享年95歳の人生をまっとうして義母が旅立ちました。
五女五男 十人姉弟の三女として生まれた義母。
姉弟たちは、もう亡くなった方、高齢で参列できない方がほとんど。
一番下の弟、T叔父さんだけが参列しました。
そして、子、孫、ひ孫、甥姪に囲まれて執り行われたささやかな家族葬。
「私の葬式の花は全部白い花にしてちょうだい」
白い花に囲まれて義母は穏やかに微笑んでいます。
義母が逝ったのは、お盆の送り火の日の朝。
きっとお義父さんが、「そろそろ行こうか」と、長く病床に伏していた義母を迎えに来てくれたかの様でした。
T叔父さんの話。
幼くして母親を亡くしたT叔父さんにとって歳の離れた義母は、母親同然の存在。
そんな義母の結婚が決まって、義父はオートバイ「メグロ」に乗って母をデートのお迎えに来たそうです。
その頃はヘルメットなど被らず、義母は頭に巻いたスカーフを風になびかせて義父にしがみついて乗って行ったそうです🏍️〜
その姿を見て、幼いT叔父さんは「連れて行かれちゃう」と、とても淋しい思いをした事を今も忘れないと話してくれました。
だから16日の朝も、きっと義父がメグロに乗って迎えに来たんだろうとみんなで微笑みながら話しました。
いろいろ訳あって、次男である夫が施主になりました。
筋の通らぬ話で呆れるばかりですが、この事で揉めるのは亡き義母があまりに気の毒なので引き受けました。
21日通夜、22日葬儀を無事に終えホッとしています。
そして、四十九日の法要まで祭壇を我が家に飾り供養しています。
感心なことに、毎日のお膳は夫があげています。
四十九日の法要が終わり
白木の塔婆から塗りの塔婆になったら
義兄に渡します(きっぱり!)
合掌
🙏
お義母様、最後まで幸せに暮らされたようですね。若い頃のエピソードが目に浮かぶようで、天国でも「待たせちゃってごめんね」「大丈夫だよ、じゃ行こうか」なんて会話が有ったのかもと思えてしまいます。
それにしても長男問題…
最近は長男が取り仕切る、家を継ぐなどと言う感覚はあまり無いようで兄弟の中で一番しっかりした心優しい弟に任される場合も多いですね。
揉めるよりはここはグッと堪えて旦那さまを支えてください。🙂
夫の実家は昔ながらの長男重視の家庭で、義兄は特別に可愛がられて育ちました。ウチの夫なんかほったらかしで育ちました。
義母は「◯太郎←(長男)は私の宝です」と、周囲の者にことあるごとに言ってました。可愛がられ過ぎると恩も忘れる?ろくでもないヤツに育ちましたよ╮(๑•́ ₃•̀)╭ヤレヤレ
おっしゃる通り、ここは引き受けて徳をひとつ積んだと思う事にします。でないと義母が可哀想で。
祭壇に飾った義母の写真を見てると、次男の家に連れて来られて「どうして私はこの家にいるの?」って不思議がっている様に見えます笑
私は、南無妙法蓮華経と唱えると全てが通じるんじゃないかと思って手を合わせています。
悔やみのお言葉をありがとうございます♡
色々あるけれどJUNさんも頑張りましたね。ご苦労様でした。
我が家の場合は反対なんですよ~
長男の旦那さんは新潟に住んでいた義父や義母の面倒を診るのをときどきしかできなくて、たまたま単身赴任で新潟にいた次男が時々面倒を診てました。二人して同じ時期にガンになって入院した時も次男が診てくれてました。義母の時は義父が喪主でしたが義父が亡くなった時は旦那は長男出すが面倒を最後まで見ていてくれた次男に顔を立てて次男に譲って喪主は次男に。家の権利もみんな譲りました。診てくれていた感謝です。
親戚には顔がたたないって言ってましたが仕方ないことでしょうね~
遠いってなかなか大変です。
junさんも色々あるんですね~
T叔父さんの話が素敵ですね。
義母は80歳半ばから認知症で施設へ。その後、コロナに感染しそのまま2年ほど入院。
面会も1ヶ月に一回、それも1人だけと制限された中でしした。
〉喪主〜
ケースバイケースですよね。ウチなんか「この家のものは全て長男のもの」という遺言で財産のほとんどを持っていった長男が喪主にもならない。それを受け入れるウチの夫も何?って感じ。
喪主と四十九日までの供養なんてやる事は簡単なのですが、筋が通らなくて腹立たしいのです。
通夜葬儀で親戚の叔父叔母は、ん?って顔してましたが、好き勝手している長男を知ってるので聞き辛かったみたい苦笑
T叔父だけです、まだしっかりしてるのは。
あとは皆高齢で参列できませんでした。
義母はT叔父を一番可愛がってくれたから、そして親族代表の言葉を言ってくれたから嬉しかったと思います。
人の一生なんてどうなるか分かりませんよね。溺愛していた長男が…いろいろあるんですよ。ブログに書けない恥ずかしい事が🫣
とりあえず四十九日にはキッパリ長男に渡します。
コメント遅くなりごめんなさい🙏