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天国に一番近い島? 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(56)

2024-06-08 05:32:05 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(56)

天国に一番近い島?

ニューカレドニア

 

 

▲放火により燃えさかるヌメア市街

 

 フランス領ニューカレドニアで大規模な暴動が発生した。5月13日のことである。テレビ画面には、暴徒によって放火された街や路上に放置され燻っている自動車などの映像が流れ、アナウンサーが淡々と暴動の背景を説明する。

 そんな信じがたい光景を目にして、台北駐在時代の1992年頃に家族旅行で訪れた彼の地の光景が脳裏に浮かんだ。しかし、それは意外なことに、美しいビーチや珊瑚礁、荘厳な夕焼けなどではなかった。

▲ニッケル鉱山

▲内陸部に広がる赤茶けた大地

 

 ヌメアのトントゥータ空港からホテルに向かうバスの車窓から見る海は、ニッケル精錬所から出る廃液に汚染されたのか、赤茶けた色に濁っていた。寂れた街道沿いには、小規模なニッケル採掘場が点在し、重機やコンベヤーがうなりを発している。
 島の内陸部は、山火事で広範囲の山林が焼失し、鉄分を多く含む赤い土がむき出しの状態だ。ちょろちょろと流れる小川の水も、土に含まれる鉄分のせいなのか赤い。
 ホテルの従業員やヌメアの街で見かけるカナック族(ニューカレドニアの人口の44%を占める先住民)の人たちの多くは、南洋の住民には似つかわしくない、もの悲しげで憂鬱そうな表情を浮かべている。今回の暴動を目の当たりにして、当時、私がニューカレドニアで直観的に感じた暗い負のイメージの正体がおぼろげながら分かった気がした。

 中高年の多くの日本人の脳裏には、昭和44(1966)年に出版されてベストセラーになった森村圭の旅行記『天国に一番近い島』の次のようなイメージがすり込まれているのではないだろうか。
「花が咲き乱れ果実がたわわに実る夢の島、神様にいつでも逢える島。働かなくてもいいし、猛獣や虫もいない…そんな天国にいちばん近い島が地球の遥か南にある…」
 この小説の舞台となったウベア島やニューカレドニア本島から南東に小型飛行機で30分ほどのイル・デ・パン島(Ile des Pins=松の島)等には「天国に一番近い島」と呼べそうな美しい夢のような景色が広がっている。Ile de Pins のIleは「島」という意味なので、「イル・デ・パン島」では「松の島の島」になってしまう。それに松の木のように見える美しい樹木は松ではなく、ナンヨウイトスギなのだが…。
 

▲ナンヨウイトスギと椰子の木が並び立つ

▲イル・デ・パンのピッシンヌ・ナテュレル(隆起した珊瑚礁に海水がせき止められてできた入り江で、まさに天然プール)

 

 ニューカレドニアには、美しく広大な珊瑚礁があり、最南部には多くの固有種の植物が繁茂し、世界有数の生物多様性を誇る自然に恵まれている。しかし、一方では、大規模な露天掘りによるニッケル鉱山開発のために、1600haに亘る森林が伐採され、先住民のカナック族は住んでいた土地を奪われた。

 その土地にニッケル精錬所、港湾荷役設備、精錬廃棄物を貯めるダムなどを建設するためである。ニッケルの掘削量は、年間600万トンに達するという。そのニッケルから6万トンの酸化ニッケルが生産されているのだ。
 
 ニューカレドニアの産業は、ニッケル輸出、観光業、そして水産業の3つしかない。ところが、皮肉なことにニッケル鉱山開発によって環境破壊が進み、鉱山廃棄物が川を赤く染め、海は汚染され、観光業にも水産業にも深刻な影響を与え続けている。
 何よりも、カナック族は、住む場所、生活、文化さえ奪われ続けてきたのだ。彼らは長年に亘り鉱山開発に反対してきたが、EVブームによるバッテリー需要を満たすため、開発を阻止することはできない。
 ちなみに2023年のニューカレドニアのニッケル生産量は21万トンで、世界の6%を占めた。その大部分は日本に輸出されている。つまり我々もニューカレドニアの環境破壊と無縁ではないのだ。
 更に、ニューカレドニアのニッケル産業労働を担ってきたのは主に熊本や沖縄からやってきた日系移民だったことも忘れてはならない。第二次世界大戦が始まるまでに5581名の日本人男性がニューカレドニアに渡り、現地の女性と結婚した。現在、日本人移民の子孫は8000人前後いるらしい。

 さて、今回の暴動に話を戻そう。
 今年の2月頃からカナックの独立派による大規模なデモが散発していた。詳しい説明は省くが、要は、近年独立派が過激化しているのにも拘らず、フランス政府が先住民以外の投票権の拡大を許す新たな法律を強行に成立させようとしたのが暴動に火を付けたのである。
 今回の暴動で、放火や略奪に手を染めたのは、15−25歳の青年層だ。日本では、人口減少が問題となっているが、ニューカレドニアを含むメラネシアでは、逆に人口増加によって雇用吸収ができなくなり、大きな社会不安を引き起こしている。ニューカレドニアの青年層の失業率は46%(2020年)というから深刻だ。

 ニューカレドニアの人口はわずか27万人(内ヌメアに10万人)。人種構成はメラネシア系(カナック族)が最も多く44%。次いでフランス人を中心としたヨーロッパ系34%、その他タヒチやバヌアツ、ウォリス、インドネシア、ベトナム、中国、日本などの人々で構成されている。いずれにしても、人口の34%を占めるヨーロッパ人の支配が続く限り、安定した社会を維持するのは益々困難になってゆくに違いない。
 
 さて、堅い話はこれくらいにして、我が家のドタバタアドベンチャーツアーについて書いてみたい。
 現地で私たち家族は、フランス系会員制リゾートクラブのクラブメッド(Club Med)に宿泊した。クラブメッドは、宿泊費、現地での送迎サービス、アルコール飲料を含む食事などがパッケージ料金に含まれており、お金の心配をせずに楽しめる仕組みだ。それに、現地スタッフが滞在中の面倒を見てくれる。

 食事は8人(10人だったかも)のテーブルに自由に座り、世界中から集まったゲストやスタッフたちと会話を楽しむのが、クラブメッド・スタイルだ。しかし、ある日傲慢なフランス人女性スタッフのせいで不愉快極まりない思いをした。

 私の家族4人は、フランス人とオーストラリア人の4人のグループが座っているテーブルに加わろうとしていた。すると、そのフランス女が来てこう言った。
「あなたたちのテーブルはあちらです」
 その一角には、日本人の団体が座っていた。私は、冷静に彼女に伝えた。
「キミはいったい、何を言っているのだ。ここは何処に座ろうと自由な筈だ。私たちは、彼ら(フランス人とオーストラリア人)と話をしながら食事がしたいのだ」
 予期せぬ私の反応に、彼女は少しうろたえながら答える。
「いえ、普通、日本人は外国人と話をしないので、日本人同士で固まって座った方がリラックスできると思って…」
「大きなお世話だ。私たちは、ここに座る!」
 私は、そう言い放って腰を下ろした。
 家族らは、ヒヤヒヤしながら私を見ていたが、娘二人は「お父さんカッコいい」と褒めてくれたので、私は、照れ隠しに無表情を装って、「ああいう無礼者は許さない」とクールに呟いた。
 彼女が日本人を舐めてかかっているのは、その口調や物腰から明らかだった。あまりに不愉快だったので、翌日、私は支配人に礼儀正しくことの顛末を説明し、こう言った。
「私はクラブメッドのファンだが、このクラブの接客態度には、改善の余地がありそうですね。私の思い違いかも知れないが、彼女の態度には人種差別的意図のような感じました」

 私の不満にフランス人の支配人は、「彼女には、厳重に注意しておきます」と頭を下げた。フランス人にしては、なかなかまともなヤツだった。

 そんないきさつがあったが、私たちはクラブのオプショナルツアーのヘリコプターで島の内陸部にまで飛び、ランドローバーで帰ってくるという「アドベンチャーツアー」に参加した。
 私たちを乗せたヘリは、波しぶきがかかるほど海面スレスレを飛んだかと思えば、今度は山肌に沿って頂上まで一気に駆け上がり、谷に向かって急降下する。まるで、フランシス・コッポラの映画『地獄の黙示録』のワンシーンそのもの。攻撃的な気分をかき立てるワグナーのワルキューレの騎行をバックグラウンドミュージックに飛ぶ戦闘ヘリに乗っている心地だった。

 

▲ヘリコプターのアクロバット飛行を楽しんだ

 

 人里離れた内陸部に到着すると、ランドローバーが待ち受けていた。案内人は、陽気なハゲ頭のフランス人ジャンピエールだ。河原でバーベキューを楽しんだ後は、赤茶けた山肌の急勾配のオフロードでのジャングル・トレイルが待っていた。ランドローバーでジャングルの中を駆け抜ける。まるで少年に戻ったかのように、ワクワクの連続だった。途中、フランスからの流刑者を収監していた監獄に立ち寄った。陰気な場所だったが、絞ジャンピエールは、絞首刑にされる受刑者の真似をして私たちを笑わせくれた。


▲ランドローバーでジャングル・トレイル

▲絞首刑にされる流刑者の真似をするジャンピエール

▲流刑者を収容していた監獄
 
 こうしてニューカレドニアの美しい海と自然を満喫はした。が、同時にニッケル採掘による環境破壊の現場、悲しげなカナックの人たちの眼差し。そして今回の暴動。はたしてニューカレドニアは本当に「天国に一番近い島」なのか。少なくとも先住民カナックにとって、ニューカレドニアは絶対に「天国に一番近い島」などではないだろう。

  

             

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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