悠翠徒然

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葛飾北斎

2017-01-08 13:05:19 | Weblog
富嶽三十六景や富嶽百景など、多くの絵画や版画を残してくれた、日本が誇る偉大な絵師です。

日曜美術館で特集していたので、興味深く観ました。

富嶽百景を出版してからなくなるまで、
『画狂老人卍』と言う雅号を名乗りました。

強烈な雅号ですね〜(笑)

72歳から富嶽三十六景を書き始め、75歳からさらにそれを深化させた富嶽百景を書き始めたのてます。

まさに、スーパー老人と言われるだけのことはあります。

富嶽三十六景には誰もが納得する調和のとれた『美』がありますが、富嶽百景には生き生きとした人間を自由な発想と構図で描いている。

つまり富嶽三十六景は富士が主役ですが、富嶽百景は人や生き物がが主役。

富士も生き物の様に扱われています。

生きとし生けるものすべてに対する賛歌のようです。

83歳からは毎朝小さい紙に獅子を書いては丸めて庭に捨てるという事を日課にしていたそうです。

絵師としてのルーティンかと思いきや、孫を守る為の魔除けの意味があったそうです。

丸めて捨てられた『獅子』を、同居していた北斎の娘が拾ってとっておいた為に多く残されているそうです。

娘、偉い!(笑)

晩年に向かってどんどん成長し、最高傑作を創り続けいっ北斎の生涯に励まされますね。

絶筆は富士から黒雲に乗って天に登っていく竜を描いた『富士越竜』

北斎自身を竜に見立てたのでしょうね。

北斎は90歳で亡くなりました。

なくなる時に言った言葉は

『天がもう五年私を生かしてくれたなら、本物の絵師になれたであろう』

最期の最期まで、自分の宿命を追い求めた葛飾北斎の人生に頭が下がります。

私も毎日『永』を書けば、1ミリぐらいは葛飾北斎に近づけるかしら?

無理だな、、、(笑)











『三国志』

2017-01-08 10:18:44 | Weblog
実は断片的に知っているだけで、ファンを自称するには程遠い知識量なのです。

漫画の『三国志』を読めばよく分かるようになるよ、とアドバイスをもらった事もありますが、もっと受動的な楽な方法はないものかと考えた末、一話二時間で全八話構成の映画を見ちゃえば良いのでは?との結論になりました。

昨日一話途中まで見たのですが、映画としてのレベルは相当に低い(笑)

構図、映像、メイク、照明、どれをとっても低いのです。
低予算が原因なのかもしれませんが、八話シリーズの1回目ですからね、掴むためにもがっちりさせたいところであのチープ感はないな、、、

演技だけはわかりません。

見た目は似ていても二千年前の中原を駆け回る英傑達のイメージは想像を掻き立ててくれます。

だって聖徳太子の立ち振る舞いとか簡単に想像できます?
そのまま聖徳太子よりもさらに600年以上も前の話ですからね〜

日本人が三国志が大好きな理由は、まず当時の日本と比べ、その圧倒的落差に絶望感を抱き、真っ白になったところで受け入れることから始まるからなのかもしれませんね。

とにかく今日は見られる限り見ようと思います。


昨日飛び込みで体験レッスンの方から電話がありました。

『看板を見たんだからね』
『はい?』
『私は字が上手くなりたいんだからね』
『中国の方ですね』
『はい』

はじめてのところに電話する緊張感からかもしれませんが、ちゃんとした日本語を教えてあげて〜

でも、私が中国に行って本を片手に北京語を話したら、もっとひどいことになることは間違いないです(笑)

だって中国人の知り合いから教えてもらった北京語は
『私は日本人です』
『私は杉山です』
『トイレはどこですか?』
『美味しい!』
の四つだけですから(笑)

しかも後から聞くと『トイレはどこですか?』の『トイレ』は今の中国人はあまり使わないと言うのです。

つまり私が覚えたのは

『厠(かわや)はどこですか?』

失笑されるのは間違いないでしょうねぇ〜

かえって爆笑されてわらいとばされた方が気持ちいいでしょうね(笑)

とにかく、プライドが高いとにかく言われる中国人が、看板の文字を見てこんな字が書けるようになりたいと思って、日本人に漢字を習うために電話をかけてきた行為に敬服するばかりです。

私が中国に渡って中国人の格闘家に柔道を習うようなものですからね。

30分後に体験にいらした女性は一生懸命でした。

靴で廊下まで入ってきてしまうのは、外国人あるあるですが(笑)、それは和翠塾入口の作りが曖昧になっていることも大きな理由です。

つまり『土間』がないからなのです。

土間と床は日本家屋では室内で隔たられているのですが、和翠塾の土間は外。

つまり土間がなく、ドアを開けると1秒で居住空間である『床』なのです。

日本人でも迷う方がいらっしゃるぐらいの、申し訳ない作造りであります、、、、

いっそのこと、入口入ってすぐのトイレの先の洗面台を越えたあたりの所にドアをもう一枚作った方が良いかもしれませんね。

そうすれば、室内に土間ができます。

トイレに行くにはスリッパを用意すれば良いですしね。

考えてみます。

子供の頃学校で筆を習ったと言う彼女の筆の持ち方は、完全に『撥鐙法』でした。

和翠塾で教えている『撥鐙法』は、日本で教えているところは少ないです。

和翠塾の『撥鐙法』も少しアレンジされていますから、正当な『撥鐙法』であるとは言えないかもしれません。

『撥鐙法』は子供の頃から身につけないと、大人からでは中々苦労しますし、日本にはかな書もありますから、多様な筆の持ち方を要求されるのはため、自然と中庸なそれぞれの人と求める線に合った『良き持ち方』になるのだと思います。

その中でも『撥鐙法』を身につけるのは中々難しいと言う事です。

天位、地位級の方の中には『撥鐙法』を身につけた塾生もいます。

天性が稽古でもたらされた賜物ですね!


彼女の書いた文字はとても細々としていて、本格的な筆の持ち方に対して激しい落差でした。

でも一生懸命に稽古していました。

二時間ぐらい稽古していたと思います。

頑張り屋さんですね。

ロシアとの国境に近いバルピン出身の方だそうで、バルピン餃子の話をしたら『今度作ってきましょうか?』と言っていたそうです。

入塾したら手作りのバルピン餃子が食べられるかも〜

楽しみだなぁ〜