今年2月6日、世界的名指揮者の小澤征爾が死去しました。彼の父親は満洲国と深いつながりがある小澤開作です。近現代史研究家の田中秀雄さんは、小澤開作夫人や他の兄弟とも面識があり、『石原莞爾と小澤開作―民族協和を求めて』(芙蓉書房出版)の著作もあります。そこで本ブログでも「父親の小澤開作は満洲建国の功労者だった! 世界的指揮者の小澤征爾逝去に想う」という題の一文を2月20日に寄稿してもらいました。ところで、70年安保闘争を前にして大学紛争の嵐が全国の大学に吹き荒れたとき、学園正常化を目指して起ち上がった組織があったことをご存じでしょうか。日本学生同盟(日学同)です。つい最近、その機関紙「日本学生新聞」の創刊号を田中さんが入手し、小澤開作が日学同を応援していたことを改めて確認しました。小澤開作・征爾親子の名刺広告が載っていたからです。そこで急遽、田中さんに再編集した増補版を寄稿してもらいました。
小澤征爾の父親は民族派学生運動の支援者だった!
小澤開作の満洲人脈と日本学生同盟との関係
田中秀雄(近現代史研究家)
▲小澤征爾の父親・小澤開作
小澤征爾さんが亡くなりました。いろんなことを思い出します。
私は彼には会ってませんが、彼の母親のさくらさん、兄弟の俊夫さん、幹雄さんには会っています。長兄の克己さんは早死にし、お父さんの小澤開作さんは昭和45(1970)年に亡くなっているので、私は会っていません。九州の田舎に住んでいたので。
征爾だけが「異様な」名前だけど、お父さんの小澤開作が尊敬していた軍人の石原莞爾と板垣征四郎の名前から一字ずつ、もらっています。征爾が生まれたのは昭和10(1935)年、当時満洲国の奉天(今の名前は瀋陽)で、満鉄経営の満洲医科大学で生れています。この病院のほとんど真向かいに、当時の彼の家族が住んでいました。
▲小澤征爾が生まれた満洲医科大学(奉天、現在の瀋陽)
北京で小澤開作と取っ組み合いの喧嘩をした小林秀雄
大正時代に満洲に渡っていた小澤開作は、満洲建国の一翼を担った人物です。
昭和7(1932)年6月、満洲国を早く承認しろと、当時の齋藤実首相にも会いに行っています。満洲国の顕官の美人娘二人も使節として連れていました。
▲支那事変が始まると、小澤は北京に新民会を作って、北支の民衆救済に当たろうとした。満洲国の首都、新京に出かけた際のインタビュー記事。彼は「開策」という筆名を用いていた。(『大新京日報』昭和13年1月21日付)
昭和11(1936)年に、小澤開作は北京に住居を移し、そこで政治活動をするようになります。通常そこは「小澤公館」と呼ばれていました。
小林秀雄や林房雄らの文学者たちも顔を出す有名なところだった。ここで小林は小澤開作と取っ組み合いの喧嘩をし、林房雄は、小澤をモデルにした人物が登場する長編小説、『青年の国』を満洲建国十周年記念作として書いています。「青年の国」とは、むろん満洲国のことです。
私は西暦2000年の秋に、ここを訪ねました。四合院作りの伝統的な家屋です。
▲中庭がある典型的な四合院昨り
北京の「小澤公館」に住んでいた友枝英一とは
博多に崇福寺という禅宗の寺がありますが、ここにはあの頭山満らの玄洋社の人達の墓があります。そこには友枝家の墓というのもあり、私がお世話になった友枝英一さんの墓所でもあります。友枝さんは父の時代から玄洋社の一員でした。
▲崇福寺の頭山満と来島恒喜の墓(福岡教育連盟の【福岡歴史探訪 第15回~崇福寺・玄洋社墓地~】より
余談ですが、父親の友枝英三郎は、来島恒喜が生前、最後に会った玄洋社員でした。むろん、来島は大隈重信外務大臣の条約改正交渉に反対して、大隈の馬車に爆弾を投げつけて、その場で自決した玄洋社の青年です〈明治22(1889)年〉。
▲玄洋社の来島恒喜
▲来島恒喜の命日(10月18日)に、谷中墓地にある来島の墓に水をかける友枝英一さん
友枝さんは、昭和12(1963)年に、「北京の小澤を助けに行け」と言われて、海を渡った若者でした。友枝さんは小澤公館に一部屋をもらい、「朝から大きな声で中国語を勉強していた」と、私は小澤夫人のさくらさんから聞きました。
さくらさんは、子供の教育のために、子供たちを連れて昭和16(1941)年頃には日本に戻りますが、それまでは友枝さんも小澤家の子供たちと遊ぶこともあったそうです。小澤開作が帰国するのは昭和19(1944)年になってからです。
私の書いた本にもその家の写真が出てきます。戦前の古い北京の地図を友枝さんに見せて、「小澤公館はどこですか」と聞くと、「ここだよ」と懐かしそうに指で指していましたね。北京は広い…。
急逝したのは三島由紀夫自決の4日前
戦後の小澤開作のことも書いておくべきでしょう。
生業の歯科医のかたわら、ベトナム戦争の行方を心配してアメリカに行ったり、日本学生同盟(日学同)の若者に期待して、エールを送り続けていました。既に征爾さんは世界的な指揮者となっていましたが、その父の若き日の情熱は晩年になっても変わりませんでした。
心臓病で急逝したのは、昭和45(1970)年11月21日のことです。あの三島由紀夫事件の4日前、くしくも自決の日が小澤開作の葬儀でした。征爾さんはアメリカにいて、自分が帰るまで、葬儀を延してもらっていたからです。
《編集部註》日本学生同盟(日学同)とは、民族派学生組織 の一つ。 昭和 41(1966)年、左翼学生に支配された早稲田大学 の正常化を目指して「早稲田学生連盟」が 結成される。それがきっかけで、同年11月に「反民青」「反全共闘」の狼煙をあげて全国組織の日学同が誕生した。翌年には機関紙「日本学生新聞」(早大生の宮崎正弘が編集長)も創刊し、「学園正常化」だけではなく、戦後日本を支配した「ヤルタ・ポツダム体制の打破」「自主憲法制定」「自主防衛体制の確立」をスローガンにした新民族主義を訴える。三島由紀夫、林房雄、村松剛、黛敏郎など文化人の支持も得て全国の大学で運動を展開した。三島由紀夫・森田必勝事件の後、三島由紀夫研究会を設立、「憂国忌」を毎年行う。また大東亜戦争で戦死した出陣学徒の慰霊祭も慶応大学をはじめ全国の各大学で執り行っている。
▲満洲事変の起点を作った満洲青年聯盟の関係者の戦後の集まり。右端に小澤開作。左端に立つのが盟友の山口重次。中央に黒い背広で座るのは、片倉衷元関東軍参謀(満洲事変当時)
極左過激派学生と戦う日本学生同盟を応援した小澤開作
ここに、小澤開作が日学同を応援していた確かな証拠があります。日学同の機関紙『日本学生新聞』創刊号(昭和42年2月7日付)の名刺広告です。小澤開作の右隣りに小澤征爾の名前もあります。おそらく三島由紀夫との交遊からもありましょうが、父親から「日学同の若者たちは中々やっているぞ」と聞いていたのかもしれません。
▲『日本学生新聞』創刊号の名刺広告上段に小澤開作・征爾親子の名が
この名刺広告を見ていて、様々なことが思い浮かびます。まず、満洲関係の人物が多いということです。山口重次は小澤開作の盟友、二人は日学同の学生たちに満洲事変やその後の建国に関してレクチャーをしていたのです。共に石原莞爾の側近というべき人物ですが、もう一人、渕上辰夫という名前が出てきます。これはおそらく「渕上辰雄」の誤植でしょう。
彼もまた石原莞爾の側近中の側近でした。満洲事変後に日本軍の軍事行動の意味を中国民衆に宣撫するための「宣撫班」という組織が作られますが、満鉄に勤めていた渕上は宣撫官として、これに入ります。宣撫班の中心となったのは、これまた石原を尊敬していた八木沼丈夫で、彼の作った歌『討匪行』は大ヒットしました。しかし支那事変の泥沼化で、「これはいかん」と思った渕上は石原の門を叩きます。そして彼の側近となるのです。
渕上の出身地は福岡県の飯塚市。隣りは佐賀県ですが、たまたま5・15事件で刑期を終えた三上卓が佐賀県に帰郷しており、渕上は三上と面識を持ち、親しくなった彼を石原の東亜聯盟運動に引き入れようとします。
石原と三上の面会の日は、はっきりしていませんが、昭和17(1942)年の暮れ近くでした。お互いにいい印象を持ったことは事実で、終戦後、最初の東久邇内閣に顧問として入閣するよう要請された石原は体調を理由に断り、その代わり、宮内大臣候補に三上卓を推薦したのです。これは石原宅(山形県鶴岡市)で東久邇からの電話をそばで聞いていた人の私への直話です。実現はしませんでしたが。渕上は向井敏明とも昵懇だったようで、手紙のやり取りがありました。
第16師団の将校だった向井は、師団長だった石原にぞっこん惚れ込んでいました。戦後、南京攻略戦における「百人斬り競争」という、戦意高揚というだけの嘘八百の与太記事を基に、南京雨花台で処刑されることになる人物です。彼の遺書には、中国で処刑されることを石原に伝えて欲しいと書かれています。悲しいというしかない筆致と文章でした。
▲向井敏明の遺書
▲嘘八百の新聞記事は今も変わらない?
岩畔豪雄(いわくろ ひでお)の名前があるのも面白い。この岩畔は当時、京都産業大学の理事でした。同大学の世界問題研究所長ですが、元々は少将まで行った軍人です。石原莞爾と東條英機の仲の悪かったことは有名ですが、岩畔は剛直な人だったようで、陸軍省軍事課長時代、二人の間を取り持とうとしたことがあります。
彼が亡くなったのは、小澤が亡くなった次の日でした。渡辺明は、日教組に対抗して作られた日本教師会の事務局長ですが、彼の書いた『満洲事変の国際的背景』(国書刊行会)は名著です。私も多大な影響を受けました。
さて、小澤開作は山梨県の笛吹川沿いの寒村で生れています。向学心を持って東京に出て、歯科医師の免状を取ったという苦学生でした。その学資を稼ぐために、なんと「艶歌師」として、バイオリンを持って街頭に立っていたという。その美声は晩年になっても衰えることはなかったそうです。
彼の音楽的才能は征爾さんに受け継がれたのだと北京時代からの友人、劇作家・青江舜二郎は書いています。宣撫官でもあった青江は、偶然ながらも、林房雄や小林秀雄を小澤開作に引き合わせる役目を負っていた人物です。
■この本も読んでいただきたい!
石原莞爾を「脇役」にして昭和の時代を描く。満州事変に深く関与し、満州国では民族主義者として活躍した小澤開作(小澤征爾氏の父)。彼の足跡をたどると石原莞爾の〈光〉が見えてくる。これまでほとんど取り上げられなかった小澤開作と石原の接点が浮彫りになる書き下ろし。
『石原莞爾と小澤開作―民族協和を求めて』
田中秀雄 著
芙蓉書房出版
定価1,900円(税込み2,090円)
【目次】
序 章 平成の邂逅
第1章 予感と胎動―満洲事変まで
第2章 破壊と創造―満洲事変
第3章 希望と秩序―満洲建国
第4章 変調と不安―支那事変
第5章 昏迷と奈落―大東亜戦争期
終 章 小澤開作の戦後
昭和27(1952)年、福岡県生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。日本近現代史研究家。映画評論家でもある。著書に『中国共産党の罠』(徳間書店)、『日本はいかにして中国との戦争に引きずり込まれたか』『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』(以上、草思社)、『映画に見る東アジアの近代』『石原莞爾と小澤開作 民族協和を求めて』『石原莞爾の時代 時代精神の体現者たち』(以上、芙蓉書房出版)、『優しい日本人哀れな韓国人』(wac)ほか。訳書に『満洲国建国の正当性を弁護する』(ジョージ・ブロンソン・リー著、草思社)、『暗黒大陸中国の真実』(ラルフ・タウンゼント著、共訳、芙蓉書房出版)、『続・暗黒大陸中国の真実』(ラルフ・タウンゼント著、共訳、芙蓉書房出版)、『日米戦争の起点をつくった外交官』(P・ラインシュ著、田中秀雄訳、芙蓉書房出版)、『日本を一番愛した外交官―ウィリアム・キャッスルと日米関係』(芙蓉書房出版)ほか。
【本ブログでの田中秀雄さんの連載】
■「池上本門寺と近代朝鮮」 田中秀雄(近現代史研究家)
2020/01/25~03/07
力道山 日本人を熱狂させたプロレスラー 【新連載】池上本門寺と近代朝鮮①
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花房義質 波乱の朝鮮に初代公使として赴任 【連載】池上本門寺と近代朝鮮②
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岡本柳之助 「大陸浪人」の先駆け 【連載】池上本門寺と近代朝鮮③
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野口 遵 朝鮮に世界最大級のダムを建設 【連載】池上本門寺と近代朝鮮④
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大野伴睦 日韓国交正常化に尽くした保守政治家 【連載】池上本門寺と近代朝鮮⑤
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児玉誉士夫 アメリカの落とし穴にはまった国士 【連載】池上本門寺と近代朝鮮⑥
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町井久之 日韓政財界に人脈を広げた最強の黒幕 【連載】池上本門寺と近代朝鮮(最終回)
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【関連】閔妃殺害事件で田中秀雄氏が新資料を発見!
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【本ブログでは田中秀雄本の書評も】
●《注目の書籍》日米戦争の起点をつくった外交官
https://blog.goo.ne.jp/46141105315genkigooid/e/c0b04a5276a3826c2f81825f241c62b9
●《注目の書籍》日本を一番愛した外交官 ウィリアム・キャッスルと日米関係
https://blog.goo.ne.jp/46141105315genkigooid/e/c461c062eb1b420f4285d3660bd8722e