考えてみれば、日本の標準時刻は明石市の子午線であるわけで(余談ですが、子午線の対語は卯酉線という読みにくく分かりにくい概念のコトバです)、ワタシなどでも、遠征地での朝の明るくなる時間(体感で半時間は違う)に違和感を感じたりするのですが、おそらくは、多くの人々の相対的な時間感覚には、住んでいる地域の経度に相関する差異があるはずです。
もっとも西の地域のヒトにとって午前4時半は、常に夜明け前のくらい時間でしょうし、逆にもっとも東の地域のヒトにとっては、白んだ早朝の時間でしょう。
日本の場合、西と東の両端は、ほぼ南と北のそれとも重なり、気候の面においても異なってきます。地域ごとの日本人の気質には色々と違いがあり、気候風土に絡めてその要因が語られることは珍しくないのですが、相対的な時刻に対する感覚の差は厳然と存在するのに、その差異から生じる影響について考察されることはあまりないように感じます。西のヒトが午前五時に働くヒトに、朝早くからご苦労様ですと云うときには、暗いうちから大変だねという意味合いを含むでしょうし、東のヒトが同様にご苦労様ですと云うときには、暗いのに・・という意味合いは無いでしょう。また逆に、東のヒトにとっては、朝早くから・・・という言葉には朝の寒いときから・・という意味合いを含み、西のヒトにとってはそうではないということも充分考えられます。
もう数世代前から、日本のヒトは、かなりの部分が標準時に従って暮らしていますから、東西南北の両端で、標準時に対する相対的な感覚は異なっているのはかなりの確度で間違いないと思われますが、何故か話題にされることは少ないなぁと、明るさに普段より早く目が覚めて、つらつら考えるヒトトキなのです。
追記
そういえば冬のこの時期、特に元旦は千葉の犬吠埼が最も日の出が早いのでした。単純に東西ではありませんが、北端も犬吠埼に負けず劣らず早いので、おおまかによし、です。
もっとも西の地域のヒトにとって午前4時半は、常に夜明け前のくらい時間でしょうし、逆にもっとも東の地域のヒトにとっては、白んだ早朝の時間でしょう。
日本の場合、西と東の両端は、ほぼ南と北のそれとも重なり、気候の面においても異なってきます。地域ごとの日本人の気質には色々と違いがあり、気候風土に絡めてその要因が語られることは珍しくないのですが、相対的な時刻に対する感覚の差は厳然と存在するのに、その差異から生じる影響について考察されることはあまりないように感じます。西のヒトが午前五時に働くヒトに、朝早くからご苦労様ですと云うときには、暗いうちから大変だねという意味合いを含むでしょうし、東のヒトが同様にご苦労様ですと云うときには、暗いのに・・という意味合いは無いでしょう。また逆に、東のヒトにとっては、朝早くから・・・という言葉には朝の寒いときから・・という意味合いを含み、西のヒトにとってはそうではないということも充分考えられます。
もう数世代前から、日本のヒトは、かなりの部分が標準時に従って暮らしていますから、東西南北の両端で、標準時に対する相対的な感覚は異なっているのはかなりの確度で間違いないと思われますが、何故か話題にされることは少ないなぁと、明るさに普段より早く目が覚めて、つらつら考えるヒトトキなのです。
追記
そういえば冬のこの時期、特に元旦は千葉の犬吠埼が最も日の出が早いのでした。単純に東西ではありませんが、北端も犬吠埼に負けず劣らず早いので、おおまかによし、です。