悠翠徒然

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都立大学駅前には

2019-02-14 21:04:17 | Weblog
トンカツ屋さんが無いのです。

少し前まではあったのですが、、、、

月一ぐらいで食べたくなるのです。

2ヶ月に一回でもいいです!

つまり、年に六回だけ、、か、、

寂し〰っ!

前回は隣駅の自由が丘まで出かけて、とんかつ食べてきました。

フライパンで揚げるタイプのとんかつでしたが、久しぶりだった事もあって、とても美味しかったです〰

我慢も限界がきてしまい(^○^)、今日は都立大学駅付近のとんかつ屋さんに行きました。

とんかつ屋さん、あるじゃん!

駅から目黒通りを渡って、郵便局を越え、パーシモンホールを越して、しばらく行った住宅地にあるとんかつ屋さんに行ってきました。



『福長』というお店です。



いい雰囲気のお店でした。

ちょいとお高めの(^○^)定食を頼みました。

出てきたのは、サクサクのとんかつ!

美味しかった〰

あっという間に食べ終えてしまいました!

『福長』オススメのとんかつ屋さんでした〰








かあ、かあ、かあ〰

2019-02-14 20:56:16 | Weblog
遊歩道を歩きていると、少し離れた木のあたりから、激しめのカラスの鳴き声が聞こえてきました。

木の根元付近には、カラスがいるらしい方向を数名の男の子たちが見上げていました。

それにしても激しい鳴き声だなぁ、、、

近づいてみると鳴き声の正体がわかりました。

カラスは一羽だけ。

下にいた男の子たちが、カラスの鳴き声を真似て、『かあ、かあ、かあ』と、一羽のカラスめがけて大声を次々にあげていたのです。

小学生の頃やっていたかも〰

楽しそうだなぁ〰

一緒に鳴き真似したくなりました(^○^)




花粉が飛んでいる

2019-02-14 16:25:09 | Weblog
それもかなり沢山飛んでいるようで、青空駐車場に停めておいた車は、気持ち悪くなるぐらいまだら模様に、、、

慌てて洗車しにきてきます。

寒いので、機械洗い洗車です。

ガソリンスタンドの店員さんだって寒いですからね〰

少しでも店員さんが濡れない方法で、洗車でおねがいしました。

心なしか、ニコってしていたような気がします。

気のせいですかね?(^○^)


意識と脳

2019-02-14 07:01:37 | Weblog
こんな話があります。

いつでも良いので手を上に上げるテストをします。

手をあげる少し前に、手をあげようとする意識が働きます。そして、手をあげることになります。

当たり前ですよね(^○^)

しかし、そのほんの少し前に、脳が動いている。

脳が動き、意識が生まれ、手が動く。

つまり、意識が脳を司っているのではなく、脳が意識を司っているというのです。

人間の言動は脳によって支配されているわけです。

脳の特徴が言動の個体差と言えるのでしょうか?


ピアノを例に取ると、ピアノを弾く時、意識して指を動かしているわけではないことがわかります。

指を動かしているのは脳です。

ピアノを弾こうという意識。
今日は天気が良いので、明るく弾こうという意識。
いつも間違えるところがあるので、そこは注意して弾こうという意識。

そんな意識があったとしても、指を動かしているのは脳なのです。

しかもそれを『自動的に』と言われてしまうと、?となってしまいます。

しかし、『ピアノを弾く脳の自動化をもっと発達させたい』と意識して練習してきたからこそ、自動化が高度に鍛え上げられたと言えるのではないでしょうか?

あ、、、

その意識自体も、脳の指示だとしたら、、、

つまり、ピアノを上手く弾けるようになりたいと言う意識の前に、脳がそのように指示していたとしたら、、、

つまり、個体差を持って生まれてきた人間は脳によって支配されていて、成長する環境や経験により、それぞれの脳にとってより心地よいものを求めて意識を作り出し、言葉や行動につなげている。

そう言う事、、、なのか、な?


だとすれば、教育とは、脳の暴走を止めるために必要なブレーキを、それぞれの属する社会に適合させるために必要なルールとして教え込む事で、脳の働きの一定化を目指したものと言って良いのかもしれません。

他人の命や財産を奪ってはいけないと言うルールがある社会に生まれた私も貴方も、それを教育されたからこそ、脳がそのように成長したと言えるのです。

それが、儒教の本質、『仁』、つまり自他の区別なく慈しむなのかもしれませんね。

儒教の教えは五常と言われる『仁、義、礼、智、信』を重んじる事で、五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持するものなのですが、時にやりすぎて、がんじがらめになってしまう事があるのです。

『義』とは、
利欲に囚われず、すべきことをすること。
『礼』とは、
仁を具体的な行動として、表したもの。
『智』とは、
学問に励む事。
『信』とは、
言明を違えないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。

厳しいなぁ〰(苦笑)


そんな時、我々現代人に『それはやりすぎだよ〰テキトーに距離をとってね〰』と言ってくれるのが老子や荘子のような気がします。

それを言わせているのも、脳の心地よさを求める本質だとすれば、傾聴する事が必要でしょう。

つまり、脳がその機能を麻痺させる流れを遮断したいと指示している事になるからです。


書道の本質は、快楽としての芸術性を脳が求め、それを書技と審美眼を上達させる事で満足させる事だけでなく、日々の生活の中で歪められた脳の機能を修復するために、姿勢を正し筆先と対象となる文言の意味に意識を集中させる事で、心を無にする時間を持つ事にあると思うのです。

つまり書道の本質は『無』、、、

なんだか宮本武蔵みたい〰

『全ての道はローマに続く!』ではなく、同じところを目指している、と言うことでしょうね。


本日の結論

私も皆さんも、書道の道を選んだ事は自分の意識ではなく、脳の指示だったという事です。





























バレンタインデー前日なのに

2019-02-14 00:01:35 | Weblog
たくさんプレゼントをいただいてしまい、アゲアゲでございます〰

本当にありがとうございます〰

これで一年間頑張れる源泉ができたと言うものでございます。

私、チョー単純なので!(^○^)


しかし、2月半ばに設定されたバレンタインデーは、実にタイミングが良いのであります。

クリスマスからのお正月、そしてニッパチの日数少ない二月に、まさかのイベント、、、

日程絶妙じゃありませんか!


チョコレートを贈る事を提唱したのは、戦前、神戸のモロゾフチョコレートがそう広告したそうです。

ありがとう!モロゾフ!モロゾフチョコレート!

やっぱりお菓子は神戸ですねぇ〰


あ、私、今週いっぱいバレンタインチョコ受け付けております〰