富嶽三十六景や富嶽百景など、多くの絵画や版画を残してくれた、日本が誇る偉大な絵師です。
日曜美術館で特集していたので、興味深く観ました。
富嶽百景を出版してからなくなるまで、
『画狂老人卍』と言う雅号を名乗りました。
強烈な雅号ですね〜(笑)
72歳から富嶽三十六景を書き始め、75歳からさらにそれを深化させた富嶽百景を書き始めたのてます。
まさに、スーパー老人と言われるだけのことはあります。
富嶽三十六景には誰もが納得する調和のとれた『美』がありますが、富嶽百景には生き生きとした人間を自由な発想と構図で描いている。
つまり富嶽三十六景は富士が主役ですが、富嶽百景は人や生き物がが主役。
富士も生き物の様に扱われています。
生きとし生けるものすべてに対する賛歌のようです。
83歳からは毎朝小さい紙に獅子を書いては丸めて庭に捨てるという事を日課にしていたそうです。
絵師としてのルーティンかと思いきや、孫を守る為の魔除けの意味があったそうです。
丸めて捨てられた『獅子』を、同居していた北斎の娘が拾ってとっておいた為に多く残されているそうです。
娘、偉い!(笑)
晩年に向かってどんどん成長し、最高傑作を創り続けいっ北斎の生涯に励まされますね。
絶筆は富士から黒雲に乗って天に登っていく竜を描いた『富士越竜』
北斎自身を竜に見立てたのでしょうね。
北斎は90歳で亡くなりました。
なくなる時に言った言葉は
『天がもう五年私を生かしてくれたなら、本物の絵師になれたであろう』
最期の最期まで、自分の宿命を追い求めた葛飾北斎の人生に頭が下がります。
私も毎日『永』を書けば、1ミリぐらいは葛飾北斎に近づけるかしら?
無理だな、、、(笑)
日曜美術館で特集していたので、興味深く観ました。
富嶽百景を出版してからなくなるまで、
『画狂老人卍』と言う雅号を名乗りました。
強烈な雅号ですね〜(笑)
72歳から富嶽三十六景を書き始め、75歳からさらにそれを深化させた富嶽百景を書き始めたのてます。
まさに、スーパー老人と言われるだけのことはあります。
富嶽三十六景には誰もが納得する調和のとれた『美』がありますが、富嶽百景には生き生きとした人間を自由な発想と構図で描いている。
つまり富嶽三十六景は富士が主役ですが、富嶽百景は人や生き物がが主役。
富士も生き物の様に扱われています。
生きとし生けるものすべてに対する賛歌のようです。
83歳からは毎朝小さい紙に獅子を書いては丸めて庭に捨てるという事を日課にしていたそうです。
絵師としてのルーティンかと思いきや、孫を守る為の魔除けの意味があったそうです。
丸めて捨てられた『獅子』を、同居していた北斎の娘が拾ってとっておいた為に多く残されているそうです。
娘、偉い!(笑)
晩年に向かってどんどん成長し、最高傑作を創り続けいっ北斎の生涯に励まされますね。
絶筆は富士から黒雲に乗って天に登っていく竜を描いた『富士越竜』
北斎自身を竜に見立てたのでしょうね。
北斎は90歳で亡くなりました。
なくなる時に言った言葉は
『天がもう五年私を生かしてくれたなら、本物の絵師になれたであろう』
最期の最期まで、自分の宿命を追い求めた葛飾北斎の人生に頭が下がります。
私も毎日『永』を書けば、1ミリぐらいは葛飾北斎に近づけるかしら?
無理だな、、、(笑)