1660年高勝寺増長坊良恵
の記名のある社伝には、金分宮の本地仏は、修験道の本尊とめいうべき
【不動明王】であると述べている
中世初頭から不動明王は、強い力で災いをなす魔神、諸霊を調伏するものとして信仰され、修験者たちも、この不動明王を念じて災危除けの修法を行った
室町期の能登へは
白山系
石動山系
熊野・金峰系
と、多様な流派の修験者が入り
峰から峰を伝い、村々を行き来し
修行をなし、祈祷を行い奇験をあらわした時代であって、その痕跡は各地に残っている
須須神社とその宮寺高勝寺は
加賀白山宮の末寺・末社であった
白山系の主な社は不動明王を本地として祀り、大和の金峰山系の修験道をも吸収していた
■大和の金峰山系
奈良の吉野山から大峰山にかけての山々を修行の場とし、吉野の金峰山寺を拠点とした修験者の系統である
金峰山の名にゆかりのある社寺が全国各地に残るが、須須神社に鎮座する金分宮も、社号から考えてこの
金峰山の信仰が、白山系の修験を媒介として、能登に入った結果として成立したものと推定できる