実は最初から木の枝の上で羽化しようとしていたのではなく、古いクロスバイクのタイヤ(安いパナレーサー)で羽化しようとしている最中に見えた。
すでにインフレーター(空気入れ)を持って、シュレイダーバルブのキャップを緩めようとしていたので、う゛っと躊躇した。
よく見ると、殻を割って出てきたにしては色が濃い。もっと白くふやけたような、其れでいて清純な輝きのある色のはずです。
かのセミは、地中で長年に渡り今日のメタモルフォシスに備えていたはずなのに、殻の割れ方が悪かったのか、ノンビリしてるあいだに体が固まってしまったのか知らぬが、羽化(Emergence)の途中で命が尽きてしまったらしい。
よく見ると、そこには羽化につきものの荘厳さは無く、躊躇したのが、阿呆らしく感じた。あの神秘的に展開する羽根も、まだ体の横に折りたたまれたままなので、普段見えにくい背中の毛むくじゃらさがよく分かる。
いま、”折りたたまれた”と書いたが、実は、正しくない表現かもしれない。
蝉にしろ、蝶や蜻蛉にしろ、大型の羽根をもつ昆虫は、羽化の瞬間まで、羽根を広げたことがない、つまり彼らの羽根は蛹のなかで器官として形作られるときもくしゃくしゃに曲がったままのハズで、パラシュートや、人工衛星の太陽電池パネルのように折りたたまれたわけではないのです。その羽根が羽化の時には、ピンと張った、空力的に問題のない、シャキっとしたものになるのは、考えれば考えるほど不思議で、眼前で見ていても、ふやけて柔らかそうに見える羽根に、なにかが満ちるようにして伸び、やがてペンキが乾いて被膜になるときのようなゆっくりさで、硬く締まっていく。障子の紙を貼り替えるとき、霧吹きで濡らして、乾く際にピンと張る様子にも似た感じですが、障子紙はもともと平らに張った状態で作られるのに対し、昆虫の羽根はせせこましい蛹の中で、クシャクシャに曲がった状態で形成されるのに、どうしてあんなにまっすぐに張るのか。更に不思議なのは、蝶など鱗翔を持つもの、あの鱗粉は一粒一粒の精緻な並び方で色合いを醸し出していることが分かっています。細かい細かい鱗粉の並ぶ密度、向き、僅かな形の差異が光の反射を少しずつ変え、巨視的に色合いを作り出すのです。この鱗粉も広げた羽根の上に、インクジェットで吹き付けられているわけでは、決してないのに、なぜ反射光の波長にまで影響を及ぼすことができるくらい精緻に並んでいるのか。クシャクシャの状態で形成される蛹の中で。
でも、羽化を完遂できなかったこの個体には蟻がたかり始めました。実は蟻は木の根の成長に欠かせない土壌中の微生物コロニーの醸成に大きく関わっていることが分かっています。つまりは蝉のお食事である根からの樹液は一部蟻の活動に依存しているフシもあるのです。
それ故からも知りませんが、この写真の様子、生き物の神秘的な見方が薄れてからは、失敗したベンチャーから、”債務”という大きなアゴで、なにもかも引きはがしてゆく、金貸し集団のようにも見えてきました。おそらく私は現代資本主義に毒されています。