みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 介護人の危機その2

2018-12-08 02:46:30 | 日記
昨日は金曜日、プラスチックゴミ出しの日。台所でゴミの仕分けしていたら梅やんの薬袋が出てきた。内服薬と外用薬だ。やっと出て来たか。

私の日記から、続けます。9月27日。月末集金で私は朝から山城、東西祖谷山へ出かけて、午後7時に帰宅した。家族で夕食後、母親が「ここの者は風呂わかさんのか」と聞いてくる。私は「わかさん、お前は昼にデイサービスで風呂に入っておる。もう寝なさい」と答えると、「ワシは入っとらん、入ったらおぼえとるわ」とふてくされて寝床へ行った。実際に、私は2日に一度しか風呂にははいらないが、母親は毎日のデイサービスで入浴している。

10月1日。台風24号が過ぎ去り、夜になって天気が良くなってから避難所から帰宅した。夜のテレビニュースは沖縄県知事選挙結果を放送している。今日の午後1時に役場から避難勧告が出たので、母親に避難するようにと言ったら、「避難せん、ここにおる」といって言う事をきかない。風雨が強まった午後3時に、私は母親の身体を抱え込んで自家用車に押し込み、避難所になっている坂州のデイサービスセンターに連れて行ったのだ。

屋根の排水路が完成!

10月2日。今朝は母親がおかしい。「この家はどこじゃ」と言い始めた。昨日は、ここはワシが働いて建てた家じゃ」と主張していたのに。夕べは安定剤は飲ましていないし、寝ていたのに。

10月4日。この頃は母親の問題行動がひどいから困る。「コラ、トイレのスリッパははいてくるな」「飯はたくな、お前はもうめしはたけんから」と毎日、毎回言わなければならない。常時監視している感覚になる。母親は「ここはワシのウチじゃ、飯ぐらいワシがたく」と言う。母親の人格が変わってしまった。わたしも尋常じゃない。「ワシの言う事を聞け、コラ」。

いつまでもつのでしょうか。この続きはまた明日。