」──という言葉に救われる。
暗い世相のいま、一人でも多くの人に本書を贈りたい。
大川隆法総裁 サンパウロ講演会「真実への目覚め」より


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夫の死の悲しみを乗り越えて「あなた、天国でまた会いましょう」(体験談)

2021-03-22 00:15:44 | 日記

http://voicee.jp/201406019552

夫の死の悲しみを乗り越えて

「あなたが天国に旅立ってから、もうずいぶん経ちましたね。私も2人の息子たちも元気にすごしています。あなたも天国で、幸せに暮らしていますか?」

私は今、こうして笑顔で、天国にいる夫のことを想うことができます。

最愛の人を失い、一時は何も手につかなくなった私が、どのようにして悲しみを乗り越えていけたのかを、お話させていただきたいと思います。

余命宣告

「残念ながらご主人は、肺ガンの末期の状態です」

脇の下の腫(はれ)に気づき、念のために受けた検査。夫も同席するなかでの医師の告知に、私は愕然としました。

(何かの間違いに決まってる。毎年、人間ドックだって受けてるんだから!)

医師の説明では、ちょうど肋骨の陰に病巣があり、健康診断では見落とされていたということでした。さらに、リンパ節に転移したため、短期間で脳にまで遠隔転移。「運が悪かった」と言われました。

夫のいないところでは、「余命3カ月から半年」とも――。

まだ42歳の働き盛り。長男は中学受験を控え、次男は小学3年生です。

(どうしてなの? 私たち、何も悪いことはしてないのに。どうしてパパなの?)

頭の中が真っ白になりました。

押し寄せる後悔

夫のYとは、お見合い結婚でした。

「親孝行で優しそうな人だな……」。彼の誠実な人柄に惹かれました。お見合いの2カ月後には結納を交わし、翌年結婚。2人の男の子にも恵まれ、絵に描いたような幸せな結婚生活を送っていました。

それが一転、結婚13年目にして、突如苦しみのどん底に突き落とされたのです。

確かに、夫には喫煙の習慣がありましたし、発病した頃は仕事でもかなり無理を重ねていたようでした。自動車メーカーの輸出担当で海外出張も多い上、不況による人手不足で、帰宅が深夜1時、2時になることも珍しくなかったのです。

正直、「こんなになるまで、働く必要はあったの?」と会社を恨みました。

しかし何よりも、妻である自分を責めました。「毎日顔を見ていたのに、どうしてもっと早く異変に気づいてあげられなかったんだろう……」。悔やんでも悔やみ切れませんでした。

しのび寄る死の影

「絶対に治す方法があるはずだ」。私は連日、「ガン」と名の付く本を読みあさり、民間療法や健康食品も調べ尽くしました。しかし、必死の努力も空しく、病状は日に日に悪化。食欲も落ち、リンパ節が腫れて左腕が不自由になり、かつての元気な姿は見る影もなくなっていきました。

人前では決して不平や不満を口にしなかった夫が、ある時つぶやいた言葉が忘れられません。私に支えられながら病室を移動していた時、ふと鏡に映った自分の姿を見て一言、「みじめな自分……」と。

働き盛りで一線を退かなくてはならない悔しさ。幼い子供たちを遺していく不安。どれほど無念であったことでしょう。明らかに「死」に向かっている夫を前に、私はかける言葉を失っていきました。

一条の光

そんな、八方ふさがりの時です。母の友人で幸福の科学会員のTさんが、私たちの状況を聞き、金沢から『太陽の法』という幸福の科学の書籍を送ってくださったのです。

何か夫を励ます言葉が見つかるかもしれないと思い、読み始めました。

「人間は、はるかむかしから、永遠の生命をもって生きております」

「人間は、心です。魂です。ですから、死んであの世にもって還れるものは、あなたがた自身の心以外にはないのです」(『太陽の法』より)

(永遠の生命? あの世? もしあの世があるとしたら、万が一、パパが亡くなっても、あの世でまた会えるってこと?)

すぐに確信は持てなかったものの、「死は永遠の別れではない」と思うと、絶望していた心が少し和らぎました。

Tさんにお礼の電話をすると、とても優しくお話ししてくださいました。「仏はいつも見守ってくださっているからね。つらいときほど、側で支えてくださっているからね」。その言葉に、どんなに勇気づけられたことでしょう。

この執着がパパを苦しめているの?

ガンの告知を受けてから1年ほど経ったある秋の日、病院へ向かう電車の中で、1枚の広告が目に留まりました。映画「太陽の法」の広告でした。

「これTさんが言ってた映画だ。観てみたいな。でも、病院に通わないといけないし、無理よね……」

そう思った2日後、自宅に1通の手紙が届きました。夫の元同僚の方からで、開けると、なんと映画「太陽の法」のチケットが2枚入っていたのです。

これも何かのご縁と思い、次男を連れて観に行きました。

人類の歴史を描いた壮大なストーリーに、はじめから引き込まれました。なかでも、お釈迦様が悟りを開くシーンは、今でもはっきりと心に焼きついています。

「家族を思う人間的な心であったとしても、それが執着となれば苦しみの原因となる。なにものにも執われず、小川の水のようにさらさらと流れていく境地に入っていくことだ……」(映画「太陽の法」より)

まるで自分のことを言われているようでした。(「一日でも長く生きてほしい」という思い、これは私の執着なのかもしれない。この執着が、私だけでなく、パパも苦しめているのかな……)。涙をこらえることができませんでした。

その後も、「もっと生きてほしい」という思いはなくなりませんでしたが、同時に、 「どうか夫の魂を救ってください」と願う気持ちが大きくなっていきました。

同じ境遇の友

幸福の科学に救いがあると感じた私は、Tさんの紹介で、東京の支部を訪ねました。支部長さんとスタッフの女性が、親身になって話を聞いてくださり、病気平癒のお祈りをしてくださいました。

そして帰り際に、「せっかくなので何かお土産を」と、小冊子の「ザ・伝道」をくださったのです。

家に帰って読んでみると、Mさんという方の手記が載っていました。

(Mさんて、あのMさん? 幸福の科学の会員だったんだ)

Mさんは、一緒にPTAの役員をしたこともあるご近所さんです。Mさんも、3人のお子さんを抱えてご主人をガンで亡くされていたのですが、信仰によってその悲しみを乗り越えた体験が紹介されていたのです。

「こんな近くに同じ境遇の知り合いがいたなんて」と、深いご縁を感じました。

ついにその時が

私が希望を取り戻していく様子を見て、夫も幸福の科学の書籍を読み始めました。『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』『仏陀再誕』。筋力が落ちて、本が持てなくなると、御法話のCDを聴きました。

「あの世はある」と信じることだけが、私たち夫婦の唯一の救いだったのです。

その年の12月、自宅で療養していた時、夫がふと言いました。

「ママ、あの世で会おうね」

夫は自分の死期が近いことを悟っていたのでしょう。その2日後に、容態が急変――。

そして、年が明けた1月2日、家族が見守るなか、夫は安らかに息を引き取ったのです。舅が「人に自慢したくなるくらい、きれいな顔だ」と言うほど、美しい死に顔でした。

安らかに旅立ったことはせめてもの救いでしたが、いざ現実に夫の死に直面すると、生身を引き裂かれる思いでした。

「パパ、息して。息してよ!」。私はベッドのかたわらに泣き崩れました。

葬儀の間も泣き通しでしたが、火葬され、炉から出てきた遺骨を見た瞬間、「ああ、これでもう元に戻れない!」と。涙があふれて止まりません。私の足元には、小さな水たまりができました。

1人じゃないからね

やがて、冬休みも終わり、子供たちは学校へ、手伝いに来ていた両親も金沢へと帰っていきました。日中、家に1人になった私は、「これで思い切り泣ける」と、「わーっ」と声を上げて泣きました。

と、その瞬間、背中から、「ママ、ママ」と呼ぶ声がしたのです。(えっ?)と思ってふり返っても誰もいません。

(今のは確かにパパの声だ。心配して側にきてくれたんだ……)

四十九日が過ぎるまでは、故人の魂はこの世に留まるといいます。

「私がいつまでも泣いていたら、パパは安心してあの世に旅立てないかもしれない。パパのためにも、子供たちのためにも、がんばらなくちゃ」。自分で自分を励ましました。

しばらくして、「ザ・伝道」に載っていたMさんから、電話がありました。 葬儀にも参列してくださったMさんは、私の様子を心配して、支部に誘ってくださったのです。「幸福の科学の教えと、Tさんたちの優しさに救われた」と実感していた私は、その時、入会しました。

支部の皆さんはとても温かく、とくにMさんは、「1人じゃないからね。私は100%あなたの味方だからね」と、いつも側で支えてくださいました。

夫の愛に気づいて

多くの人の愛に支えられ、生きる力を取り戻していった私は、3カ月後には仕事を始めることができました。ありがたいことに、夫の上司が私たち家族の生活を案じ、同じ会社の事務の仕事を紹介してくださったのです。

15年間専業主婦だった自分が正社員になれるとは、夢にも思いませんでした。一時は恨んだ会社に、実はずっと支えられていたのだと気づかされました。

また、実際に不況下の中堅男性の仕事ぶりを目の当たりにして、夫がいかに厳しい環境で働いていたのかを知りました。

常に120%を求められ、上司から厳しく叱責される。体調が悪くても無理を重ねてしまう。家族のために身を粉にして働いてくれていた夫の愛に気づき、深い感謝と尊敬の思いが湧いてきたのです。

奇跡が起きた日

夫への感謝を形に表したいと思った私は、その年の9月、支部で夫の「永代供養(えいたいくよう)」を申し込みました。そして同月、幸福の科学の総本山・正心館(栃木県宇都宮市)で「総本山・先祖供養大祭」に参加したのです。

今思えば、それが私の人生のターニング・ポイントだったと思います。

正心館に到着して礼拝堂に入ると、運良く前の方に1、2席空席がありました。席に案内されて間もなく、突然、「本日は、大川隆法総裁先生より御法話を賜ります」と、アナウンスが流れました。私は、仏の説法を直接拝聴するという奇跡の機会に巡り会えたのです。

総裁先生が御登壇されると、一瞬にして、礼拝堂全体がなんともいえない清かな空気に包まれました。(悟りたる方というのは、こんなにも清らかで尊いものなんだ……)。初めて拝見する総裁先生は、とても神々しく光り輝いていました。

御法話は、死後の導きのお話でした。

「あの世に還って初めて、生き通しの魂があるということを知った人は、ほんとうにびっくりします」「だから、できれば生きているうちに、知っていただきたいのです。何かこの世で縁を持っていただきたいのです。教えが書かれている本を一回読んだことがある、それだけでも悟りのよすがなのです」(法話「『総本山・先祖供養経』講義」より)

仏の慈悲深さに、私はただただ号泣しました。

「パパの魂も仏が救ってくださる……」。夫も隣で、仏と出会えたことを一緒に喜んでいるような気がしてなりませんでした。「パパのことは、もう仏にお任せしよう……」。

苦しみを通して得た魂の宝

それから1年経ち、2年経ち、「永遠の生命」の確信が深まるほどに、私の心の傷は癒されていきました。

夫との死別は、本当につらく苦しい体験でしたが、この経験を通して、私はたくさんの魂の宝を得ることができました。

他の人の悲しみや苦しみ、とくに愛する人を失うつらさは、実際に経験しなければ、本当の意味で理解することはできなかったでしょう。

また、私を支えてくださる多くの人の優しさにも、気づくことができました。そして、自分もまた、大切な人たちの力になりたいと思えるようになったのです。

あなたに会えてよかった

ある時、自分の人生をふり返っていて思いました。

「私は夫を亡くしたけど、TさんやMさんをはじめ、支えてくれる人がいる。子供たちもいる。両親もいる。健康で、仕事もある。私に欠けているものを数えたら片手で十分だけど、与えられているものを数えたら、両手両足を使っても足りない。私は本当に幸せ者だ」と。

夫と過ごした日々をふり返って、私は今、心から言うことができるのです。

「あなたと結婚できて、私は本当に幸せでした。私があの世に還ったとき、笑顔で再会できるように、あなたから合格点をいただけるように、私は残された人生を精一杯生きていきます。あなた、本当にありがとう。天国でまた会いましょう」


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「生き方は選べる」不平不満を言いつつ生きていくのか、それとも・・・・・・

2021-03-22 00:14:49 | 日記

あなたの現在の価値は、

あなたがこれから何をなさんと欲しているかにかかっているのです。


ゼロから人生をスタートし、多くの人々から面倒を見てもらいながら、

それでもまだ、自分の与えられた環境に不平不満を言いつつ生きていくのか。


それとも、感謝ということを胸に秘めて、報恩という行為でもって社会に

還元していくのか。

いったいどちらを選ぶかです。

 

『幸福の原点』P.24※幸福の科学出版



http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=143&utm_source=wordsJpn&utm_medium=email

※Amazon
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4876883602/hsmail-22


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【成功のために大切なもの】

2021-03-22 00:14:35 | 日記

人間の成功のためには、
学校の成績よりも大切なものがたくさんある。

それは、誠実さであったり、熱意であったり、正義感であったり、
挫折から立ち上がってくる力であったり、
常に新しいものに関心を持ち続けていくことであったりする。

『人生に勝つための方程式』 あとがきより

その悩みを。その苦しみを。
ほんとうの幸せに変える方法。

これから成功をめざすキミへ。
人生の壁を乗りこえたいあなたへ。
そして、複雑な現代に生きる女性へ。
人生の価値観が一変する一冊!

個人の自己実現からチームでの成功、
そして晩年の幸福ライフまで――
人生に勝利する法則を多角的に解説。

▽どんな境遇からも勝利をつかむ考え方
▽自分の才能を早い段階で見抜くには
▽逆境に強いメンタリティーをつくるコツ
▽負け癖がついてしまった人への処方箋
▽人生を後半戦で逆転させる方法
▽「家庭も仕事もどっちつかず」で悩む女性へ

目次
まえがき
序論 「人生に勝つための方程式」はあるのか
第一部 人生の「見取り図」と「勝ち筋」を知る
  Q1 どうなれば「人生に勝利した」と言えるのか
  Q2 人生における「年齢相応の勝ち方」とは
  Q3 人生のこれからの「勝ち筋」をどう見抜くか
第二部 どんな環境からも「勝利」をつかむための考え方
  Q4 「失敗の恐怖」を乗り越えるためのアドバイス
  Q5 正しき者が強くあるための心構え
  Q6 家庭を持つ女性にとっての「人生の勝利」とは
あとがき



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【失敗した時にまずすること】大川隆法

2021-03-22 00:14:13 | 日記

https://ryuho-okawa.org/quotes/20181222/

まずは、「自分自身の考えの持ち方に何か問題はないか」

「自分が変えられることはないか」

「自分自身で意見を言えることはないか」ということを考えてみるのです。


そして、自分の動きや考え方によって、間違いがあったり、

周りが共同幻想を抱いていたりするようであれば、

直していけるところは直していかなくてはならないのではないかと思います。

自分の内を見直すことから始め、

だんだん、外に向かって意見を発信したり行動したりすることも、当然出てくるわけです。

『人に嫌われる法則』 P.21よ

幸福の科学 公式サイト https://happy-science.jp/whats-happy-science/


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【勇気を持った人間になっていくことが非常に大事】大川隆法

2021-03-22 00:13:59 | 日記

「世の中の人々の苦しみや悲しみを感じ取る心」を持つと同時に、

自らもまた努力し、いろいろな苦しみのなかから道を拓いていけるような、

そういう勇気を持った人間になっていくことが非常に大事だと私は思っています。


『教育の使命』 P.60より


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【試練の時に必要なこと】

2021-03-22 00:12:30 | 日記
https://ryuho-okawa.org/quotes/20200720/ 

悩みの渦中にある人、悪霊の虜になっている人は、たいてい、
しゃがみ込んで、太陽に背を向け、
自分の小さな影ばかり見つめているのです。

それでは、いつまでたっても光は見えません。
すっくと立ち上がり、太陽に向かって大きく背伸びをすることです。
これが「仏への愛」ということなのです。

どのような試練が来ても、
そこから教訓を学んでいく姿勢さえ忘れなければ、
人間は立派になっていくしかないのです。

『アイム・ファイン』 P.62より

悩みスッキリ!
その悩みを、人生の強みに変える一冊。
ストレス社会の人間関係や、
自分の欠点に悩んでいませんか?

あなたの悩みが幸福の種(たね)に変わります。
いつだって「アイム・ファイン(私、元気です)」と
ニッコリ笑える秘訣が、ここにあります。

○考え方は非常に強い力を生む
○完璧主義よりも80%主義で生き抜く
○転げるたびに大きくなる「雪ダルマ型人生観」
○「敵か味方か」、そこから間違いが始まる
○スランプ克服の特効薬は他人を喜ばせること
○成功する人の「上司と部下の接し方」とは

目次
まえがき
STEP1 もっとシンプルに、もっとさわやかに
STEP2 失敗しても、自分を嫌うな
STEP3 崩れない自信は、どうすれば持てるのか?
STEP4 打たれ強いタフな人に
STEP5 「人を惹きつける人」が大切にしていること
STEP6 前に進む勇気を
STEP7 自分を変えて輝く人、流されて生きる人
「アイム・ファイン」な人になるための言葉
あとがき
コラム

やさしい言葉で書かれた人生の成功論。
 
日本中がどんより。みんな機嫌が悪い感じ。

そんな時代だからこそ、
本書は「単純に明るく生きることが出発点である」と教えてくれる。

いつも「私、元気です」と言うことが、じつは意外と難しい。
落ち込んでいたり、
体の調子が悪かったり……
ひとつでも不調なことがあれば、なかなか「ファイン」とはいかないもの。
毎日読めば、心スッキリ。自分が変われば、
人間関係も大いに改善されるはず。




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宗教団体はピラミッドの組織を作り、奴隷となった最下層の会員から莫大なお金を搾取し、やがて腐敗する。

2021-03-22 00:09:40 | 日記
経験上、宗教団体はお金を寄付すればするほど、天国の高い世界に行けると洗脳している。
その為に、貯金から1千万円を何度も払い、寄付して、その後に貧困になり、マンションを売り、公営住宅に移った会員を数人を知っている。

ピラミッドの組織を作り、奴隷となった最下層の会員から莫大なお金を搾取している。

これら宗教団体は、ピラミッドの組織構造により、努力せずに莫大なお金が入るシステムを構築する。

すると、内部の職員達は教えを広げずに努力もしなくなり、宗教団体なのに、事務や組織をまとめることが仕事になり、腐敗する。

イタリアのバチカンでさえ、いろいろなスキャンダルが聞こえてくる。

やはり、最初はどんな素晴らしい宗教団体でも、何も努力をしなくても莫大なお金がどんどん入ってくれば、どんな心がきれいだった人間でも堕落し、その宗教団体は腐敗し、悪魔に支配される。


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ディープステート(ロスチャイルドをはじめとする国際金融資本家達:悪魔崇拝者)に汚染された世界

2021-03-22 00:09:23 | 日記


11月の大統領選挙が迫るこの時期
アメリカでは毎回、落ち着かなくなる....

今年に入り、新型コロナウイルスがパンデミックとなり
未だにアメリカではウイルスが各地に移動していて
収束してはまた違う地域で感染者が増え
完全なる終息は先が見えない。


5月25日のジョージフロイド事件。
暴動、抗議デモがアメリカ全土、
そして世界にもBlack Lives Matter運動が広がり
黒人差別、警察に対する過去の行い、体制について
人々の不満が爆発した。
今はBlue Lives Matter(警察の命も大切)運動が
広がっている。

そして私が去年から気になっている事件が
ここにきて動き出した。

ジェフリー エプスタイン事件


この事件を知っている人も多いと思いますが
説明します。
知っている人は飛ばして下さい。


ジェフリー エプスタインは
アメリカの実業家、投資家で
2019年7月2日
性犯罪、性的人身売買の罪で有罪判決を
受けていたが
2019年8月10日
収容されていたニューヨークの独房で遺体で
発見されました。
ニューヨーク市検視当局はエプスタインの死を
首吊りによる自殺と断定したが
エプスタインの弁護士はその結論に異論を唱え
独自の調査を行う意向を表明しました。
FBIと米司法省はエプスタインの死の状況について
捜査を行なっています。


ラムセンが2019年8月に行なった世論調査では
エプスタインが本当に自殺したと考えている
アメリカの成人は29%のみで
42%はエプスタインは親交のあった著名人に関して
彼が証言するのを防ぐ為に暗殺されたと考えており
29%は分からないと答えています。


NY市長ビル デブラシオも自殺という通説に
疑念を表明しています。


シリアの大統領バシャール アル アサドは
アメリカとイギリスの政府高官、またはそれ以外の
国の要職にある人々の重要な秘密を多く知っていた為に
殺害されたと主張しました。


トランプ大統領もビル クリントンとヒラリーが
関わっているという内容をリツイートしています。


エプスタインがパーティーで同席した著名人に
クリントン、トランプ、ウディアレン、
ハーヴェイワインスタインなどいます。


交流関係を持つ者には
ブルームバーグ、リチャード ブランソン、
マイケル ジャクソン、アレック ボールドウィン、
ケネディ家、ロックフェラー家、ロスチャイルド家、
イスラエル元首相エフード バラック、
イギリス元首相トニー ブレア、
サウジアラビア王太子ムハンマド ビン サルマーンなど
有名ハリウッドスター、アーティスト、王族、政治家、
著名人などまだまだいます。

エプスタインはロリータエクスプレスと呼ばれる
プライベートジェット機のボーイング727を所有し
来客と共に年間600時間飛行していました。
その行き先は彼が所有するアメリカ領ヴァージン諸島の
リトルセントジェームズ島(エプスタイン島)で
10代の少女達が乱行パーティーに
参加させられた場所として悪名を馳せた。
ビル クリントンがこの島に訪問していた事は
広く知られているし、裁判所の文書によると
当時17歳のバージニア ロバーツはロンドン、
ニューヨーク、この島で3度に渡り
イギリスのアンドルー王子との
性交を強制されたと主張しています。
が、バッキンガム宮殿はこの主張を否定しています。






長くなりましたが
ここからです。


2020年7月2日
FBIはエプスタイン逮捕から1年、
共犯者で元恋人のソーシャライト
ギレーヌ マックスウェルを
エプスタイン被告に少女らを斡旋したとして
逮捕、起訴しました。


ニューヨーク裁判所に提出された起訴状によれば
マックスウェル被告は性的行為を目的とした
未成年者を性犯罪の為に移動させた罪、
偽証罪など計6件の罪に問われています。




エプスタインが各国に幅広い人脈を持つのも
マックスウェルからの紹介もありました。

マックスウェルはイギリスのメディア王、
ロバート マックスウェルの娘であり
父はユダヤ人でイスラエル、モサドの大物工作員と
言われており、各国の社交界に
幅広い交友関係があります。
彼女の人脈をエプスタインは利用していました。


エプスタインの死で真相は闇の中でしたが
彼女の逮捕により今後この事件の全貌が
いよいよ明らかにされるはずです。


ただ、マックスウェルは減刑する為に
司法取引をすると思われ
今までこの事件に関与してきた権力者達は
暴露されるのではないかと気が気でないでしょう。

その為エプスタインのように権力者、著名人達の
秘密を知るマックスウェルは彼同様の
結末になるのではないかと囁かれています。


2020年7月14日
マックスウェル被告の公判が開かれ、
罪状認否と保釈の可否をめぐる
審問が行われました。
ネイサン判事は海外との繋がりや
経済力を理由に被告の保釈要求を却下しました。
検察はマクスウェル被告が捜査から逃れようと
人里離れたニューハンプシャーに
身を隠していたほか、3カ国のパスポートと
数百万ドルを保有している事から逃亡のリスクが
極めて高いと主張しました。




そしてつい先日
トルコの国営放送が地上波でアドレノクロムを取り上げ
生放送しました。
いよいよ本格的にこのとんでもない
スーパードラッグが世界に認知され始めています。

この放送では悪魔崇拝者達による
悪魔崇拝儀式、ディープステートなども
取り上げています。


※ 下に動画があるので興味のある方は
見て下さい。


アドレノクロムとは実際に売買されていて
1937年に極秘で発見され
60%若返ることができるホルモンです。
幼児の松果体から出る多量のアドレナリンが
酸化したもので、ストレス、苦痛、虐待を繰り返し、
恐怖を与えた時に自分に抵抗力を与える為に
分泌されるホルモンでアドレナリンに由来されます。
目に針を突き刺し抽出されるものです。

アンチエイジング効果があり若返りの
超高級ドラッグとしてセレブなどに人気です。
使用者には英国のフィリップ王子など国王、法王、
ジョージブッシュなどのトップ政治家、銀行家、
裁判官、他にも大勢使用しています。


ただ副作用もあり使用をやめると一気に歳を取ったり
目の周りがクマのようなアザになります。




そして悪魔崇拝者達は儀式で子供を生贄にする為に
世界中で子供を誘拐したり、人身売買を続けています。

悪魔崇拝者にはイギリス王国、ロックフェラー家、
ロスチャイルド家、ブッシュ家、クリントン家など
大企業の経営者や政治家など誰もが知る人達がいます。

日本では富士フィルムがつい最近まで
アドレノクロムを販売していましたが
現在は販売終了しています。(7/15現在)
価格が常に変動していたのですが4月中旬の時点で
1g 約22万円で販売されており
販売終了直前の7月初旬では
500mg 約26万円まで高騰していました。
少し前に電話で成分の事について尋ねた方の話では
’’販売はしているが製造はしていない’’
という事です。


こちらは小児性愛者で有名な米民主党のジョー バイデン
私が思うに大人の女性も好きという感じです。↓



オバマ前大統領 匂い嗅ぎ過ぎです。↓


日本でも未成年者誘拐事件が増えています。
私が住んでいるNYでは13歳以下の児童は
通学も保護者が付き添います。
子供が一人で歩いているのを見ませんし、
留守番も子供一人にはしない為、保護者がいない場合
ベビーシッター、ナニーの方に頼みます。
学校への送り迎えだけを代行する人もいます。
その場合も事前に先生に関係などを話し
顔なじみになる必要があります。


世界では30秒に1人、子供が売買されていて
600万人の子供達が被害に遭っています。
米国では社会問題の一つに
児童の行方不明事件がありますが
その人数は年間80万人、
1日に約2,000人も行方不明になっています。
今一番、急成長犯罪産業が人身売買で
労働、性的、臓器売買、アドレノクロム抽出、
悪魔崇拝儀式の為で16兆円産業と言われ
性的人身売買だけでも6兆円産業と言われています。
ドラッグ、銃売買より全然お金になる
違法売買なのです。
その為、大規模な犯罪組織が存在しています。

※ より詳しく知りたい方は
下の2つ目のオバマゲートと
書いてある動画を見て下さい。
この動画は本当におすすめの動画です。


トランプ大統領は以前から人身売買撲滅に
取り組んでいて、
去年10月ペンタゴンの小児性愛犯罪特殊部隊の
報告によると、トランプ指示で米海兵隊によって
2100人の子供たちがカリフォルニア州の
地下基地から救出されています。
そしてこのコロナの時期を利用し、
たくさんの子供達をさらに救出しています。


大量逮捕はもう、始まっています。


そしてトランプ大統領は
さらにオバマゲート、ヒラリーゲート、
クリントン財団、ピザゲートなどについても
動いています。


エプスタイン事件のようにすでに逮捕者が
出ている事件以外にも
悪魔崇拝者、小児性愛者、ディープステート、
イルミナティーなどが全て人身売買に関与していて
私達一般人には手に負えない相手であり、
その為ずっと昔から行われてきた犯罪を
取り締まる事ができず
今でも解決されず残っているのだと思います。


トランプ大統領は人身売買に強く取り組んでいるので
この件に関わるディープステート、著名人、有名人、
王室、政治家などは11月の大統領選挙で
トランプの再選を阻止しようと必死なのです。

それと同時にジョージソロスなど外国勢力などは
今、世界でトップのアメリカを潰す為に
米民主党に巨額の資金提供をし、操り、
最近ではBlack Lives Matter運動、
Antifaにも資金提供し
彼らの支配下のメディアで一般市民を
印象操作し操っています。


これらを陰謀論という人もいますが
実際、逮捕者も出て、子供達も救出されていて
トルコの国営放送でも取り扱っている事で
私は陰謀論ではないと思っています。


※ これは私の意見なので
自分で調べ、ファクトチェックし
多角的に見て自分の考えや意見を見つけて下さい。
この記事の太字のワードだけ調べても
かなり情報は出てきます。


子供にも人権はあるのに
一部の大人達のエゴに利用され、
たくさんの子供達が今でも犠牲になっています。


トランプ大統領は
私達、移民に厳しい時もありますが
自国民のアメリカ人優先なのは当たり前だし
世界で起きているこれらの複雑な問題を
解決する為に無給で動いている
トランプ大統領の再選を私は祈っています。

ディープステートが一番恐れている事は
一般人の覚醒と行動です。


彼らはお金の為に戦争を起こし、人身売買をし、
病気の人に飲まなくていい薬を飲ませたり、
エゴの為に一般人を苦しめてきました。
世界のほとんどのお金を握らせてしまいました。
私達は彼らが資金提供したメディアに洗脳され
彼らが操っている世界で生きています。


昔から続くディープステートに汚染された世界を
私達の覚醒と行動で子供達の未来の為にも
終わらせる時が来たのかもしれません。


そして1日でも1分でも1秒でも早く
子供達が救出され自由になることを祈っています。



トルコ国営放送でアドレノクロムが地上波で取り上げられた動画↓



そして私が調べた中で分かりやすかった動画がこちら↓


こちらの動画、最後衝撃的でした。
違法児童人身売買サイトの存在も
明らかにされています。
最後までぜひ見て頂きたいです。


※ 2つの動画は自分の動画ではありません。


トランプ大統領は以前からディープステート、
オバマゲートのことなど公言しています。

これは私の憶測ですが
大統領はこれら全部把握しているのはもちろん、
私達の想像もつかない問題にも取り組んでいて
今私が書いた問題に関しては証拠も
揃っているのではないかと思っています。
そして11月の大統領選挙の直前に
タイミングを狙って大量逮捕の発表を
するのではないかと思っています。

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「なぜ人間は生まれつき、才能の差があるのか?

2021-03-22 00:08:56 | 日記

http://voicee.jp/20121003241

なぜ人間はその生まれ育った環境に違いがあるのか。
不公平ともいえる差があるのか。

すべては縁起の理法、原因結果の法則に則っており、

過去世も含めて、

その心に蒔いた種とその育て方によって幸不幸が分かれている。 


その心の傾向性が、思いが、現象としてあらわれているのだと。

そしてそれは仏が罰しているのでもなんでもなく、

自分の潜在意識がのぞんだ環境なのだと。



逆に自分の心を変え、良き種を蒔けば、心が変わり、環境も変わっていく。


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重度の障害を持つ息子と過ごした20年。天国に還って、もう一度あなたに会えるその日まで――。(体験談)

2021-03-22 00:08:39 | 日記

http://voicee.jp/201310196983 より転載

太志が居た場所

豊かな自然が広がる埼玉県某市の閑静な住宅街に、我が家はあります。
そのリビングルームのテレビの前が、太志の“定位置”でした。
そこに布団を敷いて、重度の障害で寝たきりだった太志は、いつも横になっていました。

食事を摂るのも、オムツを換えるのも、眠るのも、いつもその場所。
夕食をすませた家族は、自然と太志の布団の周りに集まって、テレビを見ていました。

夏には自然のさわやかな風が吹き抜け、冬には、暖かいこたつとストーブの火。
我が家のリビングには、いつも太志を中心に、家族の笑い声と笑顔がありました。
けれど、今はもう、そこに太志の布団はありません。
5年前のお正月、太志は天国へと召されていったからです。

心臓手術

太志が生まれたのは1988年1月22日。
よく晴れた寒い朝でした。
結婚4年目でようやく授かった我が子に、私たち夫婦はとても喜びました。
しかし、その喜びもつかの間。
3カ月検診で“心雑音”が認められ、病院で検査を受けた結果、心臓内部の壁に先天的に穴が開いている「心房心室中隔欠損(しんぼうしんしつちゅうかくけっそん)」と診断されたのです。
すぐに入院するように言われ、荷物を取りに家に戻った主人と私は、二人で大声をあげて泣いてしまいました。

その年の6月、太志は心臓の手術をするために、他の病院へ転院しました。
手術は、8時間にもおよぶ大手術となりました。
そして、24時間後に麻酔から醒めた太志は、心停止を起こしてしまったのです。
医師や看護師たちが、あわただしく動き始めました。
電気ショック、心臓マッサージ……。
奇跡的に心臓の鼓動は戻り、太志は何とかその幼い生命をつなぎとめることができたのです。

神様、どうか……

しかし、退院後も太志は、ミルクを詰まらせて肺炎を起こすなどして入退院を繰り返し、クリスマスもお正月も、1歳の誕生日も、病院で過ごしました。
それでも、だんだん食事も摂れるようになり、4月には退院。
6月には、長女が生まれました。
その3週間後。
太志の呼吸状態が悪くなり、すぐに救急車を呼びました。
病院に着くと、太志はまたも心停止を起こし、意識を失ってしまったのです。
主人と私は、本当は家族も入室できない集中治療室に入れてほしいと頼み込み、医師たちが懸命に心臓マッサージを施すかたわらで、必死に祈りました。

「私の命をこの子にあげてもいい。だから神様、どうか、この子の命をお助けください!」

主人はそう祈った、と話してくれました。

講演会での質問

心臓は動き始めましたが、昏睡状態は続き、太志は病院の集中治療室で眠り続けました。
ちょうどそのころ、幸福の科学の大川隆法総裁の講演会が埼玉県・大宮市で開催されました。
私は、すでに幸福の科学の会員となっていた主人に誘われて、初めて大川総裁の講演会に参加することにしたのです。

「どうして何の罪もない幼い太志が、こんな試練に遭わなければならないのだろうか……。主人が信じている大川総裁なら、その答えを教えてくださるかもしれない」

そんな期待がありました。
そして、講演会の質疑応答で、主人はたくさんのなかから当てていただき、なんと、直接、大川総裁に質問することができたのです。

「先天的に障害がある子供を持った場合の、親としての心構えをお教えください」

大川総裁のお答えは、力強いものでした。

「親としても重荷を負うことは事実でしょう。けれども、人は皆、あの世で人生の計画を立てて生まれてきます。そして、その人に背負えない重荷は計画してきません。また、障害を抱えての人生は、通常の人生の数百年・数千年分にも匹敵するほど尊い魂修行になります。今世、大きなハンディを持って生きた人ほど、来世で大きく伸びていきます。それだけ魂が輝くのです。どうか、愚痴の人生、他人の同情を受けるだけの人生で終わらせることなく、ハンディに負けずに、明るく建設的な生き方ができるよう励ましてあげてください」

私は、愛と確信に満ちた大川総裁のお言葉に圧倒されました。
ただ、大川総裁のお答えの本当の意味を理解するまでには、まだ、しばらくの時間が必要だったのです。

やっと目が開いたけれど……

病院で、約10日間にわたって眠り続けた、太志の目が開きました。
けれど、以前の太志とは別人のような目でした。
入院前の太志は、1歳半の標準よりは小さいながら、お座りもでき、手を出して「抱っこ」をせがんだり、大きな澄んだ目をキョロキョロさせて、いろんな“芸”も見せてくれていました。

「あの太ちゃんは、いったい、どこへいっちゃったの……?」

戸惑う私に、医師は言いました。

「脳に重い障害が残り、これ以上良くなることはありません。もう何も治療することはないので、一般病棟に移ります」

私には、その意味がよく分かりませんでした。
というより、このときの私には、まだ受け容れることができなかったのだと思います。
太志がもう二度と自分の足で歩くことができないこと、可愛らしい小さな手にスプーンを持って大好きないちごのケーキを食べることもできないこと、そして、もう二度と、愛くるしい笑顔で笑うこともないことを――。
ボーッとしたままバスに乗って帰宅し、長女をみてくれていた母に、医師の言葉を伝えていると、急にポロポロと涙がこぼれました。
心臓の手術をしたときには、「体が弱くても、勉強でがんばれば大丈夫よね」と、母と励まし合い、太志の将来に夢を抱いていました。

やるせない思いで、いっぱいになりました。

人生は一冊の問題集

太志の入院中、私はベッドの横で、幸福の科学の書籍を10冊読み、入会願書を提出して、会員となりました。
書籍のなかの、「人生は一冊の問題集」という言葉が、私の胸に深く響きました。
人間は幾度も転生輪廻を繰り返していて、毎回、違う人生を自ら計画し、自分なりの問題集を選んで生まれてくる。その問題を自分の力で解くことが魂の向上につながる――。
そのようなことが書かれていました。

「これも、私の人生の問題集? 太志も、自分で人生を計画してきたのだろうか……。だとしたら、問題から逃げずに、前向きに太志を育てていくことが、大宮の講演会で先生が言われたことの意味なのかしら……」

笑顔も消えて

約5カ月間の入院ののち、太志が退院したのは、すでに秋風が吹くころでした。
ミルクも飲めない太志の鼻には、経管(けいかん)栄養のためのチューブが挿入され、あんなによく笑っていた太志の顔からは、すっかり笑顔が消えていました。
そして、週1回のリハビリと内科の診察を受けるため、手足の動かない太志をベビーカーに乗せ、1歳にもならない長女を背中におぶって、病院通いが始まったのです。
長女はとても活発な子で、8カ月で歩き始め、「オムツ持ってきて」と言うと、太志の分まで持ってきてくれました。
微笑ましい長女の姿を見るにつけ、五体満足で健康であることがいかにありがたいことかと、あらためて感謝の気持ちでいっぱいになりました。

通園施設での経験

そんなある日、我が家の近くに肢体不自由児を受け入れてくれる通園施設があることを知り、主人と下見に行きました。
その施設で、最初に言われたことは、「お母さん、ふつうの2歳児が体験することを、太志くんにもさせてあげていますか?」ということでした。
言われてみれば、自宅と病院との往復だけで精一杯で、太志を遊ばせることなど考える余裕すらなかったのです。
ここでは、先生方が、子供たちを抱きかかえてブランコに乗せるなど、全身にさまざまな刺激を与えてくれます。
それがとても心地良いらしく、太志の顔に、少しずつ笑顔が戻ってきたのです。
はじめは週1回だけの通園でしたが、4月には、正式に入園することになりました。
本来ならば嬉しいはずの入園式の最中、急に悲しみがこみあげてきました。

「なぜ私はここにいるの? ここは障害を持つ子の施設。幼稚園じゃない!」

けれども、この日私は、自分が「障害児の母になった」という現実に、初めて正面から向き合い、そして、受け容れることができたのだと思います。
自分に与えられた「人生の問題集」から逃げない。
そして、何があっても、自分の手で、前向きに太志を育てていく――。
そう心に誓ったのです。

通園施設に通い始めてから、何とか口から食べられるようにと、根気強くリハビリを続けました。
そのかいあって、太志が4歳になるころには、ペースト状にすれば何でも食べられるようになりました。
鼻のチューブも外すことができ、太志は、好きなものを食べると、嬉しそうに笑顔を見せるようになったのです。
太志の障害は、施設に通う子供たちのなかでも最も重度でしたが、食べるのが苦痛で泣きながら食べている子や、思うように飲み込めない子も多いなか、太志が食べることを楽しみにしてくれるようになったことは、私にとっても、大きな救いとなりました。

たとえ障害があっても

1991年から95年まで、年2回、東京ドームで、5万人が集う大川先生の講演会が開催されていました。
私は、太志に大川総裁のお話を聞かせてあげたい一心で、東京ドームでの講演会のすべてに太志を連れて参加しました。

20年前の当時は、「障害児は家に隠しておくもの」という暗黙の認識がありました。
外に出すと、多くの人から興味本位の視線が浴びせられます。
それは、耐え難いものでした。太志にとってもきっと同じだったでしょう。
けれども私は、あの埼玉の講演会で大川総裁が言われた、「障害を持っていても明るく建設的に生きる」ということに少しでもつながるようにと、可能な限り、太志を外に連れ出しました。

通園施設でも、運動会、遠足、芋掘(いもほ)り、お遊戯会、お泊り会……。
ほとんどすべての行事に参加しました。
もちろん、車椅子での参加でしたが、光や高い音には敏感に反応していた太志は、とびきりの笑顔で喜びを表現してくれたのです。

戦争のような日々

通園施設を卒園した太志は、養護学校に通い始めました。
そして、太志が養護学校の1年生(小学校1年生)のときに、2男が生まれると、太志の介護と家事・育児で、私の忙しさはさらに加速していきました。

3度の食事にも気を遣います。
太志の食事はすべてミルサーにかけて、ていねいに裏ごしし、スプーンで一さじ一さじ口に運んであげます。
少しでも粒が残っていると、のどに詰まらせたり、気管に入って肺炎を起こしてしまうので、細心の注意が必要です。

オムツ交換は、1日に、7~8回。
失敗すると、下着からズボン、寝具まで総とっかえです。
何回も洗濯機を回さねばなりません。
また、太志が眠ると、ほとんど毎晩のように、夜中に痰(たん)がからんでゼコゼコと苦しみ始めるため、私はすぐに起き出して、痰を吸引しなくてはなりません。
放っておいたら痰を詰まらせ、窒息しかねないのでこちらも必死です。
そのため、私はいつも寝不足でした。

やがて妹や弟たちも成長し、塾に通うようになると、養護学校の往復や塾の送り迎えで、車での走行距離は、計算すると1日約100キロメートルにもなっていました。
飴をなめ、歌を歌いながら眠気と戦う日々――。
毎日が必死でした。
落ち込んでいる暇さえありません。

「一番大変なのは太ちゃんなんだから……」

不自由な体に宿りながら、懸命に生きる太志。
そんな太志を思えばこそ、重度障害児は施設に預ける人も多いなか、私は「太志を自宅で育てる」という信念を貫き通したのです。

ともに励まし合う仲間たち

「太ちゃんは、天使と話しているんだね。きっと、あの世とこの世を自由に行き来できるんだね」

時々、天井のほうを向いてニコニコ笑っている太志を見て、主人が言いました。
幸福の科学では、「脳に障害があって、感じたことや思ったことを体で表現できなくても、魂は健全で、考える力や感じる力、意志を持っている」と説かれています。
きっと太志も、私たちが見えないものを見、感じられないものを感じていたにちがいありません。
また、「体が不自由なのは、この世での数十年の間だけ。あの世に還ったら、どんな障害も元に戻る」という教えには、本当に心癒されました。

通園施設や養護学校で知り合ったお母さん方とは、定期的に会い、励まし合っていました。

「○○ちゃんが入院した」「○○ちゃんが亡くなった」――。

悲しい知らせが舞い込むたびに、障害を持つ子たちは、本当に毎日が死と隣り合わせなのだと思い知らされます。
まだ子供たちが小さいころから、ずっと苦楽をともにしてきたお母さんたち。

「障害も、私たちの『人生の問題集』なのよ。解けない問題は来ないんだって。だから自分のことも、子供のことも、“かわいそう”って、思わないで、がんばっていこうね」

折にふれ、私は信仰によってつかんだ光を、お母さん方にお話ししました。

天使の笑顔

中学・高校と、新設の養護学校に通った太志は、卒業後、昼間の数時間だけ、自宅近くの施設で過ごすことになりました。
体が大きくなると、抱えるのも一苦労。
太志が大好きなお風呂も、私一人では無理なので、男性のヘルパーさんに入浴のサポートをお願いしました。
18歳のころ、太志は東松山市の福祉を紹介するテレビ番組で、障害者のモデルに“抜擢”されました。
ヘルパーさんが太志を入浴させるシーンを、自宅で撮影したときのこと。
太志は終始、笑顔でカメラに収まり、撮影もスムーズに終了。
スタッフの方々を玄関まで見送り、ふと、リビングの太志を見ると――。
ぐったりとして、眠りこけていました。

「太ちゃん、サービス精神旺盛だからカメラが回っている間中、笑顔をふりまいて疲れちゃったんだね。いつも、感謝や喜びの気持ちを笑顔で表わしてくれているんだね」

太志の天使のような笑顔は、神様からの最大のご褒美でした。

その日は突然に

やがて、太志も19歳になりました。
相変わらず、食事を詰まらせたり、痰がひっかかったりするので、気を抜くことはできません。
それでも、幼いころのように入退院を繰り返すこともなくなり、このまま、無事、成人式を迎えられると思っていました。
けれども、その日は突然やってきたのです。
2007年12月16日。
夕食後、お風呂から出た太志の息が、とても苦しそうです。

「救急車呼んで!」

病院に着くと、すぐに人工呼吸器がつけられました。

「肺気胸です。健常児なら、さほど心配はいりませんが……。こういう障害を持つお子さんにとっては、厳しい状態です。覚悟しておいてください」

そう医師に告げられ、私は、誰もいない薄暗い病院の廊下の椅子に崩れ落ち、独りで泣きながら祈りました。

静かに迎えた最期のとき

その後、麻酔で眠っていた太志の容態は安定しているように見えました。
けれども、年が明けて2008年1月2日のお昼すぎ。
太志は病室で、静かに息を引き取りました。
あと、ほんの少しで20歳でした。
もう大人の年齢ですが、身長は約140センチメートル。
長年の寝たきり生活で体は湾曲し、床ずれの跡が痛々しく残っていました。
生後半年で受けた心臓手術後の、心臓マッサージのせいで肋骨がずれてしまい、手術の傷跡まで痛々しくずれています。
20年にわたる、闘いの跡でした。

「太ちゃん、よくがんばったね……」

太志の顔は、とても安らかでした。
家に戻ってきた太志の亡骸に、私たちは成人式に着せる予定だったスーツを着せて、紫色のネクタイをしてあげました。
主人は、「あの世」に還った太志が、すぐに仏法真理(ぶっぽうしんり)を学べるようにと、大川総裁の法話CDをたくさん棺に納めました。

帰天式

太志の帰天式は、幸福の科学の支部精舎で行われ、300名を超える方々が参列してくださいました。

「太志くん。あなたは、今、肉体という衣を脱ぎ捨て、魂となってあの世へと旅立ちます。19歳と11カ月の今世の命でした。障害を持つ体で、さぞ大変だったことでしょう。でも、今、あなたは自由自在の霊となって、大空へ羽ばたいていきます。障害があっても笑顔で生き切った太志くん。皆様も、太志くんが遺してくれた宝物を大切にして、素晴らしい人生を生き切ってください」

支部長の法話は、参列していた養護学校の先生方やヘルパーのみなさん、そして、ずっと支え合ってきたお母さん方の心にも、深く深く沁みわたっていきました。

「ありがとう」と伝えたい

帰天式のあと、太志のお骨が自宅に戻ってきた夜のことです。
主人は太志といっしょに、やすむことになりました。
私は太志と長年を過ごしたリビングで眠りにつきました。
翌朝、起き出してきた主人が、静かに話し出しました。

「太志と話をしたよ」
「え……?」
「夢のなかに出てきた。あのときのスーツを着て、元気に歩いてた。『お母さんを起こしに行ったけど、お母さんは寝ていたから、お父さんのところに来たよ』って」
「太ちゃん、何て……?」
「『どうして、20年で逝っちゃったの?』ってきいたら、『20年というのは、僕の人生の計画だった』って……。
そして、『主エル・カンターレに、よくがんばったねって、頭をなでてもらったよ』って」
「………」
「『そっちの世界で自由な体になって、太志は何がしたい?』ってきいたら、『お母さんにありがとうって言いに行きたい』って……」
そこまで話して、主人は声を詰まらせました。そして、2人で涙が枯れるまで泣きました。

20年間、太志も家族も、ただただ無我夢中で生きてきました。
でも、太志は、自分自身で計画した人生を立派に全うしたのです。
たとえ障害があっても、太志は、決して「かわいそうな子」ではなかった。
多くの人に勇気を与えるために、自ら厳しい人生を選び、しっかりと、その使命を果たしたのです。

「お父さん、これでよかったんだよね? 総裁先生があの講演会で教えてくださったとおりに、私たち、がんばれたよね?」

そう問う私に、主人もうなずいてくれました。
太志、お母さんは、太志のお母さんになれて、本当に幸せでした。
太志、ありがとう。
たくさんの笑顔をありがとう。
お母さんも、力強く、自分の使命を果たしていきます。

胸を張って天国に還って、もう一度あなたに会えるその日まで――。


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