テキスト主体

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(当然、その他についても、語ったりする)

敢えて一夫一婦制を問う

2013-09-19 23:52:26 | シロートの戯言
類人猿から、ヒトに進化し、様々な段階を経て今日の人類社会、特に先進国と云われる括りでは、一夫一婦制がデファクトスタンダードとして、当たり前のように根付いています。
遺伝子側の都合から云えば、子の成長が約束されている限りにおいて、一夫一婦制は、生き物としての進化を遅滞させる制度でしか無く、一夫多妻、多夫多妻、一妻多夫制などに明らかな優位性があります。ヒト以外の動物においても一夫一婦制を貫く種は多く、例えば鳥類、オシドリなどはその代表のように云われています。実際、鳥類の生態を研究する学者によると、ひとつのつがいが育てている仔が、そのつがいのオスとは別のDNAを持っているのは珍しくないごくありふれた事例らしいのですが、それでもつがいを解消しないのは、育児環境を確固たるものにする意義が大きいと考えられています。
実際、ヒト社会の一夫一婦制においては、オス、メスともに、遺伝子の淘汰圧は働きにくく、類人猿からヒトへの時期の圧倒的な生物としての進化の速さは、急ブレーキを踏んだように、留まってしまっているようです。実際の社会において、基督教の影響下で、厳密な一夫一婦制を理想としてきた、欧米でも、その崩壊ともいえる離婚率の上昇や、シングルマザー、シングルファーザーの増加により、実質的には、淘汰に近い現象が起き、男子力(?)の高くないオスは子を残すことが出来なくなりつつありますが、これは少子化というもっと大きな影響の中で揉み潰されてさほど機能していません。
アフリカなどの一夫多妻制が未だに残る社会が、知らぬうちに、ヒトのDNAを淘汰選別して行き、ふと気付いたら、最も生物的能力の優れたヒトになって、遅滞した先進国のヒトを凌駕し君臨する、そんな時代も遠くない、というか始まってしまっているのかもしれません。