さすがに、このままではいけないと思うようになった。
友を得ようと、馬良なりに努力をしてみた。
慣れぬ努力は、いびつな形で実を結ぶ。
友だちの作り方すら知らなかった馬良は、ともかく必死であったから、だれの、どんな言葉にも、笑顔で「いいよ」と応えた。
そんな馬良の焦りと、人の良さに目をつけたのが、兄弟子たちであった。
はじめは、書を貸してくれないか、つぎにちょっと面倒があるのだが手伝いをしてくれないか、やがてどんどん図々しくなってきて、酒を持ってきてくれないか、金を持ってきてくれないか…
馬良は泥沼にはまり込んだ気配をおぼえたが、そこから脱け出す方法がわからない。
しかも成長期の途上にある馬良にとって、がっしりした体格の兄弟子たちは、とても大きく恐ろしげに見えた。
あるとき、兄弟子のひとりが、馬良に言った。
「おまえの家に、きれいな下働きの娘がいるだろう。あの娘を、ちょっと呼び出してくれないか」
その言葉の先がなにを意味するか、わからない馬良ではない。
兄弟子のいう娘、とは、家令の孫娘のことであった。
馬一家が、じつの娘のように可愛がっている少女である。
馬良はぞっとして、そんなことはできない、と即答したが、その答えの報酬は、殴打であった。
馬良は、孤独から逃れたい一身から、唾棄に値する輩に、おのれの心を切り売りしていたことに気づき、後悔した。
後悔したのだけれども、殴打はつづき、ついに、娘を呼び出す約束をさせられてしまったのである。
約束を守らなかった場合に待ち受ける報復、約束を守ったら守ったで待ち受けるであろう、吐き気を催すほどの後悔。
おのれの愚かさを責めつつも、馬良はどちらを向いても抜け道がない状況に、おろおろするしかない。
兄たちに相談することも考えたが、娘を狙う兄弟子は、荊州でも名の知れた豪族に連なる一門で、さらにくわえて、よろしくない仲間とも付き合いがあった。
自死すら考えた。
流れのはげしい川べりに立って、深いところ目指して飛び込めば、すぐに河伯に引き込んでもらえるだろうか、などと考えていた。
「きみは、ほんとうの力というものを知らない」
不意に、声がした。
まさか自分に声がかかったわけでもあるまい。
兄弟子たちは、なにかを持ってきてほしいときにしか馬良を呼ばなかったので。
「あんな下らぬ連中におもねる労力があるのならば、わたしにおもねり給え。いまはなにも報酬がなくとも、将来、抱えきれないほどのおつりをあげるよ」
ぎょっとして馬良が振り返ると、背後に、同門の諸葛孔明が立っていた。
自分とほぼ同じ年の、しかし、あとから入ってきた徐州出身の少年である。
孔明の姿を見て、最初に馬良が思ったのは、
『迷惑な』
だった。
孔明という少年、評判はすこぶる悪い。
なにせ細くて力もそうない癖に、やたらと喧嘩早い。口より先に拳が出ている。さらに加えて、喧嘩に負けても、
「今日はこのくらいにしておいてやる」
とわけのわからぬ捨て台詞を吐く。
あいつはふざけている、と言う者もいれば、徐州からこっちに逃げてくる過程で、頭を強く打ったのだ、という者もいる。
しかも人を殺した前科を持っている、あの不気味な徐庶と仲が良い。
徐庶はなにが不気味かというと、ぜんぜん前科を思わせないほどに物腰が柔らかく、清潔感にあふれているからだ。
二人して、わけがわからない。あまり近づかないでほしい。
そっぽを向いた馬良に、孔明は言う。
「きみは、せっかくの貴重な人生を、愚図のごろつき以下に捧げてしまうわけかね。ささやかな抵抗が、入水自殺というわけだ。止めはしないし、悲しみもしない。むしろ軽蔑するね」
「言いたい放題だな、おまえなんかに、ぼくの心がわかるものか!」
馬良が憤って答えると、孔明は声をたてて楽しそうに笑った。
「ほら、その意気だよ。わたしにそう言えたように、やつらにも同じふうに言ってやればよいのだ」
簡単に言うやつ、と馬良は苛立った。
もしも、孔明に言ったように、兄弟子たちにおなじ言葉をぶつけたら、彼らは馬良を小突くだろう。
だが、それを見越したのか、孔明は、一見すると、深窓のご令嬢のようなうりざね顔を意地悪くして、言う。
「わたしのような嫌われ者なら怖くないが、兄弟子たちは怖い、というのだね。たしかにわたしは、はぐれ者だからな。やっつけたところで、徒党を組んで仕返しに来られる心配もない。
しかし、だ。
きみは、兄弟子たちを一つの山のように一くくりにして恐れていて、彼らが個々の人間だということを忘れている。徒党を組んでいるからこそ彼らは恐ろしいのであって、一人一人はそうでもない。むしろ、夜道で出会った案山子のほうが、よっぽど仰天させられる存在だ」
「言葉でなら、なんとでもいえるさ。きみだって、喧嘩じゃ、いつも連中に負けているじゃないか」
「負けてやっているのさ。そうでなければ哀れだろう。頭じゃとうていわたしに太刀打ちできないのだから」
なにを言い出すか、と馬良は怒ったが、しかし孔明は涼しい顔である。
どうやら本気で、そう思っているらしかった。
「良くん、賭けをしようじゃないか。
この三日のうちに、わたしは兄弟子たちをこの塾から追放する。もし全員の追放に成功したら、きみはわたしに人生を捧げること。
もし成功しなかったら、そのときは、わたしが兄弟子たちに、きみのところの娘さんの代わりになるものを持っていく」
「代わりになるもの、って?」
「そうだな、妓楼を一晩、貸切りにできるくらいの金があれば、しばらく大人しいのじゃないかしらん。もっとも、連中が遊んでいるあいだに、次の対策をたてるけれど。
どうだろう、きみにとっては、悪い話じゃないだろう?」
馬良は半信半疑であったが、なにもしないよりマシ、と思い、孔明の賭けに乗った。
人生を捧げる、といわれたけれども、その時点では、なんら具体的な画は見えていなかった、というのもある。
そうして、三日間、孔明は、『なにか』をやった。
四日目、馬良の耳に入ってきたのは、兄弟子たちが、いっせいに私塾からいなくなった、という知らせであった。
孔明は、得々と馬良の前にあらわれて、
「ほら、賭けはわたしの勝ちだね」
と、高らかに言った。
あとで徐庶からこっそり教えてもらったことには、孔明は同年の友だちがほしかったのである。
しかし、きっかけが掴めなかったので、賭けの話なぞを持ち込んで、馬良を危機から救って見せたのだった。
孔明が、三日間でなにをしたかについては、徐庶も教えてくれなかったが、
「あいつの目は、俺たちの見ていないものまで見ているのさ」
という言葉だけを意味ありげに語ってくれた。
以来、賭けのとおり、馬良は孔明に人生を捧げることにした。
※
趙雲は、言葉どおりにまっすぐ、孔明のいる執務室へと向かっていく。
桂陽の太守の地位を、趙範に返してやり、いまは奥向きの取締りをしている趙雲であるが、臨烝においては顔見知りが多いらしく、まっすぐ、といっても途中途中で声をかけられ、なかなか前に進めないでいる。
何人目かと挨拶が終わったあと、趙雲はめずらしく、宙に向かって怒気を吐いた。
「どうして屋敷を出てからここまでの道のりでかかった時間より、役所に入ってから軍師の部屋までの時間のほうが、長いのだ」
「亮…いえ、軍師は執務中でしょう。それに軍師は仕事の虫。いかな貴方様でも、手を止めて、話を聞くとは思えませぬ。ですから、そう焦らずともよいのでは?」
馬良が落ち着かせるために声をかけると、趙雲は振り返らぬまま、返事をした。
「まだ大丈夫だろうと、タカをくくっていると、突然倒れるのが軍師です」
「よくご存知で」
「おれは軍師の主騎ですぞ。その任はいまだ解かれてはおりませぬ。しかし、奥向きに気をとられて、軍師の周辺を部下に任せていたのは誤りでございました」
趙雲が、付け足すように、小声で、
「あのたわけ者」
と、低くつぶやいたのを、馬良は聞き逃さない。
むっとして、趙雲の背中に言う。
「将軍、軍師は、たわけではございませぬぞ。赤壁の戦からいまに至るまで、軍師は身を削るような思いをなさった。そのために、いささか判断力がおかしくなっているだけのこと。たとえ冗談でも、軍師を貶めるような言葉は止めていただきましょう!」
「貴殿は軍師を尊敬しておられるのですな」
「もちろんですとも!」
と、馬良は堂々と胸を張る。
ときおり、腸が煮えくり返るほどに腹を立たせてくれる存在ではあるが、それもまたご愛嬌として、痛快な思い出を残してくれるのが、孔明という人物である。
助けられてきたのは、襄陽で出会ったときばかりではない。
「あんた、ミョーなものを尊敬しているな」
と、趙雲は、馬良の前を、武人らしいきびきびした足取りで進みながら、ぽつりと言う。
馬良は、小走りにそれに追いつき、横に並んで、食ってかかる。
「ミョーなものですか。だいたい、趙将軍とて、軍師の身の上を案じ、ここまで飛んできたではありませぬか」
痛いところを突かれたらしく、端正な横顔に、めずらしく苦いものが走る。
「わたくしと貴殿は、いわば崇拝する相手を同じくする仲間のようなもの。多少の意見の食い違いは、この際、目をつぶりましょう。でも軍師を『ミョー』と評するのは如何なものか」
「…飛んできた、というのは誤りだ。おれは、これが普通なのだ」
「亮くんの崇拝者は、なぜだか本人と同様に、みんな意地っ張りになる。おかしなものですな。徐庶もそうでした」
「…」
「認めておしまいなさい。軍師を崇拝している、と。認めてしまえば、あとは楽になりますぞ」
「きっぱり断らせていただく」
あやしげな新興宗教の勧誘のような馬良に、趙雲は、言葉のとおり、きっぱり言うと、孔明の執務室の前に立った。
つづく……
(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/08/03)
友を得ようと、馬良なりに努力をしてみた。
慣れぬ努力は、いびつな形で実を結ぶ。
友だちの作り方すら知らなかった馬良は、ともかく必死であったから、だれの、どんな言葉にも、笑顔で「いいよ」と応えた。
そんな馬良の焦りと、人の良さに目をつけたのが、兄弟子たちであった。
はじめは、書を貸してくれないか、つぎにちょっと面倒があるのだが手伝いをしてくれないか、やがてどんどん図々しくなってきて、酒を持ってきてくれないか、金を持ってきてくれないか…
馬良は泥沼にはまり込んだ気配をおぼえたが、そこから脱け出す方法がわからない。
しかも成長期の途上にある馬良にとって、がっしりした体格の兄弟子たちは、とても大きく恐ろしげに見えた。
あるとき、兄弟子のひとりが、馬良に言った。
「おまえの家に、きれいな下働きの娘がいるだろう。あの娘を、ちょっと呼び出してくれないか」
その言葉の先がなにを意味するか、わからない馬良ではない。
兄弟子のいう娘、とは、家令の孫娘のことであった。
馬一家が、じつの娘のように可愛がっている少女である。
馬良はぞっとして、そんなことはできない、と即答したが、その答えの報酬は、殴打であった。
馬良は、孤独から逃れたい一身から、唾棄に値する輩に、おのれの心を切り売りしていたことに気づき、後悔した。
後悔したのだけれども、殴打はつづき、ついに、娘を呼び出す約束をさせられてしまったのである。
約束を守らなかった場合に待ち受ける報復、約束を守ったら守ったで待ち受けるであろう、吐き気を催すほどの後悔。
おのれの愚かさを責めつつも、馬良はどちらを向いても抜け道がない状況に、おろおろするしかない。
兄たちに相談することも考えたが、娘を狙う兄弟子は、荊州でも名の知れた豪族に連なる一門で、さらにくわえて、よろしくない仲間とも付き合いがあった。
自死すら考えた。
流れのはげしい川べりに立って、深いところ目指して飛び込めば、すぐに河伯に引き込んでもらえるだろうか、などと考えていた。
「きみは、ほんとうの力というものを知らない」
不意に、声がした。
まさか自分に声がかかったわけでもあるまい。
兄弟子たちは、なにかを持ってきてほしいときにしか馬良を呼ばなかったので。
「あんな下らぬ連中におもねる労力があるのならば、わたしにおもねり給え。いまはなにも報酬がなくとも、将来、抱えきれないほどのおつりをあげるよ」
ぎょっとして馬良が振り返ると、背後に、同門の諸葛孔明が立っていた。
自分とほぼ同じ年の、しかし、あとから入ってきた徐州出身の少年である。
孔明の姿を見て、最初に馬良が思ったのは、
『迷惑な』
だった。
孔明という少年、評判はすこぶる悪い。
なにせ細くて力もそうない癖に、やたらと喧嘩早い。口より先に拳が出ている。さらに加えて、喧嘩に負けても、
「今日はこのくらいにしておいてやる」
とわけのわからぬ捨て台詞を吐く。
あいつはふざけている、と言う者もいれば、徐州からこっちに逃げてくる過程で、頭を強く打ったのだ、という者もいる。
しかも人を殺した前科を持っている、あの不気味な徐庶と仲が良い。
徐庶はなにが不気味かというと、ぜんぜん前科を思わせないほどに物腰が柔らかく、清潔感にあふれているからだ。
二人して、わけがわからない。あまり近づかないでほしい。
そっぽを向いた馬良に、孔明は言う。
「きみは、せっかくの貴重な人生を、愚図のごろつき以下に捧げてしまうわけかね。ささやかな抵抗が、入水自殺というわけだ。止めはしないし、悲しみもしない。むしろ軽蔑するね」
「言いたい放題だな、おまえなんかに、ぼくの心がわかるものか!」
馬良が憤って答えると、孔明は声をたてて楽しそうに笑った。
「ほら、その意気だよ。わたしにそう言えたように、やつらにも同じふうに言ってやればよいのだ」
簡単に言うやつ、と馬良は苛立った。
もしも、孔明に言ったように、兄弟子たちにおなじ言葉をぶつけたら、彼らは馬良を小突くだろう。
だが、それを見越したのか、孔明は、一見すると、深窓のご令嬢のようなうりざね顔を意地悪くして、言う。
「わたしのような嫌われ者なら怖くないが、兄弟子たちは怖い、というのだね。たしかにわたしは、はぐれ者だからな。やっつけたところで、徒党を組んで仕返しに来られる心配もない。
しかし、だ。
きみは、兄弟子たちを一つの山のように一くくりにして恐れていて、彼らが個々の人間だということを忘れている。徒党を組んでいるからこそ彼らは恐ろしいのであって、一人一人はそうでもない。むしろ、夜道で出会った案山子のほうが、よっぽど仰天させられる存在だ」
「言葉でなら、なんとでもいえるさ。きみだって、喧嘩じゃ、いつも連中に負けているじゃないか」
「負けてやっているのさ。そうでなければ哀れだろう。頭じゃとうていわたしに太刀打ちできないのだから」
なにを言い出すか、と馬良は怒ったが、しかし孔明は涼しい顔である。
どうやら本気で、そう思っているらしかった。
「良くん、賭けをしようじゃないか。
この三日のうちに、わたしは兄弟子たちをこの塾から追放する。もし全員の追放に成功したら、きみはわたしに人生を捧げること。
もし成功しなかったら、そのときは、わたしが兄弟子たちに、きみのところの娘さんの代わりになるものを持っていく」
「代わりになるもの、って?」
「そうだな、妓楼を一晩、貸切りにできるくらいの金があれば、しばらく大人しいのじゃないかしらん。もっとも、連中が遊んでいるあいだに、次の対策をたてるけれど。
どうだろう、きみにとっては、悪い話じゃないだろう?」
馬良は半信半疑であったが、なにもしないよりマシ、と思い、孔明の賭けに乗った。
人生を捧げる、といわれたけれども、その時点では、なんら具体的な画は見えていなかった、というのもある。
そうして、三日間、孔明は、『なにか』をやった。
四日目、馬良の耳に入ってきたのは、兄弟子たちが、いっせいに私塾からいなくなった、という知らせであった。
孔明は、得々と馬良の前にあらわれて、
「ほら、賭けはわたしの勝ちだね」
と、高らかに言った。
あとで徐庶からこっそり教えてもらったことには、孔明は同年の友だちがほしかったのである。
しかし、きっかけが掴めなかったので、賭けの話なぞを持ち込んで、馬良を危機から救って見せたのだった。
孔明が、三日間でなにをしたかについては、徐庶も教えてくれなかったが、
「あいつの目は、俺たちの見ていないものまで見ているのさ」
という言葉だけを意味ありげに語ってくれた。
以来、賭けのとおり、馬良は孔明に人生を捧げることにした。
※
趙雲は、言葉どおりにまっすぐ、孔明のいる執務室へと向かっていく。
桂陽の太守の地位を、趙範に返してやり、いまは奥向きの取締りをしている趙雲であるが、臨烝においては顔見知りが多いらしく、まっすぐ、といっても途中途中で声をかけられ、なかなか前に進めないでいる。
何人目かと挨拶が終わったあと、趙雲はめずらしく、宙に向かって怒気を吐いた。
「どうして屋敷を出てからここまでの道のりでかかった時間より、役所に入ってから軍師の部屋までの時間のほうが、長いのだ」
「亮…いえ、軍師は執務中でしょう。それに軍師は仕事の虫。いかな貴方様でも、手を止めて、話を聞くとは思えませぬ。ですから、そう焦らずともよいのでは?」
馬良が落ち着かせるために声をかけると、趙雲は振り返らぬまま、返事をした。
「まだ大丈夫だろうと、タカをくくっていると、突然倒れるのが軍師です」
「よくご存知で」
「おれは軍師の主騎ですぞ。その任はいまだ解かれてはおりませぬ。しかし、奥向きに気をとられて、軍師の周辺を部下に任せていたのは誤りでございました」
趙雲が、付け足すように、小声で、
「あのたわけ者」
と、低くつぶやいたのを、馬良は聞き逃さない。
むっとして、趙雲の背中に言う。
「将軍、軍師は、たわけではございませぬぞ。赤壁の戦からいまに至るまで、軍師は身を削るような思いをなさった。そのために、いささか判断力がおかしくなっているだけのこと。たとえ冗談でも、軍師を貶めるような言葉は止めていただきましょう!」
「貴殿は軍師を尊敬しておられるのですな」
「もちろんですとも!」
と、馬良は堂々と胸を張る。
ときおり、腸が煮えくり返るほどに腹を立たせてくれる存在ではあるが、それもまたご愛嬌として、痛快な思い出を残してくれるのが、孔明という人物である。
助けられてきたのは、襄陽で出会ったときばかりではない。
「あんた、ミョーなものを尊敬しているな」
と、趙雲は、馬良の前を、武人らしいきびきびした足取りで進みながら、ぽつりと言う。
馬良は、小走りにそれに追いつき、横に並んで、食ってかかる。
「ミョーなものですか。だいたい、趙将軍とて、軍師の身の上を案じ、ここまで飛んできたではありませぬか」
痛いところを突かれたらしく、端正な横顔に、めずらしく苦いものが走る。
「わたくしと貴殿は、いわば崇拝する相手を同じくする仲間のようなもの。多少の意見の食い違いは、この際、目をつぶりましょう。でも軍師を『ミョー』と評するのは如何なものか」
「…飛んできた、というのは誤りだ。おれは、これが普通なのだ」
「亮くんの崇拝者は、なぜだか本人と同様に、みんな意地っ張りになる。おかしなものですな。徐庶もそうでした」
「…」
「認めておしまいなさい。軍師を崇拝している、と。認めてしまえば、あとは楽になりますぞ」
「きっぱり断らせていただく」
あやしげな新興宗教の勧誘のような馬良に、趙雲は、言葉のとおり、きっぱり言うと、孔明の執務室の前に立った。
つづく……
(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/08/03)