昭和の全日本プロレス

全日の旗揚げからG馬場三回忌追悼興行までの記録です。当ブログの記事や画像を、ブログ等にそのまま転載する行為は禁止します。

ジャイアント馬場逝去

2018年05月26日 23時44分31秒 | '99全日本プロレス
2月1日
午後7時全日本プロレス事務所にてジャンボ鶴田、三沢光晴、百田光雄が記者会見を行い、代表して百田光雄がジャイアント馬場の死去を発表。
「ご報告いたします。弊社全日本プロレスリング株式会社代表取締役社長・馬場正平、全日本プロレスレスラー・ジャイアント馬場が、昨日1月31日午後4時4分肝不全のために亡くなられました。
もととなった疾患が上行結腸癌です。その原因は転移性肝癌、直接の死因は肝不全です。
手術した理由は癌により腸の通過障害を起こしており、食事をとることができない状態で、腸閉塞による生命の危機も考えられました。癒着性イレウス(腸閉塞)と発表した理由は、本人の病状が漏れ伝わると闘病に悪影響を及ぼすと考えられたからです。
手術の結果、腸の通過は良好になり、イレウスは解除され排便もあり、数日間ながら粥もとることができましたが、術後一週間ごろから肝機能の低下が進み肝不全に移行、肝管の排出困難な状態から呼吸器感染を起こしたり腎臓機能が低下したことなどにより、病状をさらに進行させたと思われます。
集中治療室において手段を尽くしましたが、肝臓のみならず肝機能の劇的な回復は見られませんでした。ということで、肝不全で亡くなられました。

本日通夜と明日密葬を行いますが、これは親族からのたってのお願いで、なるべくそっとしてほしいということです。
本日の通夜と明日の密葬に関しては、親族のみプラスレスラーが見舞うお参りするだけで、それ以外の人は一切来られません。
それと後に本葬をやることになっていますが、まだ期日は決まっておりません。決まり次第、皆様にご報告します。」

事務所での記者会見を終えた3選手は、東京・恵比寿の馬場さんの自宅へ向かい自宅へ集まっていたマスコミに同様の会見を行った後、駆けつけた選手、親族らで通夜が営まれた。またテレビのニュースで悲報を知ったタイガー戸口が弔問に駆けつけた。

2月2日
午後1時より東京・恵比寿の自宅で密葬が営まれ、午後2時半出棺。レスラー、スタッフが整列する中、馬場さんの遺影を胸に抱いた元子夫人が集まったファン・マスコミに向かい一礼した後、馬場さんを乗せた霊柩車は品川区の桐ケ谷斎場へ。
午後5時40分、だびに付された馬場さんは骨壺に納められ元子夫人に抱かれ、馬場さんの愛車だった白いリンカーンで自宅へ。出発した時と同様、選手、スタッフが整列して馬場さんを出迎えた。
同夜、自宅で初七日法要が執り行われた。

新日本プロレスから坂口征二社長、藤波辰爾が弔問に訪れ、同夜開催された青森・弘前市民体育館では、全選手がリングを囲み追悼の10カウントゴングが鳴らされた。

2月3日
東京・大田区の池上本門寺の毎年の恒例行事である節分の豆まきに三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太、秋山準、小川良成の6選手が参加。
豆まき終了後、6選手は力道山の墓前に手を合わせ、「社長がそちらへ行きました」と報告。

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