るるの日記

なんでも書きます

弓道指南・無意識【心の欲する所に従って、のりをこえず】おもむくままに

2021-09-24 15:04:33 | 日記
一旦弓を引き絞れば
その後の一切は意識の彼方で行われる。射手は矢が放たれた瞬間に初めて、我にかえる
有から無に入る道は
必ず有にかえってくる

無意識のうちに矢が放たれ的に当たる。この境地は孔子の言う
「心の欲する所に従って、のりをこえず」(自分の心のおもむくままに行動しても、けっして人の道を踏み外すことがない)という境地に酷似している。共に無意識のうちに行うことが的を射抜き、道にかなっている。これぞ弓道の達人、人生の達人の到達点である

弓道指南【暗闇で的に当てるのは命】ゾーンに入る

2021-09-24 14:49:14 | 日記
闇の中、細い蚊取線香に火を点し
的の前の砂に立てる
しかし闇の中にあって、その火は阿波研造師範とヘリゲルの位置からは微かに光る一点にしか見えない
もちろん的のあたりも真っ暗だ

師範は、弓と二本の矢を取り
まず第一の矢を射た「発止(はっし)」という音で的に命中したことがわかった
続いて第二の矢が打ち込まれた
ヘリゲルは的に近寄って二本の矢をあらためた

第一の矢は、的の真ん中を
第二の矢は、第一の矢の筈に当たって、それを二つに裂いていた

阿波研造師範は言う
「第一の矢はともかく、第二の矢はどう見るか?これは私から出たものではなければ、私が当てたものでもない。こんな暗さで一体狙うことが出来るものか。それでもまだあなたは、狙わないと当てられないと言い張れるか?」

このことがあってからヘリゲルは
疑うこと、思いわずらうことをぷっつりと止めてしまった
彼は矢が的に当たるかどうか
自分がどう矢をいるかどうか
一切気にすることなく
ひたすら稽古に励み
ついに入門五年目にして弓道五段の免状を与えられるまでに上達した

この頃の心境を彼は
「このように体得したことは、たとえ私の手が突然弓を引くことができなくなっても、決して失われることはないだろう」

「弓を射ることは、弓と矢をもって射ないこと。射ないことは、弓も矢もなしに射ることになる」

【原因(無心)→結果(矢が的に当たる)=弓と矢で射ない、弓も矢もなしで射る、、私はいない、計らない行為があるのみ、それはいったい何が動いているのか、、完璧な命の発現か、、】

弓道指南・的を狙わずして【弓を引いて矢が離れるまで待つ】的を射る

2021-09-24 14:18:12 | 日記
こうして一年も過ぎた頃に、ヘリゲルは、はじめて阿波研造師範から完全に認められる弓矢の発射に成功したのだ
彼はこのときの〈驚くべき境地〉を次のように表現している

【どのようにして正しい射方をするのかと問われれば、私は知らない、、としか答えることができない】

言葉化できない境地

さらに四年の月日が過ぎると、ヘリゲルに最後の課題が与えられた。それは60m離れたところにある的をめがけて射ることだ
その時阿波研造師範が与えた教訓は

【狙うということがいけない
的、当てること、その他どんなことも考えてはならない
弓を引いて
矢が離れるまで
待っていなさい
他のことはすべて
成るがままにしておくのです】

的を狙わずして
的を射よ、、、
ヘリゲルは徹底的に行き詰まった

弓道指南【弓矢は誰が射るのか】無意識

2021-09-24 14:00:57 | 日記
ヘリゲルは矢を放つ稽古に入る

弓を一杯まで引き絞り
矢筈を押さえた右手をばっと開くと
弦が激しく元に返り
放たれた矢は跳び出して行く
当然身体は強い衝撃を受ける
ところが阿波研造師範が矢を放っても、少しの衝撃も起こらない。矢は一瞬で的へ向かって飛んで行く

師は言う
【あなたは『頃合いよし』と感じる時に矢を射放とうと思う
あなたは意思を持って右手を開く
つまり
あなたは意識的である
あなたは無心になることを
矢がひとりでに離れるまで待つことを学ばなければならない】

無になってしまえば
誰が矢を射るのか
ヘリゲルは師に言う

【あなたの代わりに誰が射るのか、が分かるようになったら、あなたはもう師匠は要らなくなる。経験してからでなければ理解できないことを、言葉でどのように説明すべきであろうか】

ヘリゲルは
無意識の内に矢を放つ稽古をするが、2ヶ月経っても矢は一度も正しく放たれない

師は言う
【あなたは無心になろうと努めている。つまりあなたは故意に無心なのである。それではこれ以上進むはずがない】


少なくとも無心になるつもりにならなければならないでしょう
さもなければ無心ということがどうして起こるのか、私にはわかりません、、ヘリゲルは師に言う

師は、、途方にくれて応える術を知らなかったと、ヘリゲルは感動を込めて述懐している

弓道指南【筋肉をすっかり弛めて力を抜いて弓を引く・腹式呼吸】先を急がずその時その時になすべき事をなす

2021-09-24 13:32:25 | 日記
ドイツのオイゲル・ヘリゲルは、1924年に仙台の東北帝国大学に招かれ約5年間、哲学等を講じた

ヘリゲルは来日直後から熱心に弓道の修行に励んだ。帰国の際には五段の免状を与えられる程の本格的な鍛練だった
また、彼が弓道を志したのは日本文化を体得しようとしたからだ
ともかく、さっそく彼は阿波研造師範の下に弟子入りしたのだが、阿波氏の教えは脅威の連続だった

まず師は言う
「弓道はスポーツではない。。
弓を腕の力で引いてはいけない
心で引くこと
つまり、筋肉をすっかり弛めて、力を抜いて引くことを学ばなければならない」
事実、強い弓を引いてる阿波先生の腕に触ってみると、その両腕は、何にもしていないときと同様に弛んでいた

とはいえ、弓を引くにはやはりそれなりの腕力が必要だから、本当は何かコツがあるはずだとヘリゲルは思った。しかしそのコツはどうやっても見つからない

行き詰まったヘリゲルは、師にこのことを告白した。すると師は
「肺で呼吸せず、腹で呼吸せよ」
と教えてくれた

はじめて正しい呼吸法を知ったヘリゲルは、もうひとつ大切なことを学んだ
それは、最終的な目標「矢を的の真ん中に当てること」に向かって先へ先へと急ぐのではなく、その時その時のなすべきことをなす、という心境だった
これを彼は「内的発展の先を越さず、物事をその自然の重力にゆだねる忍耐」と述べている

呼吸法を整えることによって
ヘリゲルは次第に筋肉を弛めたまま弓を引くことができるようになった