前回投稿して、毎日書こうと思っていたのだけど、時間が空いてしまった。その間用事があったこともたしかだけど、一番の理由は「自分の考えをうまく説明できるかどうか不安がある。」ということ。
「いい歳して、何を」と言いたくなる理由だけど、一生つきまとうなやみだと思っている。しかし、今回ブログを思考のツールとして使ってみようと思った理由は、まあ、うまく書けなければまた書き直せばいいさという開き直りをしてみようということなので、とにかく書いてみよう。
こども向けの観察会を開催するにあたって、考えていたことのひとつが、地域にこどもたちが自然観察や自然遊びをすることができる場をつくる ということだった。
なんでそう考えたかということだけど、もともと自分が在籍していた大阪自然環境保全協会は、「都市と自然の共存」というテーマを掲げていて、生活の場に自然を残す、取り戻すということを考えていた団体だった。そこが原生自然の保護をテーマにしていた自然保護団体とは違うところだけど、当時盛んに言われていた言葉でいうと「環境権」の実現ということだったのかもしれない。
具体的に都市のこどもたちのそばから自然がどんどん失われていっているのは誰の目にも明らかだったから、それをなんとかしなきゃということはだれしも思うところだったろう。では、自然の残されているところにつれていきゃいいじゃないかというとそこで問題がある。
どういう問題かというと、「こどもが自発的に行ける場所ではない。」ということ。
身近ではない場所であれば、親かなんらかのグループが連れて行ってやらないといけない。すると、頻度が少なくなるし、こどもが行きたい・これをしたいと思ったときに行けるという自由がないってことになる。それと調べてみると基本的に小学生は小学校区から出てはいけないということになっているとのことだった。
こどもたちを自然のすぐれた場所に連れて行っていろんな体験をさせるということを否定しているわけではないけど、自分の経験を振り返ってみると、家の近くの田んぼで水路のメダカを採ったり、草むらのコオロギを採ったりする経験があったのだけど、親に連れて行ってもらうよりも自分で思い立ったときに自由にでかけていた。自由にでかけ、自分であれこれ考えて自然を探求するそれがベースじゃないかと思ったのだ。
都市の中に自然との触れ合いの場をつくるというと「身近な自然で満足されて大自然の保護がそっちのけになると困る。」って批判を受けたことがあるけど、「ほんとこの人、人の考えをまともにきかないひどい人」と思ったけど、実際そういう心配はないと思う。むしろ、身近な自然で培ったベースがあったからこそ、大自然にふれたときに、そのすばらしさにすっと入っていける。身近な自然はわりとシンプルな生態系だけど、しくみや目のつけどころは教えてくれる。だからいいんだと思う。
それと最初にふれたけど、「こどもたちが自発的に行ける」ことが大事だと思っている。そういう学びの場って意外とないんちゃうかな。
きょうはとりあえずここまでにしとこ。まとまってないけど、見直してまた、書き改めていきます。