東京大空襲追悼碑めぐりに参加しました。
「これが悪夢の消滅を願い、これを善夢に導き再びこの悲史を繰り返さないようにと夢違え地蔵尊と命名」
3月12日(日)若い仲間と4名で江東・墨田区内の「3月10日東京大空襲」追悼碑めぐりに参加しました。上は84歳から下は小学生までの老若男女の50名が清澄白河駅に集まって徒歩で、大空襲の慰霊のお地蔵さんや慰霊碑を訪ね、地元の町会長さんらから当時のお話を伺いました。
江東区の白河の「白河戦災地蔵尊」、東深川橋の慰霊碑、森下の「八百霊地蔵尊」、墨田区菊川の「夢違い地蔵尊」、同区立川の「榎稲荷の立川地蔵尊」をめぐりました。
ここで700名が、ここでは800名が、ここは3千名が、ここは4千5百名が亡くなったというそれぞれの場所で地蔵尊を守り、供養し続ける地元の町会長などの方々から当時の話を聞くことができました。1945年3月10日の東京大空襲は一晩で10万人もの下町の民衆が殺されました。
若い青年の仲間は「ここで無くなった800名の方の名前を記した巻物」を見て、目に一杯涙をためていました。慰霊碑めぐり後、東京大空襲・戦災資料センターの橋本代志子さんらから話を聞く交流会にも参加できとても有意義な休日でした。(ひろし)
早乙女勝元先生の 東京が燃えた日 (岩波ジュニア新書)を読ませていたただきました。被害にあわれた人々の悲しさ、怒り、苦しみを感じ、東京大空襲というこんな酷い歴史があったことに、驚き、本の最後を読み終えたときには、涙があふれてきました。
軍事費にこれだけのお金を使う必要はどこにある。
マッチポンプのように、人間の命をおもちゃにして自国の繁栄を成り立たせている。
敵愾心をあおり武器をばら撒き核兵器をちらつかせ、いつまでも愚かなことをやっている。
多くの人たちの犠牲の上に、やっとつかんだ世界でひとつの平和憲法、武器ではいのちを守れない。
深い反省をもう忘れていいのか!
私は愚かな国の一員にはなりたくない。
何かできるはずだ。できることからはじめよう。
天気の良い暖かな日曜日で、静かな街の川面を眺めていると平和な気分になりました。
ほんの60年前にこの川一面に、無惨に死体が浮いていたなど普段なら想像もできません。
東京大空襲を実際に経験された方々のお話は、生々しく凄惨でした。
決して風化させてはならないと活動する人々とは裏腹に、国も東京都も何もしません。
とくに某I都知事になってからは…と嘆いている方もいました。
被害者名簿を作ったり管理しているのは、町内会などの民間が必死でやっているのです。
追悼碑めぐり、近々きっと行きます。年を考えて少し涼しくなってから。7月18日の、澤地さんの呼び掛けの日は、芝の増上寺に皆で行きました。増上寺前の交差点で、午後1時!5人で、金子兜太さんの書「アベ政治を許さない」を、掲げました。
0.1ミリも、戦争には近づかないよう願いながら!