ある程度以上、付き合いが長く、濃く、なったひとに云われたコトバです。
事の発端は、自我に目覚める前の乳幼児期らしく、左手主体でナニカをする度に、矯正されていたらしいのです。
で、手は右利き、字を書く、モノを投げる、などは右でしか出来ず、箸は両方、マウスは左手主体。目、足、身体の殆どは左利きで、クラウチングスタートの足が逆、高飛びのスタート位置も逆、柔道の組み手も左、カメラ、銃の照準は右目でも出来る、リコーダーは左、腕組みも逆、なにかにつけて、中途半端な様子に捉えられたらしく、筋肉脳のそのひとからは、そのように見えたと云うことらしいのです。
ある程度、色んな経験をして、身体の各部位の役割が固まった10代後半からは、さして不自由を感じたコトはないのです。
事の発端は、自我に目覚める前の乳幼児期らしく、左手主体でナニカをする度に、矯正されていたらしいのです。
で、手は右利き、字を書く、モノを投げる、などは右でしか出来ず、箸は両方、マウスは左手主体。目、足、身体の殆どは左利きで、クラウチングスタートの足が逆、高飛びのスタート位置も逆、柔道の組み手も左、カメラ、銃の照準は右目でも出来る、リコーダーは左、腕組みも逆、なにかにつけて、中途半端な様子に捉えられたらしく、筋肉脳のそのひとからは、そのように見えたと云うことらしいのです。
ある程度、色んな経験をして、身体の各部位の役割が固まった10代後半からは、さして不自由を感じたコトはないのです。