みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 2つの日記帖、発症の頃

2019-05-14 11:41:21 | 日記
今日は火曜日、雨。この2日間、梅やんの薬、外用イクセロンパッチが見当たらないので捜していたら、尿パットと一緒にカバンの外ポケットから出て来ました。午後に診療所に行き追加でイクセロンを貰おうか思っていたのですが、その必要がなくなりました。私は休養日にして、2011年認知症発症時の「本人の日記」と「私の業務diary帖」の日記を比較検討してみます。左側が梅やん日記、右側が私の日記ですが、見づらいです。
梅やん日記ノート
(梅やん日記より)
平成23年1月13日、知能検査して30点満点が28点。
まあ安心した。
(梅やん日記)
同年3月17日、タカ姉の見舞いに連れて行って
もらう。タカ姉も昔の話ばかりしていた。
同年5月7日、マサオさん死亡。あまりにも早い。
(私の業務diary帖)5月8日、マサオ葬式11時〜鷲敷町、木沢泊。
(梅やん日記)
同年6月10日、マサオの49日がシゲフミの法事と一緒で行けないの
で行ってくる。
(私の業務diary帖)6月25日、私は木沢へ泊。
6月26日、シゲフミの法事、母が支度に暇いった。
(梅やん日記)
同年6月14日、デイより昼からお寺参りに行く。
(梅やん日記)
同年6月29日、頭ぼけて計算できず残念。
(私の業務diary帖)6月27日、母が虹の橋診療所でMR I検査、脳、腰、
認知症の診断!姉が同行。
6月29日、木沢診療所へ母を姉が同行して受診、長谷川式認知症検査で30点満点の20点、介護保険申請は診療所で出すと。
6月30日、私が母の介護保険要介護認定申請を那賀町役場にする。木沢へ帰宅して20:12母は夕食後ガスをつけっ放し。
7月1日、介護保険認定調査員来る。
7月3日〜7日、私は福島県南相馬市へ震災ボランティアに行く。
(梅やん日記)
同年7月6日、ぼけたらあわれなものだ。
もっとしっかりしなければいけない。
同年7月22日、8月はちゃんと書ける様に
努力しよう。
(私の業務diary帖)7月9日、土曜、夜に私は木沢へ。
7月10日、午前2:10、母はガスで茶を沸かし、鍋に入れ歯と小麦粉を入れて炊こうとしている。
7月13日、水曜日、主治医の意見書出来る。Ⅱ b区分。
ケアマネジャーは社会福祉協議会。
7月17日、日曜、妹が木沢に帰り、母をみる。
7月19日、台風の為、徳島市の姉宅に避難し泊。
7月20日、木沢診療所受診。同行。
7月25日、午前6:00、母は牛乳入りの白い味噌汁炊く。
8月3日、ツネタロウさん葬式。母が要介護1認定
私の日記
以上のように母の日記の文章は7月で終わっています。8月分は「紙代金支払う、頭代金アンマ代」と記載してあるだけで終わっています。この間、母は生きがいデイサービスに4月12日、5月26日、6月14日に通い、介護保険申請後は7月12日、7月22日、7月26日とデイサービスに通っています。7月21日には町の保健師さんが訪問してくれています。
今あの頃を思えば「母の危機」だったのでしょう。人間の生涯の変わり目の危機でした。私の業務は日程が詰まっていて、まさか、認知症?という感じで居ました。残念な事は日記を書いていた母の賢さが失われてしまったことです。それと、原因が有ったのではないかということです。
デイサービスから帰り鶏小屋を見る。

カシドマルの夕霧
それでは今日はこの辺で。

みなみの梅やん介護日誌 夜明けの梅やん

2019-05-14 06:24:00 | 日記
私は、昨日の朝7時半に実家を出て、夕方7時過ぎに実家に帰りました。
夕霧の高城山
夕食の弁当を2つ買って。デイサービスから帰り、夕食の用意をしているつもりの梅やんは、お茶を沸かしたのにまた2回目のやかんを沸かしています。制止するとふてくされたけれど、弁当を食べてくれました。
いつもの様に梅やんが遅く寝て、また夜が明けました。私の寝ている部屋はチャボの鳴き声がうるさいです。 障子
梅やんはトイレに起きています。 梅やんの布団
奥の部屋は天窓があり、朝の光が差し込みます。
梅やんは外の様子を伺い、庭に出て鶏小屋を見に行きます。
外は曇り
杖無しで歩く
今朝は名古屋コーチンの卵2個を収獲しました。多分昨日生んだものでしょう。

今日はデイサービスです。これから朝食の準備をします。今日はこの辺で。