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パナマの隣国は「富める海岸」 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(53)

2024-05-11 06:20:51 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(53)

パナマの隣国は「富める海岸」

モイン、プエルト・デ・リモン(コスタリカ)

 

 

 今回の主題は、コスタリカなのだが、隣国のパナマの地図を眺めていると、運河について書かずにはいられなくなった。世界には、2つの超重要な運河がある。スエズ運河とパナマ運河だ。両運河は現在、それぞれ深刻な問題を抱えている。

 まずスエズ運河だ。地中海と紅海を繋ぐスエズ運河は、ペルシャ湾岸の産油国から欧州に運ばれる原油・天然ガス輸送の要だ。また、ロシア産のエネルギー資源をアジアに運ぶルートとしても重要である。
 世界の海上貿易の約10%を占める重要ルートだが、以前からソマリア沖とアデン湾での海賊行為に悩まされてきた。それに加え、紅海とその周辺でイエメンの反政府勢力、フーシ派によるタンカー攻撃が後を絶たない。イスラエル・ガザ戦争の拡大に伴い、フーシ派がハマスと連携し、船舶の安全運行を脅かしているのだ。
 スエズ運河を通らずに南アフリカの喜望峰を回ると、3週間も余計な時間がかかってしまう。だから、1回当たり4000万円から6000万円に上る法外なの通行料を払ってでもスエズ運河ルートが使われていた。しかし、最近では、カネより安全を優先して喜望峰ルートに選択する開運会社が増えている。

▲フーシ派に攻撃されるタンカー(インド海軍のXより)


 一方、パナマ運河も円滑な運用が難しくなってきた。地政学的要因ではなく、水不足が原因だ。パナマ運河は全長80キロにおよび、太平洋と大西洋を行き来するには、途中で海抜26メートルの湖を横切らなければならない。
 そのため、途中幾つかの閘門(こうもん=ロック)と呼ばれる水門で船を上下させながら航行するのだ。船を1隻通航させるには、なんと1億9000万リットルの水が必要である。

 だが、この水を供給している運河中央部のガトゥン湖の水位が2メートル近く低下し、十分な水量を閘門に供給できなくなってしまった。従来、パナマ運河では、1日に36隻の船が通航できたが、現在は24隻に制限されている。
 現在、少しでも早く運河を渡りたい開運会社を対象に通航権がオークションにかけられ、その金額は250万ドル(1ドル=150円換算で3億7500万円)にまで跳ね上がった。

▲干上がりつつあるガトゥン湖(画像提供/パナマ運河庁)


 日本は、米国、中国に次いでパナマ運河を利用している国で、現在の状況は日本の物流にとって死活問題なのに、パナマ運河に関する報道を見聞きしたことはない。
 最近の物価高の原因は、国際的な原材料価格の高騰や円安による海外からの輸入コストの増加のせいだと説明されるが、スエズ、パナマの両運河が機能不全に陥っていることも主要因の一つだという事を忘れてもらっては困る。

 スエズ運河問題は地政学上のもので、パナマ運河の問題は気候変動に起因するものだ。いずれにせよ、世界貿易の攪乱要因であることに違い
はない。
 両運河を通航する貨物量は3割以上落ち込んでいる。多くの船舶が長距離の迂回ルートを選択せざるを得ないため、輸送日数と輸送コストの大幅な上昇を招き、世界経済に大きな打撃となっている。もう少し、スエズ、パナマに目を向けてもらいたいものだ。

 

「ちょっと」どころか、かなり「寄り道」をしたようだ。さあ、コスタリカの話をしよう。
 スペイン語では、Costa Rica と2つの単語で構成された名前なので、個人的には、コスタ・リカ或いはコスタ・リーカと表記すべきだと思っている。コスタ・リカとは、スペイン語で「富める(豊かな)海岸」という意味だ。
 コロンブスが黄金の装身具を身に着けた先住民を見て「コスタ・デル・オロ(Costa del Oro 黄金の海岸)」と名付けたのだが、後に oroが rica に変化したという。

 四国と九州を合わせたほどの面積(5万1000平方キロ)の国土に約500万人が住むコスタリカ。この国に私が出張したのは、1979年12月のことだった。カリブ海に面したモインという小さな街に納入したディーゼル発電プラントのメインテナンスと操業の指導をして欲しいとの要請に応えるためだ。

 プラント建屋に入ると、床やエンジンの表面にはうっすらほこりが積もっている。要所要所の注油が不十分なのか、機械の所々に蜘蛛の巣が掛かっている有様だった。
 何より、エンジン音が滑らかではないことが技術者ではない私にも分かった。同行していたエンジニアが現場のオペレータたちの自尊心を傷つけぬよう丁寧に指導した結果、エンジンは生まれ変わったように、軽快な音とリズムを取り戻した。

 

▲ディーゼル発電プラント(モイン)

 

 それに気をよくしたのか、プラント・エンジニア(名前を失念したのでカルロスとしておく)が首都サンホセの東側近郊のイラス火山に案内してくれるという。

 イラス火山の標高は3432メートルで、晴れた日に山頂に佇むと太平洋とカリブ海、大西洋を見渡すことができる。そんな場所は、地球上に2つとない。自分でも不思議に思えるほど興奮した。

 カルロスの運転するSUVで山頂に着くと、すごい強風で、辺りには濃霧が立ちこめていた。いや、あれは雲の中にいたのかも知れない。強風に煽られ、雲に視界を遮られて肩を落とす私をカルロスが慰めてくれた。
「運が悪かったというより、希有な幸運に恵まれなかっただけのことさ。私だって、快晴に恵まれたことは一度もないんだから…」

 イラス火山からの帰途、夢のような景色の小さな村を通り過ぎた。

 

▲イラス火山の火口の一つ 

▲雲海の中で強風にあおられ情けない顔の筆者

▲イラス火山に案内してくれた電力会社のエンジニア(左)

▲イラス火山で出会った遠足の小学生たち

▲イラス火山中腹の美しい村


 ところで、コスタリカの国旗は、なにやらフランスとロシアの国旗に似ている。特徴的なのは、旗の中心の赤い帯の中に、国章が描かれていることだ。この国章には、まるで絵物語のように、コスタリカの成り立ちが描かれていて面白い。
 この絵の手前がカリブ海で、背景が太平洋だ。中央にコスタリカ領土を表す3つの火山と大航海時代を意味するスクーナ船が描かれている。 そして、太陽は独立を、7つの星はコスタリカを構成する7つの県を表し、最下部に十字状に配置された4つの丸は、征服者を表すクロス(十字架)だという。

 

▲コスタリカ国旗

 
▲コスタリカの国章

 


 わざわざ征服者のシンボルを記していることに私は違和感を覚えるのだが、スペイン系を主とする白人とその混血95%、アフリカ系黒人3%、先住民2%という民族構成や国教のカトリック教信者が85%を占めることに鑑みれば、理解できる気もする。

 私が出張で訪れたモイン発電所から近くのプエルト・デ・リモン(Puerto de  Limón)という小さな漁村に足を伸ばす機会があった。ちょうど伊勢エビ漁の漁船が帰って来たところで、直ぐ側のレストランで取れたての伊勢エビのグリルを楽しむ幸運に恵まれた

 

▲伊勢エビ漁の漁師達 

 

▲漁師の子供たちが珍しそうに私たちに近寄ってきた

 

  コスタリカ本土の南西約500キロの場所にココ島と言いう島があるが、ここは、原初の環境を色濃く残しており、世界的に大ヒットした映画『ジュラシック・パーク』の火山島のモデルとなった島として知られる。
 
コスタリカの国土の4分の1は自然保護区に指定されていて、その恵まれた自然環境を生かして、世界でも指折りのエコツーリズム観光立国を成し遂げた。
 美しく、恵まれた自然環境はコスタリカの最大の財産である。自然保護に熱心なコスタリカ政府は、現在電力の74%を水力で賄い、近年では地熱発電に注力している。

 日本はどうか。世界3位の火山国で、高度な地熱発電技術を有しているが、残念ながら発電容量は世界9位に甘んじているのが現状だ。ちなみに、世界で使われている地熱発電用タービンの70%は日本製である。
 これまで日本は、資金・技術両面でコスタリカと緊密な協力関係を築いてきたが、中米では群を抜く政治的安定と住みやすさを併せ持ったコスタリカとの関係が深化していくよう願っている。
現在、コスタリカに居住する日本人はたった350人だという。もっともっと増えても不思議ではない。

                  

 

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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