るるの日記

なんでも書きます

機械なしの酒造工程・麹ができるまで【敏感な麹菌】

2021-09-19 14:05:23 | 日記
1【引込】午前4時半
蒸米を甑〈こしき・米を蒸す土器〉からとって、一度むしろに広げて冷やす(初室の時は冷却はあまりしない)
40℃になったら、モヤシ〈種麹〉を既定の4分の1散布して、室の床に入れ、むしろをかけて寝かす〈床伏せ〉
床伏せの間に温度や水分が適度に平均してくる

2【床(とこ)もみ】午前8時半
かけてあるむしろを取って蒸米を揉みほぐす〈蒸米温度30℃~31℃〉。蒸米にモヤシが均等に付着するように残りのモヤシをまき、また集めてむしろをかけて寝かす

モヤシの量は蒸米一石に一匁
〈蒸米150kgにモヤシ150g
が基準。米の性質や精白度によって加減する。これは杜氏と麹師の勘

床もみで蒸米の温度と湿りによって、モヤシの麹菌の胞子は発芽をはじめ、発育してくる

3【床返(とこかえし)】夜中12時
まんべんなく、上下内外の蒸米を入念に入れかえ、麹菌の発育を均整にする

4【盛り】午前3時半
床返し後、細菌の発育は盛んになって、米粒は破精〈はぜ・麹菌が繁殖し米粒に白い斑点ができる〉し、温度も上がってくる。品温が急上昇すると香気を害するから、麹蓋に蒸米を盛り分け〈麹蓋1枚に1升〉、胴積にして置く

5【仲仕事】午前7時半
盛り後6時間もすると品温度は35~6℃になる。モヤシの香りが高くなってきて、麹蓋内に炭酸ガスや過剰水分が溜まるので、これを排除するため、麹蓋内をかき回し、もみほくざし調整
麹師が細心の注意を払う時

6【積替】午前10時半
麹菌はよく発育し、その呼吸作用によって炭酸ガスや水蒸気がこもるので、積替する。(状況によって省略される仕事)

7【仕舞い仕事】午後6時半
※品温度は37~8℃
※破精状態は仕込みの時に使用する麹で7分位、酒の元に使用する麹で8分位になってくる
※香気もモヤシの匂いが低くなってくる
この頃に仕舞い仕事をする
麹蓋内の麹を適度にまぜる

8【積替】
仕舞い仕事の後に、3~5時間すると、麹蓋の位置によって品質、破精具合、香気、味等に差ができるので、これを均一にするため積替をする

9【出麹】午前4時
麹の品質
状貌(色)
シマリ具合
等を考察しで出麹とする

仕舞仕事から出麹までは、麹菌の繁殖と共に、各種の酵素を生成する時期。酵素の生成作用は温度、時間、湿度などが甚だ関係するので、出麹の操作は慎重でなければならない。出麹後の管理もまた大切

丸2日でできあがりですね
そして次は仕込みの仕事へ


機械なしの酒造工程・蔵入り~麹造り【徹底的な清掃】

2021-09-19 12:49:37 | 日記
1【蔵入】
10月~11月にかけて、杜氏以下蔵人が酒造場に入る

2【役割】
杜氏は場内の説明と、今年の造石高を告げ、全員に諸役係を指示する。何年も続けて来ている酒蔵や蔵人だと簡単で「今年もしっかり頼む」という位

3【整理整頓・徹底的な清掃】
仕込蔵
精米場
もと場
室場
洗い物場
釜場
物干し場

一切を整理整頓し、徹底的な清掃を行う。酒蔵は入口に手洗いを置き、新しい履物を揃える。履物は内外は必ず履き替える

4【用具の整備】
一季間使用する各小道具類を修理し、草履、縄、洗い物用の茸ささら等をつくり、数の不足のないようにする

5【道具洗い】
〈洗い物頭〉の指示で、各道具の洗浄をする。特に酒桶類は入念にする
洗い物は熱湯を使う
熱湯や水の運搬は試桶を使い
「ため」を片手に肩先に捧げて走り送りするのだ

6【麹室(むろ)作り】
麹師が陣頭に、麹室の修理・改造を行う。酒を造るのに麹はもっとも重要であるから、麹室は雑菌のつかない清潔な場とし、入念な修理・改造が行われる

7【麹造り
酒の元は、麹でできているから
元麹を造る
杜氏は心配し、麹師の最も苦心するところである
室は修理・改造を行って装いが新しくなって、定温も定着しにくく初めの出麹は、なかなか緊張するものだ



酒と能登杜氏【自然発酵の酒→口に噛んで造る酒→麹を使って造る酒】

2021-09-19 12:01:35 | 日記
人間の生活に酒を用いたのはいつ頃か?はじめは野生の果実が自然発酵によって酒となったのを人間が用いていた、、と想像できる
そして自然発酵した酒から、酒を造ることを考え工夫しただろう
酒は植物の糖分の発酵によってできるのだが、稲作民族の日本人が、穀物を糖化し発酵させて酒を造ることを覚えたのは弥生時代だという
神まつりに用いることがはじまりで、清純無垢な処女が米を口にかみつくった原始的酒造方法である

いつしか麹を用いて醸造する方法が生れた。杜氏が酒造りに行く時は【稲麹】を抜き集めて、種麹用に竹筒に入れて持って行った
稲麹とは黒穂のことだが、これをどのように使ったかはわかっていない

能登の出稼ぎ先は酒造り場が多かった。酒造り場は数人から多いところでは二十数人も要した
その集団の長として杜氏が居た
杜氏は、統制力があり
酒造技術にも長じていた

杜氏という語には集団の長のみでなく、長を含めた酒造従業者全体を指す場合もある

能登杜氏とは能登流杜氏のこと
珠洲市、珠洲郡(現・能登町)からの出身の者をいう
冬、珠洲地方の男たちは、秋の収穫後に出稼ぎに行くことが習わしで、酒造りも寒い季節に作業し3月頃までに終わるので、もっとも魅力ある出稼ぎ職だった





高座宮と宮寺・高勝寺の衰退・他の勢力を笠にきていたら共倒れするんだわ

2021-09-19 09:38:22 | 日記
奈良時代から日本は、神仏習合の考え方が広く行われ、神社に付属した寺院(宮寺、神宮寺)を建て、僧侶が神前に読経するということが通常だった
平安時代には更に、神に菩薩号や権現号を付し、仏が神の姿で現れるという本地垂迹説があらわれ、神に本地仏を定めた

珠洲市にある須須神社も
珠洲大権現、高座大菩薩
などと称した

高勝寺は、須須神社【高座宮】の宮寺として現在の須須神社に隣接する翠雲寺の寺地にあった

高勝寺は高座宮宮寺となる前1004年、比叡山延暦寺の恵心僧都の弟子良澄が開創した

1163年、加賀白山宮の【白山記】には、高座宮が白山社の末社として記載。高座宮は白山宮ゆかりの修験者によって創建された
白山宮と、その宮寺白山寺は、平安末に比叡山延暦寺の門末になり、加賀国の政治的・社会的一大勢力に成長した
この頃、【高座宮が中央政府の庇護を失った不安定さを、白山勢力と結び付くことで回復を計った】

1175年高座宮の宮寺は妙成就院
この妙成就院を核として宮寺の施設が整い、室町期になってから付属の院坊を含めて高座山高勝寺の寺号が成立、定着した

このように成立した高勝寺は
当然、天台宗の寺院
1523年寄進状には
「高座山高勝寺本堂大日之御宝前」
と見える。本堂には高倉彦ノ神の
本地仏・大日如来が安置された

【ルルの疑問🤔大日如来って天台宗じゃなくて真言宗じゃないん?】

戦国期、手厚いスポンサーであった守護畠山氏の没落の結果、高座宮、高勝寺はともに衰退。奉仕した社僧・神職の多くは退散した

前田利家は能登に入って間もなくの1586年高座宮に対して田地五町、高勝寺に対して田地三十俵寄進した。その後も前田家より援助がなされたものの回復せず
明治の神仏分離で、高勝寺は廃寺
高勝寺の跡に翠雲寺が移りました


石川県のニュース・噂の【龍馬プロジェクト】会長神谷宗弊氏が石川県にお引っ越ししてくれました

2021-09-19 08:28:14 | 日記
全国の若手政治家でつくる政治団体【龍馬プロジェクト】が
北陸で存在感を強めている
既存の政治勢力の間には
「得たいが知れない」と警戒ムード

龍馬プロジェクトは
2010年、若手議員の勉強会として結成された
大阪の吹田市議だった神谷宗弊氏らが、全国行脚して同志を募ったところ、約200人が賛同
現在、会員は250人
中枢には石川県や富山県関係者が多い




■龍馬プロジェクト会長
神谷宗弊氏(43)




今春の石川県小松市長選で、現職を破り当選した新人の、勝利の陰の立て役者である
この選挙では、神谷氏をはじめ神谷氏のつてで全国各地から支援者が駆けつけ、選挙を支援した
龍馬プロジェクトが小松市町選挙で残したインパクトは大きい

神谷氏は昨年夏、大阪から石川県加賀市へ引っ越した。教育改革に熱心で、新たな学校の候補地を探していたところ、石川県の龍馬メンバーの仲介で、宮元市長と対面。その後、神谷氏は閉校した加賀市内の小学校舎で、フリースクールの開設準備を進める法人に名を連ねるなど、幅広く活動している