はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

浪々歳々 9

2020年05月03日 09時50分25秒 | 浪々歳々
せまい村なのであっという間に噂がひろがり、

「なんだかすごい職人がいる」

というので、老いも若きも、農作業や家事の片手間に、ちょっと足を伸ばしてきて、こわごわと機屋をのぞきにやってくる。
ほかに娯楽のない農村であるがゆえに、盛り上がり方もはんぱではない。
その指の、素人離れした動きに感心した村人たちが、
「都から落ち延びてきた先祖代々の職人ではないか」
「ただの職人にしては立派すぎる。あれは養蚕の女神の遣いだ」
といった的外れな噂を好き勝手に口にしては、それぞれ想像をふくらませ、家に帰って行く。
家路に帰る途中で、空想は止まらなくなるらしく、さらに尾ひれ・せびれ・コバンザメまでくっつけた話を家族にするものだから、次の日になると、観衆はさらに増えだした。

ひまな老爺たちは、機屋の外の日の当たる場所に陣取り、したり顔をして、あらたにやってくる村人に解説をはじめる。
いま糸を取り替えただの、鳳凰の羽根の部分にとりかかっただの、疲れて肩を回しているだの…
なにより厄介なのは、集落のどこにでもいる悪ガキたちで、彼らが、戸口の外にまるっきり眼を向けない孔明の気を引くために、石を投げようとするのを止めるのが、馬良の仕事になっていた。

孔明の『天才の技には集中が必要』、という言葉は本気であった様子で、もともと集中力が高いのであるが、それを極限まで高めて、機織に向かっている。
もともと、ちゃらんぽらん、という言葉とはほど遠い性格であったが、馬良は、これほどすさまじい集中力を見せる孔明を初めて見た。
真剣なあまり、鬼気迫っている。

ときおり、なにが可笑しいのか、布をじっと見つめたまま、くすくすと声を立てて笑うのであるが、それを見ると、村人たちと一緒に、馬良もぞおっとして、思わず戸口から身を引いてしまう。

孔明の悪い癖として、ひとたび集中をはじめると、寝食を完全にわすれるのであるが、このときもそうであった。
馬良は何度も声をかけたが、孔明は返事すらしなくなる。

花嫁と花婿の家族は、見知らぬ人がこんなに頑張ってくれているのに、自分たちばかりゆっくりしているのは悪いから、と、
食事も寝所も湯も、こまめに世話をしてくれるのであるが、その恩恵にあずかっているのは馬良ばかりであった。
彼らにしてみれば、助けてくれる、というのはありがたいけれど、
やはり見ず知らずの人で、その腕もよくわからないから、信用してよいのか、それとも覚悟を決めねばならないのか、どちらにしてよいのかわからずに、祈るような気持ちでいるらしい。

例の花嫁も、落ち着かずにそわそわと機屋にやってきては、作業を見にやってくるし、花婿のほうも、馬良と一緒に、孔明の作業の邪魔にならないように、村人たちがあまり騒がないように注意をしている。
馬良は馬良で、孔明が集中のあまり、途中で体を悪くしないだろうかと心配をしていた。
そうならないよう、少しでも孔明を休ませようと思うのだが、孔明は、何を言っても気の無い生返事ばかりをかえしてくる。
それでまた、花嫁花婿一家は、よい職人にありがちな偏屈さかげんであるが、体はほんとうに大丈夫だろうかと、不安そうにする。
そんな周囲の不安と期待を一身にあつめつつ、孔明は機織に向かっているのだ。
どこにいても、みなの視線の中心にいる人だな、と馬良は感心する。

司馬徳操の私塾でもそうであった。

ほかの門弟たちが、お互いの暗記の知識を披露し合ったり、薀蓄を披露したりしているときでも、孔明は、人の輪からはなれて、書を読みふけっていた。
兄弟子たちは、からかって、それほど集中して読んでいるのならば、すっかり暗記をしてしまっただろうと、孔明に書物の暗誦を要請するのであるが、孔明はそれを鼻で笑い飛ばし、

「暗記? なぜそんな無駄なことに貴重な時間を使わねばならないのだね。
それよりも、この書物を書いた先人が、われらに何を伝えようとしているのか、そのことについて尋ねたまえ。だから君らは駄目なのだ」

と痛烈にやりかえす。
しかし、最後のひとことが余計であった。
激昂した兄弟子は、孔明の胸倉をつかみあげ、孔明はそれを乱暴に払いのける。
「なんだ」
「やるか」
の売り言葉、買い言葉で、例によって喧嘩がはじまる。
徐庶は、その場にいても、ぎりぎりになるまで(孔明が気絶する寸前まで)止めに入らなかったので、止める役はいつも馬良であった。
とはいえ、止めようとして、止められたことは一度も無く、どころか、喧嘩の輪に巻き込まれ、だれにも手出しをしていないのに、ぽかりとやられて、輪の外につまみ出されるのが常であった。
そうして、数倍にも顔が腫れあがった孔明と一緒に、並んで小川へ顔を冷しに行くのである。

しかし、こんなことを繰り返しながらも、門弟たちの視線の先は、いつも孔明であった。
生意気だのなんだのと悪口を言いながらも、彼らはみな、孔明の言動を気にしていた。
みなで相談して、なにかを決めなくてはならない、というときでも、みなは孔明の意見は「普段から生意気」という理不尽な理由で、まずは無視をするものの、時間が経つにつれ、なんだかんだと孔明の意見を採用して、ことに当たっていることが多々あった。
門弟たちは、態度がわるい、というので、孔明をいじめたりはしていたけれども、孔明の見識に関しては、みなが一目置いていたのである。
孔明も、どこかでそれを理解していたからだろう。
どんなにひどく殴られたときでも、孔明はほかの門弟たちのことを、批判することはあったけれど、個人攻撃をすることは決してなかった。

当時を思い出し、あのときは痛かったなあ、と頬をさすっていると、街道からぱっぱかと、気持ちのよい馬のひずめの音が近づいてくる。
趙雲が帰ってきたのであった。
馬良は趙雲が、腕のよい職人と、地主をひっとらえるのに十分な兵卒たちを連れて戻ってきてくれることを期待したのであるが、残念なことに、趙雲はひとりで帰ってきた。
馬良が、変わりはない、孔明の作業は順調のようだ、と伝えると、趙雲は深く肯き、糸をもって機屋に入っていった。
解説を担当している老人たちは、
「あらたな職人がやってきた!」
と、展開に動きがあったので、よろこんでいる。

「やあ、子龍、おかえり。糸のほうはどうだ?」
と、ここ二日で、はじめて孔明はまともに顔を上げて、人と言葉を交わした。
ずっと孔明を観察してきた側とすれば、珍しい機会にめぐまれている、というのに、趙雲は、ぶっきらぼうに答える。
「言われたとおりのものはすべて揃えてきた。ひどい顔だな」
お、と馬良は期待した。
趙雲ならば、孔明の作業の手をすこし止めることが出来るかもしれない、と思ったのだ。
孔明は『ひどい顔』の言葉に反応し、顔をしかめたものの、しかし両手はしっかりと織機から離れない。
馬良は、つづいて、趙雲の
「さあ立て。食事だ」
の言葉を期待したのであるが、意外にも趙雲はおもしろそうに孔明を見ると、そのまま、
「しまいまで気を抜くな」
と言って、あっさりと機屋を出てきてしまった。

「趙将軍、これでは軍師は五日後を待たずに倒れてしまいます」
馬良が抗議をすると、趙雲は肩をすくめて言う。
「それはそれで仕方あるまい」
「冷たいですぞ。主騎たる趙将軍のおことばとも思えませぬ」
「そうか?」
気を悪くしたふうでもなく、それだけ答えると、趙雲は馬を休ませるためにそのまま厩舎へ行ってしまう。
馬良には小石をぶつけてさんざん遊んでいた村の悪ガキたちも、いかにも強そうな趙雲には、おっかなびっくりと道を開けるばかりである。
機屋のほうを振り返ると、孔明はふたたび髪を振り乱し…あれほど身だしなみに細心の注意を払う男が、信じられないことであったが…とんとんからり、とんからり、と一心腐乱に機を織っていた。





夜になると、馬良は花嫁の家でご馳走を食べ
(ご馳走といっても馬良のような良家の子息にしてみれば質素極まりないものであったが、こんなひなびた農村では、それがたいそうなものなのだということは知れた)、一番風呂に入り、ぬくぬくとしたところで寝所に向かったのであるが、機屋のほうからはとんとんからり、とんからり、と、しつこく…
いや、相変わらず孔明の機を織る音が聞こえてくる。

しんとした農村に孔明の機を織る音が。
そして機屋には蝋燭の橙色のあたたかそうな明かりが灯されており、なにやらふしぎと郷愁をさそわれる。
しかし機屋をそっと覗けば、そこにいるのは夜なべをしている働き者の優しい母さんなどではなく、機織の鬼なのだが。

満点の星がきらきらと瞬き、こちらに話しかけてくるようだ。
ああ、家に帰ったなら、今度は妻子を連れてこんなふうに、用もなくあちこちを回るのもよいなぁ、としみじみしていると、不意に、
「ぐげっ」
と場をぶち壊すような巨大な牛ガエルが踏み潰されたような声がした。

馬良は仰天し、あわてて家の中に逃げようとしたが、つづけて、聞き馴染みのある声がした。
「痴れ者め、ネズミ如きにこの俺が倒せるか!」
こわごわと庭木の陰から、そばに置いてあった戸口のつっかえ棒を警棒代わりに手にとって、そおっと覗き見ると、
趙雲が庭にでん、と立っており、その足元には、あきらかに不審な男が『出』の字のようになって地面に倒れ付していた。
それを、趙雲が立ち上がらないように片足で踏みつけているのである。
「何事でございますか、趙将軍?」
「うむ、どうやら地主が雇った男らしい。判りよいことに、機屋に火をつけようとしておった」
それを聞き、馬良は、ぱっと顔を輝かせた。
「なんと! それでは、この男を役所に連れて行き、誰に雇われたものかを白状させれば、すぐに四方まるく治まりますぞ」
馬良の言葉に、趙雲はうむ、と生返事をする。気乗りではない様子だ。
馬良は怪訝そうに首をかしげた。
「証拠が無いとでも?」
「いや…実は糸を仕入れるついでに、この土地の地主について、方々から噂を仕入れてきたのだ。かなり悪辣な男であることは間違いない。
もし俺や軍師の名を出して告発するとみなに下知すれば、あっという間に証拠は集まり、裁きの場に引っ立てることができるであろう」
「ほう、小悪党の典型のような男でございますな。それでは話が早い」
「そうだ。話は早い。軍師が機を織る理由がなくなってしまう」
それもよいことだ、と馬良は思ったが、なくなってしまう、という、惜しむような趙雲の言い方が気にかかる。
「将軍は、軍師に機を織らせたいのでございますか?」
ハテ、亮君が、機織を好きだということは、私とて三日前に知ったばかりであるのに、趙将軍はもっと前から知っていたのかしらん、と思っていると、趙雲は答える。
「楽しそうだろう、久しぶりに」
「は?」
「旅であろうと、機織であろうと、無我夢中になれるものであれば、なんでもよい。細事にこだわり、眠れぬほどに煩悶するよりは、よほど健全だ。そうは思わぬか?」
「将軍は、軍師が、周瑜と己を比べることが細事であると?」
「そうではない。周瑜という男は、たしかに千年に一度の大器であっただろう。俺も軍師とともに江東に赴いたので見知っているが、実によく出来た男であった。だが、完成品であった」
「完成品?」
よいことではないか、と思うのだが、夜闇のなかの趙雲の顔は固い。

「そうだ。完璧なのだ。あまりに完成度が高すぎて、そこに飾りをつけることが出来ない。俺は口下手なのでうまく言えないのであるが…」
「つまり、将軍の言われる『飾り』とは、『想い』のことでございますか?」

馬良の補助に、趙雲はおおいに肯いた。

「そう、そうなのだ。周瑜は一人で完結している男だった。他者の想いを己に乗せることのできない男なのだ。排他的とは違うのであるが、完成された天才であるがゆえに、他者の入り込めるわずかな隙間すらない。
それに奇妙なことに、敵ながら実に素晴らしい男なのであるが、完璧であるがゆえに、だいたいの行動が読めてしまう。意外性がないのだ」

「矛盾している話ではありますが、わかる気がいたします」
ふと、馬良の脳裏に、ワガママな末弟の顔が過る。
わが弟ながら、孔明にも劣らぬ頭脳の持ち主である、とひそかに思っているのであるが、趙雲の言葉を聞いて、もやのような不安が沸いてきた。
馬謖が周瑜と似たような欠点を持っているような気がしたのである。

「俺は周瑜という男を目の当たりにするまでは、完璧な人物というものがもしいるのならば、その者が天下を取るだろうと思っていた。
だが、そうではない。完璧というものは、美しいが脆く、有限でつまらぬ。俺はいままで諸葛孔明という男が完璧に近づくためにはどうしたらよいか、そればかり考えていた。だがそうではいけない。それではあれの持つ無限の可能性をかえって潰してしまうのだ。
目指すべきは、主公のように清濁あわせ持つ、無限の器。もしあの破天荒な器にすこしでも近づくことができたならば、諸葛孔明はさらに一回り大きくなるだろう。だが、問題がある」
「どのような?」
「それに自分で気づいておらぬ。主公の前で平気でいられるくせに、周瑜を前にして落ち込むと言うのも未熟な証拠だ。周瑜とは違っていてよいのだ。諸葛孔明は周瑜になってはならない」

馬良はおどろき、うろたえていた。
なんという思い入れの深さ、そして期待であろう。
これほど大きな期待と思いを寄せられては、自分ではその重みでぐらついてしまう。
だが、孔明はちがうのだ…いや、趙雲は、孔明はちがう、と信じているのだ。
もはや主騎だから、親しい仲であるから、などといった理由だけでは表現しえない思いの強さである。
人の絆というものが、これほどまでに深くなるものなのかと、馬良はおどろき、うろたえた。
たとえ家族との間でも、自分はだれかとこれほどの絆を築けているだろうか、と。

片足で石ころでも踏んでいるように放火魔を抑えつつ、気むずかしそうに顔をしかめて語る趙雲を、馬良はまじまじと見た。
その視線で我に返ったのだろう、趙雲は、気恥ずかしいのを誤魔化すように、ぎゅっとその眉根を寄せると、わざと恐ろしい顔をして、踏み潰していた放火魔を拾い上げると、片手で軽々と持ち上げ、

「喋りすぎた。コレは俺が処理する」

と、怒ったように言った。
「どうなさるので?」
「一晩、豚小屋に繋いでおけば、いくらか反省するであろう」
気の毒だな、とその様子を想像し、馬良は身震いをした。
そんな馬良に背を向けて、趙雲はずるずると地べたの上で放火魔を引きずっていく。
夜風にぴゅうとさらされて、湯冷めをした馬良は、もう一度ぶるりと震えると、趙雲の背中に声をかけた。
「趙将軍は、お休みになりませぬので?」
「案ずるな。野宿は慣れている」
「野宿? なぜです。部屋はきちんと用意してくれておりますぞ」
趙雲は足を止めると、ちらりと孔明のいる機屋を見た。
だいぶ夜も更けているのであるが、暗さにもめげず、孔明の夜なべは続いている。
「俺は軍師の主騎だ」
つまり、孔明が機屋で夜なべを続けるかぎり、戸口にでも陣取って、夜警をするというのだろう。
「そういうことでございますか」
「そういうことだ。では明日。貴殿も早く休まれよ」
「お休みなさい」
遠ざかる背中に言葉をかけながら、馬良は、自身以上にその人物を理解してくれる友をもつ孔明に、嫉妬している自分に気が付いた。
そうして無性に家に帰りたくなった。
家に帰って、妻子の顔を見たい、と強烈に思った。


つづく……

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/08/06)


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