悠翠徒然

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iTSCOM

2017-01-18 19:22:50 | Weblog

テレビドラマ『三国志』を見終わってしまいました。

2017-01-18 06:01:22 | Weblog
『魏呉蜀』の三国が争った約百年間の物語『三国志』を見終わってしまいました。

見終わって見ると何故か虚しい、、、

結末としては、司馬懿の孫の司馬炎率いる魏が蜀を滅ぼし晋となり、その晋が呉を滅ぼして晋が統一することになるわけです。

その晋も司馬炎の死後混乱を招くのですから、1人の人間が国を平定し統治していく事の困難さは計り知れません。

中国の歴史は中原を狙っての、反乱や異民族からの侵略の繰り返しです。

日本も元によって侵攻され、昭和に入ると侵攻したのです。

どんな英雄が出てこようとも、その寿命はせいぜい70年。
歴史の表舞台に出ては消え、消えてはまた別の英雄ができきて、また消えていく、栄枯盛衰以上の人間の見果てぬ夢の虚しさに、憔悴してしまうのです。

三国志に登場する数々の英雄の誰かになれるとしたら、誰になりたいか?

そんな想像を1800年やってきたのです(笑)

これからも未来永劫続く事でしょうね。

彼ら三国時代の英雄達が残した事は、人間の業の肯定とその付き合い方の色々を未来に残し、考えさせる事だったのかもしれませんね。

曹操も劉備も諸葛亮も司馬懿も、未来永劫生き続ける不滅の英雄達です。

彼らの生き方を教訓として生かす事が出来なければ、人の『業』に翻弄されるだけの人生になってしまう事でしょう。

しかし三国志から学ぶ事で、その業を認識すれば、『業』をコントロールする事が出来るようになるかもしれません。

『かも』ですけれどね(笑)

今後中国は、一党独裁体制のままでいくのでしょうか?

中国の歴史を考えると、そうはいかないように思えてならないのです。

そこに習近平の憂いと焦りがあるのかもしれませんね。

今や三国志は中原の覇権争いではなく、アジアの覇権争いになり、それは世界規模に拡大しています。

日本も上手くやらねば滅亡の危機にさらされてしまうのです。

『話せば分かる事もある』

そんな相手ばかりである事を、三国志は教えてくれているのです。






















インタビュー

2017-01-18 05:35:30 | Weblog
街のスタジオとして、明日東急ケーブルテレビ『iTSCOM』のインタビューを受けることになりました。

ドラムを叩く姿を撮影した後に五分ほどインタビューがあるようです。

和翠塾の紹介だったらよかったのですが、商店街に入っていないのでそうもいかず残念です。

そこで『iTSCOM』を一文字で表す『字』を作ってそれを書き、傍らに置いてインタビューを受けようか、と考えています。

構想は出来ているのですが、実際に書くとなると欲が出てきて創作が止まらなくなってしまいそうで怖いです(笑)

今夜仕上げる予定です。

興味を持ってもらえるかどうかは、その不可思議さにキャッチ性があるかどうかでしょうね。

楽しんで書いてみることにします。

ま、却下されたら、ただ
『ハイ、それまーで〜よ〜』

なのであります(笑)


音楽と書

2017-01-18 05:14:57 | Weblog
書を理解するには音楽と対比させるることで、よりわかりやすくなると思います。

簡単なのはジャンル分けでしょうか。

デスメタルと言うロックのジャンルをご存知でしょうか?

多分お聞きになったことのない方が多いかもしれませんが、強烈で激しいロックのリズムとサウンドの上に、しゃがれた声で吐き捨てる様にシャウトしっぱなしで、歌詞は全く判別できないと言う、規則性はあるもののほぼ、ノイズサウンドです。

これを書で表そうとすると、どの様な気持ちでどの様な道具を使ってどの様な線で誰に向かって何を表現すれば良いのか、書を嗜む方なら誰でも分かるはずです。

つまりパフォーマンスが重要で、その追体験として結果としての音源があり、紙に残した作品がある。

別に紙じゃなくてもいいのですが、一応紙ということにしておきましょう。

では流行歌と言われる歌謡曲やJPOPのような、幅の広い作品はどの様な書作品に例えられるでしょうか?

簡単に言えば、一瞬で万人の心を捉えるキャッチである必要があるので、これはすべての店先に掲げられる看板に使われるすべての書体がこれにあたります。

オールジャンルの書体が対象となりますが、共通点は全てキャッチであること。

人目につかず、集客に繋がらないような看板では、お店潰れちゃいますからね(笑)

私が目指す書体は、幸田浩子が歌うオペラ。

マリアカラスでも森麻季でもなく、絶対的に幸田浩子。

なぜならば、オペラに日本人としての彼女のアイデンティティを吹き込む事が出来ているからです。

つまり日本人としての品格がある歌唱なのです。

ブラボーッ!

ただし、波磔の部分だけは、『アンサンブルプラネタ』で書きたいです(笑)