みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 梅やんの尿失禁

2019-05-20 20:43:30 | 日記
昨日は雨が降ってばかり。朝、燃えるゴミ袋を県道まで出しました。
プラスチックゴミは明日だから、大半が梅やんの尿パットや紙オムツ、紙パンツです。燃えるゴミは週2回取りに来てくれ、一般廃棄物として処分場にて焼却していただけます。処分場は旧上那賀町に有ります。リサイクルはできません。ズッシリと尿が入っていて重いのです。自治体の一般廃棄物処分場はどこかには必要だから反対運動はしない方が良いし、場所選定を公開して進めることが大事でしょう。

尿が多く失禁するのは梅やんの認知症につきもののようです。梅やんが紙パンツを使用開始したのは平成23年の認知症になって後のことです。三好市と木沢を往復する間に30分おきにトイレに入りました。それで私から要望してベシケア錠を1錠から2錠に増やしてもらいました。粘り強く5年間程服用させました。すると1時間おきでいけるようになり効果はありました。しかし梅やんはトイレに行った事を忘れて10分おきにトイレに入る事が家では多くなって、服用を中止しました。『今日の治療薬』には類似の抗コリン薬に「高齢者は長期服用で認知症に注意して」とありましたから、ベシケア錠も同じかもしれない。やめて2ヶ月くらい後の、『週刊ポスト』誌平成30年7月13日号記事に、石原藤樹医師が「一度認知機能が低下し始めると、関連した症状として頻尿になる人は多いです」と書かれていました。 『週刊ポスト』より


梅やんの場合には、小便の薬ベシケアを長期に服用させたことについては認知症の薬アリセプト錠の効果を打ち消していたかもしれません。『認知症診療ガイドライン』には、認知症の診断に影響を及ぼす薬剤はどのようなものがあるか→推奨:認知機能低下の背景に薬剤が影響している可能性を念頭に置く必要があり…抗コリン薬およびベンゾジアゼピン系薬剤は認知機能低下および認知症発症のリスクとなる、と書いてありました。
私は、認知症の原因には薬剤の副作用もその一つであることを、機会あるごとに強調するべきだと思っています。
昼の梅やんはデイサービスでした。私は坂州の農協まで買い物に行き、カマドに火を焚いて魚を焼いていると、ケアマネジャーの丘上さんが訪問してくださいました。来月の計画書を持って。
ニワトリがなついて離れない。
梅やんは、夜、少し頭が痛いと言いました。血圧を測るとおおむね正常値です。
家庭用血圧計
夜中にまたコメを6合ほど水につけていたので、注意しました。 コメを無駄にする
紙オムツ代といい、コメ代といい、移動の際の車両交通費といい、介護利用料、自費の宿泊代など介護関連の費用がかかります。
それでは今日はこの辺で。今日は午後に木沢診療所受診です。

みなみの梅やん介護日誌 日曜日の梅やん

2019-05-20 00:55:37 | 日記
昨日は小雨が降り続きました。10時に遅い朝食をとり、1時に昼食、6時半に夕食を食べました。
五月雨の庭
私は『認知症疾患診療ガイドライン』という本をまとめて読んでみました。


本によると、軽度認知障害という記憶障害の状態があるようです。「アルツハイマー病では軽度認知障害の状態は認知症という最終段階に至るまでの一段階に過ぎないため、認知症の状態と明確に区別することは困難な」とも書いてあります。「アルツハイマー病は、軽度認知障害に至った状態ではアミロイドベータおよびリン酸化タウの脳内蓄積が完成しつつある段階である」と。
そしてアルツハイマー型認知症の脳の画像の特徴としては、「アミロイドの蓄積は発症の15年前から認められることが報告されている」と。
洗い物をする梅やん
梅やんの場合には、軽度認知障害という時期が平成19年ごろ、2007年ごろ、78歳ごろだと思います。日記や家族の話から発症の4年前に長谷川式の認知症検査を受けており、毎年28点を取る状態が82歳まであります。その時期には、梅やんはうつ病の様な訴えが多くありました。不安神経症のように、正月休みなのに多動で不安なことをしゃべり回り、休もうとしない事もありました。それに対する薬を飲んでいるようでした。
用事をする梅やん
私はその時期には55歳で、母親は1人暮らしできるところまで行くしかない、と考えていました。今から12年前の話。
四季美谷温泉の大岩

さて、これからどうなっていくのでしょうか。
夕方、私は1人で四季美谷温泉にいてきました。82歳引く15は67歳、アミロイドベータがたまり始める歳か?私も。温泉客は少ない日でした。テレビでは、新大関貴景勝が膝の怪我で休んで再出場したのに、負けました。
一日中、雨が降り続きました。日曜日の梅やんは、台所で洗い物をし、チイおばに40分くらいの長電話を掛けて同じ事を繰り返し話してみたり、釜からご飯を丼に移し新たにコメを炊こうと探してみたりして、休んではいません。今は真夜中です。梅やんを一旦起こし、夜用の紙オムツをさしてまた寝させました。
それでは今日はこの辺で。

みなみの梅やん介護日誌 土曜日の梅やん

2019-05-19 04:20:30 | 日記
昨日は午後1時過ぎに実家へ着きました。途中、神山の「岳人の森」にうどんを食べに入ると、お客さんがいっぱいでした。三好市井川町からの知人に入れ替わりに会い、遠く青森から来たらしい別の人も居ました。私が早く帰って来たのは三好市の農家からウコッケイ原種のオスをもろうて来たからです。
白いウコッケイ原種
すでにウコッケイ雑種のメスが3羽居ます。オスがいることで元気になり卵を多く産んでくれるとありがたいのです。
木沢は小雨が降り、風も吹いていました。半日、梅やんを観察して居ますと、庭をウロウロしたり、家の中でウロウロしたりで、少しも落ち着いて居りません。面白いことには梅やんが、「ニワトリは『オッカーサーン、オッカーサーン』と鳴くのう」と言ってニコニコしていることです。
家中では、柱の状差しからお気にいりの写真と古い年賀状を引っ張り出して来て、いつまでも見ています。かと思えばウトウトと座ったまま寝ています。
2010年7月リキさんの法事の写真と年賀状
土曜日の朝の薬は、私が着いてからおやつを食べさせた後に飲ませました。この時、梅やんが言いました。「モリは久しぶりに来たらよう太っとるのう!」と。私は昨日の朝にこの家を出たのですがねえ。
有り合わせのもので夕食を済ませて私は先に寝ました。
午前3時に梅やんがトイレに行きました。尿パットを交換してパジャマに着替えて、また寝させました。

パジャマに着替え
今日は日曜日です。特に用事は有りません。お天気はどうなんでしょうか。それでは今日はこの辺で。


みなみの梅やん介護日誌 徳島の「地方創生」

2019-05-18 02:56:11 | 日記
昨日は私の移動日でした。梅やんを坂州のデイサービスに送り、農協の店で梅やんの弁当を買い来て、洗濯物を干してから木沢の実家を出ました。新緑の季節です。
オオトドロの滝
オオトドロの絶壁
子供の頃、毎日の通学路にこのオオトドロノタキがありました。ガードレールが無くて恐い道でした。
釜が谷のフジ
藤の花
剣山スーパー林道との分岐点
神山町上分中津のカフェ ブロンクトンデポでカレーライスの昼食を食べました。
一昨日、5月16日の徳島新聞朝刊の読者の手紙に2人の投稿がありました。
一つは『Uターン7年母と生活充実』という、大阪府吹田市の井内雅仁さん、68歳の方です。会社を早期退職して実家に単身帰り、95歳までお母様を世話されました。49日を終えたら徳島から大阪に帰るという。
もう一つは『59年前 親切な男性の思い出』という、紙本のクニやんの事を書かれた徳島市福島の佐々木功先生、82歳の投稿です。当時、沢谷中学校では私の姉セツが佐々木先生に教えていただきました。梅やんは紙本のクニやんと一緒にデイサービスに長く同じ車で通っていて、梅やんの実家に毎回寄ってくれていました。紙本さんは102歳です。
梅やんは95歳まではあと5年あり、102歳まではまだ12年有ります。徳島は環境の良いところです。田舎の実家は高齢者が長生きできる最高の施設です。空き家にしないように実家を活用して在宅介護をする人々が多くなれば、地方創生になりますね。
今日、私は昼過ぎに木沢の実家に帰ります。それではこの辺で。


みなみの梅やん介護日誌 アイスクリーム

2019-05-17 06:54:47 | 日記
「今日は居るんこ?心配して。7時来とるぞ」と梅やんが私の部屋のふすまを開けました。朝は私が寝ていると、このように見に来る梅やんです。今日は私の移動日です。明日の朝はここにはいないのですが、多分梅やんは朝にはこのように見に来るでしょう。
昨日は、夕方、梅やんをデイサービスまで迎えに行き、チイおばの家に寄り、野菜のおかずをもらいました。お天気が良くて、向かいの黒滝山と西みね山がきれいです。買っていったアイスクリームを3人で食べました。
黒滝山
西三子山
アイスクリーム
隣から「今日は日曜こ?居らんのか?」と、この日誌を書いている今も梅やんの声がしました。デイサービスに行く日か、日曜か、を知ろうとしているのでしょう。
昨日は家に帰ってから、最後のお茶を鍋で炒り、梅やんが手でもみました。その作業をしながら梅やんは「梶屋の姉が死んだようだが、言うて来んから行かんでもええか」と言いました。カイジャのネエは梅やんの一番上のきょうだいで20年近く前に亡くなった人です。
製茶が出来上がり仕舞おうとすると、梅やんが「婆やんの分も十分あるのう」と言いました。どこの婆やんぞ、と私が問うと、「うちの婆やん、タテイシの婆じゃ」と言います。タテイシの婆さんは53年前に梅やんがこの家で世話をして亡くなった人です。昔の作業をする時に昔の事がよみがえるかのようです。前後が分からなくなる病気のアルツハイマー型認知症です。
さて、先日の介護日誌の続きですが、平成23年10月から平成30年4月までの7年間は、三好市井川町の私の自宅にて住み込み、毎日近くのデイサービスにお世話になりました。毎月1〜2回は木沢の実家に連れ帰り、木沢診療所と木沢のデイサービスに通いました。毎月仏壇を拝みに帰ることにしていました。
それで今日に至っています。梅やんは82歳からまもなく90歳に、私は59歳からまもなく67歳になります。これも多くの皆さんに支えられてのことです。有難いことです。
それでは今日はこの辺で。