浜寺公園でのこども観察会の組み立て
前回のブログで「大きな自然」や地域から離れた場所で行われている自然教室などについて、つながる構想についてふれたかったけど、それはまた後にします。
で、今回は私のベースである浜寺公園での自然観察会の成り立ちについてふりかえりをしたいと思います。
以前私は大阪の自然保護法人の事務局にいて、観察会の企画にもかかわっていたのだけど、その当時、地域での観察会の開催場所として、都市公園での観察会を各所で開催しようと呼びかけていました。公園よりも自然豊かな場所でやりたいという人もいたけど、こどもたちの身近に自然観察の場をつくるという目標と、「その団体のフォロワー」を増やすという戦略で主張しました。
そうした活動の成果か?1998年ごろに大阪府からその法人に「生き物とふれあえる都市公園計画」の策定調査への依頼がありました。そのころ私は事務局を離れていたけど、今までのかかわりからその計画づくりに関わることができました。2000年に計画は完成し、都市公園におけるこどもたちと自然とのふれあい、そして、都市公園における自然フィールドの存在が大阪府の計画の中に位置づけられたわけです。
計画策定が終わってみて、ふと自分自身が地域の自然や自然学習に関わった経験がないことに思い当たりました。それまでは他の人を手伝う仕事ばかりだったわけです。そこで自分の地元である浜寺公園で、「こどもたちと生き物とのふれあいの場」を実現できるか考えてみました。
浜寺公園の基本は大久保利通の一声で残されたといわれる高師浜の松林であり、上木のクロマツと林床の低く刈られた草地という比較的シンプルな環境で、最近はバーベキューの影響か草刈り頻度が高く、あまり生物が多いとはいえませんでした。しかし、一部あまり草刈り頻度が高くない場所にバッタがすんでいることがわかり、ここをこどもたちと生き物とのふれあいの場にできるのではないかと思い、公園に話をしました。当時「生き物とふれあえる都市公園計画」の担当だった人が浜寺公園におられたこともあり、2003年から浜寺公園自然の会の活動をはじめることになりました。
なんだか懐かし話してるみたいな感じですが、どういう考え方の積み重ねと外的条件で今にいたっているかのまとめです。
・・・・・本日はここまで。(写真は浜寺公園自然の会の最初の活動、バッタの原っぱの看板つけ)