拙ブログでは、はっきりと板橋ブランドと分かる勝間光学さん、一二三光学さんの、一般にも入手可能な双眼鏡の話題が多いのですが、光学機器の板橋と同様な地域ブランドは他業種にもありまして、工業生産に欠かせない金型では関西のとある町の小さな工場群が同じ仕様、図面で、明らかに精度が高くしかもメンテが楽な型を作ってきました。また、もっと小さな規模、せいぜい十数人規模の従業員数の金型屋さんが、放電加工では卓越したお仕事をされ、そのまわりに放電加工用のワイヤーや治具等のもっと小さな規模の工場(工房?)があったりして、高度成長期から、日本の弱電業界を支えてきました。
毛色は違うのですが、高野山のふもとの高野口町は昭和初期から織物の町で(実は祖父がその町の織機技師だったのでよく知っているのですが)、今ではクルマのシートなどのパイル織、ヴィトンのフェイクファーなど、他所にはない特徴をもつ小さな工場が集まっています。一時期、新幹線のシートの表生地全てが高野口産だったこともあったくらいでしたが、決して大手メーカーの工場があるわけでなく、民家のとなりの織機工場が、良質のパイル織を休日返上でつくっている、そんなイメージです。
WW2で日本がどうしても満足に量産できなかった多気筒直列レシプロエンジン、その要因が、クランクシャフトを量産できなかったことでした。強度精度ともに必要充分なクランクシャフトは、日本においては超熟練工がガタのある貧弱な旋盤を巧みに使って渾身の作業で造り上げていく、かたやドイツでは職歴も浅く若い旋盤工が、優れた旋盤をつかって驚くほど短時間にポイポイと作り、ずらっと、高精度なクランクシャフトを並べて箱詰めする、そのような差があったようです(佐貫亦男先生のエッセイによる)。そのため、日本の航空機は、空力的に有利な液冷エンジンを主力に出来ず、空力的には不利な空冷星形エンジンの機体ばかりが目立ちました。もっとも、そのせいで、三菱の雷電の火星エンジンの強制空冷ファン、中島の誉エンジンの、鋳込み空冷フィンのような、変態技術が生まれたのですが。
戦後、日本の工作機械は飛躍的に進歩し、その次に、人件費の安い途上国に対抗するために、省力化、自動化された工作機械の開発へと邁進しました。そのことが却って仇となり、日本の工作機械を使えば、どんな地域でも日本に迫ろうかという工業製品が作れるようになり、軽、重工業の分野では日本の優位性が揺らぐことにもなりました。
今でも熟練の作業による工作の精髄は、いろんな分野に残ってはいます。ただグローバル化のうねりはそんな孤高の精髄を必要とはしないのか、突出した技能が徐々に少なくなりつつあるのも確かです。当初、メルセデスベンツのボディー塗装を目指してたプロジェクトは見る間に目標を追い越し、鋼板の表面の微細加工まで含めたトータルの鮮映性(塗装表面に反射して映った像の鮮やかさなめらかさのこと)はまことに見事な物でしたが、グローバルな環境負荷低減の趨勢により、水性、粉体塗装へと変更されたクルマの塗装は、トップクリヤーでごまかしただけの凸凹塗装にしか過ぎません。同時に、材料の製造過程、廃棄される時の負荷まで含めると、環境負荷低減というお題目でさえ、表に出て目立つところだけで達成されているに過ぎません。
閑話休題、光学の板橋ブランドのようにごく狭いエリアで勃興しながら、世界に冠たる品質と機能をもった双眼鏡を今日も覗き、あれやこれやとその効果に喜色満面な三連休前なのです。
毛色は違うのですが、高野山のふもとの高野口町は昭和初期から織物の町で(実は祖父がその町の織機技師だったのでよく知っているのですが)、今ではクルマのシートなどのパイル織、ヴィトンのフェイクファーなど、他所にはない特徴をもつ小さな工場が集まっています。一時期、新幹線のシートの表生地全てが高野口産だったこともあったくらいでしたが、決して大手メーカーの工場があるわけでなく、民家のとなりの織機工場が、良質のパイル織を休日返上でつくっている、そんなイメージです。
WW2で日本がどうしても満足に量産できなかった多気筒直列レシプロエンジン、その要因が、クランクシャフトを量産できなかったことでした。強度精度ともに必要充分なクランクシャフトは、日本においては超熟練工がガタのある貧弱な旋盤を巧みに使って渾身の作業で造り上げていく、かたやドイツでは職歴も浅く若い旋盤工が、優れた旋盤をつかって驚くほど短時間にポイポイと作り、ずらっと、高精度なクランクシャフトを並べて箱詰めする、そのような差があったようです(佐貫亦男先生のエッセイによる)。そのため、日本の航空機は、空力的に有利な液冷エンジンを主力に出来ず、空力的には不利な空冷星形エンジンの機体ばかりが目立ちました。もっとも、そのせいで、三菱の雷電の火星エンジンの強制空冷ファン、中島の誉エンジンの、鋳込み空冷フィンのような、変態技術が生まれたのですが。
戦後、日本の工作機械は飛躍的に進歩し、その次に、人件費の安い途上国に対抗するために、省力化、自動化された工作機械の開発へと邁進しました。そのことが却って仇となり、日本の工作機械を使えば、どんな地域でも日本に迫ろうかという工業製品が作れるようになり、軽、重工業の分野では日本の優位性が揺らぐことにもなりました。
今でも熟練の作業による工作の精髄は、いろんな分野に残ってはいます。ただグローバル化のうねりはそんな孤高の精髄を必要とはしないのか、突出した技能が徐々に少なくなりつつあるのも確かです。当初、メルセデスベンツのボディー塗装を目指してたプロジェクトは見る間に目標を追い越し、鋼板の表面の微細加工まで含めたトータルの鮮映性(塗装表面に反射して映った像の鮮やかさなめらかさのこと)はまことに見事な物でしたが、グローバルな環境負荷低減の趨勢により、水性、粉体塗装へと変更されたクルマの塗装は、トップクリヤーでごまかしただけの凸凹塗装にしか過ぎません。同時に、材料の製造過程、廃棄される時の負荷まで含めると、環境負荷低減というお題目でさえ、表に出て目立つところだけで達成されているに過ぎません。
閑話休題、光学の板橋ブランドのようにごく狭いエリアで勃興しながら、世界に冠たる品質と機能をもった双眼鏡を今日も覗き、あれやこれやとその効果に喜色満面な三連休前なのです。