昭和16年12月8日
日本は世界大戦の渦中に突入
前年から能登の町や村人たちは、すべて隣組に組織され、上意下達の末端の組織として、国民をあげて戦争に動員する役割を果たした
隣組は内務省の指導で、全国民を一貫統制し戦争に動員しようとするものだった
昭和19年
上戸村は満州開拓団送出指定を受ける
指定20年3月
先遣隊の一行は現地に入植した
昭和19年サイパン島の日本軍全滅
東條内閣総辞職
戦局ますます悪化
生活物資は底をつく
米収減収と徹底した供出制度
疎開者の転入による食料悪事情
昭和20年石川県は石川県下沿岸に製塩のための塩田築造や製塩指導員の養成を指示。製塩指導員講習が開催された。明治以降衰退しほとんど姿を消した珠洲の製塩が再び脚光を浴びたわけだが、このような付け焼き刃では成果が上がるはずのものではなかった
昭和19年末から20年6月頃にかけてフィリピン、沖縄などが次々とアメリカ軍に占領され、日本海軍はほとんど全滅。本土はB29の猛空襲にさらされた
能登半島はB29が北陸の都市を空襲する時の侵入目標となり、能登半島上空で旋回したあと、北陸の市街に爆弾の雨を降らせた
しかし太平洋戦争中、一切の情報は統制され、伝えられる戦況は真実とほど遠かったし、元寇のときのように、いまひとたびの「神風」を期待する幻想があった
、、、ついに日本政府もポツダム宣言を受諾し、8月15日降伏の詔勅が天皇みずからのラジオ放送で全国に伝えられた、、長い戦争はやっと終わった
戦場に兵士として赴いた人、満州開拓団の人々にも大きな犠牲を出して、この戦争は終わったのである