白井健康元気村

千葉県白井市での健康教室をはじめ、旅行、グルメ、パークゴルフ、パーティーなどの情報や各種コラムを満載。

次世代露光装置の競争が始まった! 【連載】半導体一筋60年⑥

2024-06-27 05:30:19 | 半導体一筋60年

【連載】半導体一筋60年⑥

次世代露光装置の競争が始まった!

釜原紘一(日本電子デバイス産業協会監事)

 

▲熊本に建設中のTSMCの工場(西日本新聞より)

 

水平分業で台湾TSMCが大躍進 

 1990年代になるとファブレス半導体とファンドリー半導体が生まれました。半導体設計を担う「ファブレス」とそこが設計した半導体の製造(ウエハ工程)を受託して製造する「ファウンドリ」に分かれる水平分業の時代の始まりです。ここで注目を要するのは、受託するのがウエハ工程である事です。というのも、実は組立工程については協力工場に委託する事が一般的だからです。
 品種によって違いますが、1枚のウエハから数百のチップが取れるので、組み立て工程では大量の品物を扱う事になります。自動化ではカバーできない作業も多くあり、協力工場に委託することも。もちろん半導体組立の主力は自動機ですから、組み立てラインにはダイボンダー、ワイヤボンダーなどの自動機がずらりと並んでいます。

 さて、ウエハ工程を受託することを専門とする「ファンドリー」は、1987年に台湾の新竹サイエンスパークに設立されたTSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Company 臺灣積體電路製造股份有限公司)が代表的ではないでしょうか。台湾は当時、半導体産業を振興させて基幹産業にしたいと考えていたようですが、半導体設計を担えるような技術がありませんでした。そこで工業技術院はウエハ工程を受託生産するTSMCを設立した訳です。

 一方、アメリカのシリコンバレーでは、最先端の半導体設計に成功したスタートアップ企業が多く生まれましたが、設計したものを半導体チップとして製造するには膨大な資金がかかるので、既存企業のウエハラインを借りてチップを作るようになりました。
 既存企業もラインに余裕のある時(半導体は好不況が激しいのでラインが空いてしまう事はよくあります)はその依頼を引き受ける訳です。しかし、市場が好転すると自社製品を優先して流すので、スタートアップ企業は思うように自分の製品を流せなくなります。そこに登場してきたのがTSMCを初めとするファンドリーです。
 既存の企業にウエハ工程を委託すると設計アイデアを盗まれる恐れもあります。なぜなら頼んだ企業自身も同類の製品を製造している事が多いからです。その点ファンドリーは自社ブランドの製品を作っていないので、安心できる訳です。かくしてファブレスとファンドリーという水平分業が成立することになりました。

「下請け」を軽く見た日米韓の半導体メーカー

 ところで、1990年代にファンドリーが登場した時の日本企業の反応はどうだったでしょうか。組立工程に於いては、「請負事業は下請け企業が行う」というイメージがあるので、ファンドリーも当初そのようなイメージを持った人が少なくありませんでした。つまり自分では設計できないから、他社設計品のウエハ工程を請け負うしか半導体事業に参入できないのだという受け止め方です。
 台湾の工業技術院も当初はそういう考えだったと思われます。日本企業はIDM(垂直統合型)と言われ、研究開発から設計、ウエハ工程から組み立て工程まで一貫して行っていました。日本企業のみならず海外の大手企業はIDMが多いのです。
 世界的半導体メーカーのインテルやサムスンもIDMです。一方、ファブレスメーカーはアメリカのシリコンバレーを中心にスタートアップ企業として生まれ、ファンドリーを利用して急成長しました。携帯電話向けICで飛躍したクアルコム、ブロードコム、そして今を時めくエヌヴィディアなどが代表的な例です。このようにしてファブレスとファンドリーはお互いが補い合う形で発展したのです。

微細化を追求する半導体

 半導体の進歩は微細化を追求することにより成されてきました。微細化によりチップに搭載されるトランジスタの数は増え(iPhone15に搭載されているトランジスタは190億個あると言われています)、動作速度は速くなり、消費電力は少なくなります。
 我々はスマホのバッテリーがもっと長持ちして欲しいと思うし、動画を見過ぎてバッテリーが無くなってくると、「もうバッテリーが無くなる」と文句を言います。これらの要求を満たすために微細化を追求している訳です。
 微細化のカギを握るのはフォトリソグラフィ技術(写真製版技術)です。そして露光に使用する光もより波長の短いものが要求されます。超高圧水銀ランプによる紫外線から始まり、やがてエキシマレーザーを利用するようになりました。
 現在、最先端の露光装置はEUVL(Extreme ultra violet lithography=極端紫外線リソグラフィ)というものですが、これはオランダのASMLという会社しか作れません。1980年代、1990年代はステッパーと呼ばれる露光装置が主流で、日本のメーカーが優勢でしたか、EUVLの開発競争にニコンやキャノンは負けてしまったのです。

▲ニコンの露光装置ステッパー(ニコンのHPより)

 

▲オランダASMLのEUV露光装置(日刊工業新聞より)

 

次世代露光装置の驚くべき価格

 では微細化とは具体的にどういう事でしょうか。
 ウエハ上に描くトランジスタパターンの最小線幅が、1978年に約3ミクロン(1ミクロン=1000分の1ミリ=百万分の1メートル)、2000年に0.18ミクロン、そして2012年には32ナノメータ(1ナノメータ=百万分の1ミリ=10億分の1メートル)と小さくなってきました(以上インテルのプロセッサーの例から引用)。
 その時に使われた露光装置の1台当たりの価格は1990年前半で約4億円、後半で13億円、2000年代前半で20億円、後半で60億円だと言われています。そして最先端の露光装置であるEUVLの価格は、なんと約200億円だそうです。次世代の装置だと350億円との噂もあります。
 ファンドリー企業は常に最先端のプロセスを提供することにより顧客を確保するように努力します。設計や開発などに力を分散される事も無く、常に最先端のプロセス技術を追求します。そして今や最先端のプロセス技術を持つのはEUVLを導入できるTSMC、インテル、サムスンなどの少数となりました。
 3ナノなどという最先端のプロセスを保有するファンドリーはTSMCだけです。そしてファンドリーに委託するのはファブレスだけではありません。インテルなどのIDMも頼むようになりました。こうして下請け的な存在だった筈のTSMCが主導権を握ったのです。
 では、なぜ日本の半導体が凋落したのでしょうか。答えのひとつは想像ができるでしょう。前回で述べたように微細化競争から日本が降りたからに他なりません。日本では資金は不足しているし、微細化技術の若手技術者も不足しています。2000年代にリストラで技術者をどんどん切り捨てたツケが回ってきたのです。今の日本は周回遅れどころではありません。次回で日本凋落の別の要因について触れましょう。

 

 

【釜原紘一(かまはら こういち)さんのプロフィール】

昭和15(1940)年12月、高知県室戸市に生まれる。父親の仕事の関係で幼少期に福岡(博多)、東京(世田谷上馬)、埼玉(浦和)、新京(旧満洲国の首都、現在の中国吉林省・長春)などを転々とし、昭和19(1944)年に帰国、室戸市で終戦を迎える。小学2年の時に上京し、少年期から大学卒業までを東京で過ごす。昭和39(1964)年3月、早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業。同年4月、三菱電機(株)に入社後、兵庫県伊丹市の半導体工場に配属され、電力用半導体の開発・設計・製造に携わる。昭和57(1982)年3月、福岡市に電力半導体工場が移転したことで福岡へ。昭和60(1985)年10月、電力半導体製造課長を最後に本社に移り、半導体マーケティング部長として半導体全般のグローバルな調査・分析に従事。同時に業界活動にも携わり、EIAJ(社団法人日本電子機械工業会)の調査統計委員長、中国半導体調査団団長、WSTS(世界半導体市場統計)日本協議会会長などを務めた。平成13(2001)年3月に定年退職後、社団法人日本半導体ベンチャー協会常務理事・事務局長に就任。平成25(2013)年10月、同協会が発展的解消となり、(一社)日本電子デバイス産業協会が発足すると同時に監事を拝命し今日に至る。白井市では白井稲門会副会長、白井シニアライオンズクラブ会長などを務めた。趣味は、音楽鑑賞(クラシックから演歌まで)、旅行(国内、海外)。好きな食べ物は、麺類(蕎麦、ラーメン、うどん、そうめん、パスタなど長いもの全般)とカツオのたたき(但しスーパーで売っているものは食べない)


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 空母インヴィンシブルはどこ... | トップ | 快適な対人距離とは… 【連載... »
最新の画像もっと見る

半導体一筋60年」カテゴリの最新記事