はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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浪々歳々 5

2020年05月02日 10時12分59秒 | 浪々歳々


朝靄のたちこめるなか、馬良はゆったりと白い帳をかきわけてあらわれる武人を出迎えた。
地味な色合いの服をまとい、目立たぬように、服とおなじ色をした袋で剣を隠している。
またがっているのは、いつもの、武将たちがこぞってうらやむ立派な愛馬ではなく、いたって普通の頑丈そうな黒馬。
全体的に地味にしているのにも関わらず、かえって引き立つ男ぶりに、馬良は思わず見惚れてしまった。

馬良は、おのれも特異な風貌にめぐまれているので(この時代、目立つ容姿は武器である)、他者の容姿にも敏感だ。
世に、美男はあまたいるけれど、単に見栄えがよいだけのと、真に男らしいのとは、なかなか一致しない。
優男は、ともすれば軟弱と同義であるし、男らしい男はがさつで艶がない。
馬良は、見知っているなかでは、孔明こそが、いちばんの美貌の持ち主であると思っていたが、孔明の美貌は、性を感じさせない類いのものであり、男らしさという点では欠けている。
趙雲は、孔明とは、まったく種類のちがう美男である。
容姿もたしかに恵まれているが、そもそもの顔立ちは、抜きんでて美しい、というわけではない。
趙雲をほかと違くさせているのは、内面から、非凡な見識、哲学にも似た心意気がにじみでているからだ。
孔明の場合、黙ってそこに立っているだけで、異様な存在感を醸し出すのであるが、趙雲は、ただ立っているだけでは、その魅力は発揮されない。
行動してこそ、趙雲のもつ美質は生かされる。

馬をひらりと下りて、趙雲は、馬良に拱手した。
「おはようございます、馬従事。軍師はもうお目覚めですかな?」
馬良は、孔明の気持ちが変わるのを警戒し、自分の屋敷に泊めたのである。
「屋敷にて朝餉を召し上がっておいでです。貴殿も如何です。すぐ用意をさせましょう」
「いえ、結構。朝の調練が終わって、すぐに食べてしまいました」
特別な日であっても、鍛錬を怠らない姿勢は、たいしたものである。
「ところで、主公は、軍師の休暇については、なんと?」
「快くご承諾くださいました。軍師が回復するまで、いつまででも休め、と」
「いつまででも?」
劉備らしい、気前のよすぎる言葉に、馬良はおもわず鸚鵡返しする。
ずっと回復しなかったら、ずっと休暇中、ということか? 
「前とちがって、いまは龐軍師がいらっしゃいますので、主公も余裕がおありの様子ですので」
あくまで口調は淡々としているが、その言葉の裏に、わずかに苦いものが混ざっていることに、気づかぬ馬良ではない。

劉備の、孔明への寵愛があまりに深いので、以前から反発していた者たちが、龐統を旗頭にして、反孔明の陣を張りつつあるのは事実である。
孔明にも龐統にも、対立するつもりはまったくないだけに、つねに比較され、競争を強いられている二人の様子は、馬良から見ると、気の毒であった。
たしかに、特別に仲がよい、というわけではないが、二人とも、せまい人間関係のなかで、たった一人の男の寵愛をあらそうような、狭隘な器量ではない。

龐統は、無頓着なため、かえって小人にかつぎあげられてしまう。
龐統を担ぎ上げている人間は、龐統の奥ゆかしさを誉めそやし、孔明にとって代わってほしいと動く。
一見すると、龐統を中心になった人々が、龐統を持ち上げているように見えるのだが、実際は、孔明を中心に、一部の不満分子があつまって、右往左往しているのだ。
結局、孔明なのである。
龐統とて、おのれの立場が、いかに滑稽なものであるか、判っているはずだ。
しかし、互いの思惑を無視して、両者を担ぎ上げる派閥の人間の争いは、日々深刻になっていっている。
公平であると評価の高い趙雲でさえ、孔明のために、龐統への不満をにじませた言葉を吐いて見せるのだ。

中立を守っている馬良は、趙雲のつぶやきに、あえて口を出さずに、別の話題をたずねる。
「本日は、どちらへ向かわれますのか?このあたりは山水の風景が素晴らしいので、どこへ行ってもはずれはなかろうと思われます」
「山はやめましょう。人里がよい」
意外な言葉に、馬良はかるく首をかしげる。
「差し出がましいかもしれませぬが、亮くんは人見知りがはげしい所がございます。
人の中にいるよりも、人の気配の薄い山河の光景のほうが、よいのではないでしょうか?」
「もしかしたら、しまいにはそうなるかもしれぬ。だが、いまはちがう。
人の中にいさせてやったほうがいい。己の統治の結果を、民がどう受け止めているのか、それを自らの目で確かめさせてやるのが一番の薬となりましょう」
「趙将軍、亮くんはわたしに教えてくれませぬ。亮くんは、なにをそんなに思い悩んでいるのですか?」
「軍師が貴殿に沈黙を守っているのに、それがしが分を超えて漏らすわけにはまいりませぬ」
ここで図々しい男ならば、そこをなんとか、とか言って、頼み込んで、なんとか話を聞こうとしただろう。
しかし馬良は、強引な手段は得手ではない。
趙雲の言うことがもっともだと思い、孔明が口を開くときまで、おとなしく待っていようと決めた。
「行き先は決めてらっしゃいますか」
「いいえ、地図の類いはなにも」
「なんと、行き当たりばったりで行かれる、というのか」
趙雲は、目をむく馬良をおもしろそうに見遣りつつ、うなずいた。
「予定をきっちり決めてしまいますと、かえって予定にしばられて、苛立つこともありましょう。休暇に期間はないのです。これから先、これほど贅沢な休暇を得ることは、もうないかもしれない。ですから、軍師の思いつくままに、あたりを彷徨するのも悪くないでしょう」
「休暇がもうない、とは、いささか大げさではございますまいか」
「そうですかな。主公と龐軍師、そしてわれらが軍師の間では、すでに蜀に向けての策が着々と進みつつある。
これが成功したならば、軍師にはもう休む暇などありませぬぞ」
「矛盾しておられますぞ。貴殿はさきほど、主公には龐統もいる、とおっしゃったではありませぬか。
今後、いかに主公が天下に力を伸ばされようと、この二人が助けあう限り、どちらか一方に権力が集中する、などということはまずないでしょう。
わたくしは、以前より二人を知っておりますが、どちらとも、この混迷きわまる世情のただ中で、権勢争いにうつつを抜かすような、愚か者ではありませぬ。
亮くんの主騎たる貴殿までもが、派閥争いに加わっては、事態はますます収拾がつかなくなってしまいます」
「ですから…周囲が勝手にはじめたことでも、自身の名を使われているのであれば、それを止めさせる努力はするべきでしょう。
なぜ龐軍師がなにもなさらぬのか、それがしには理解しかねる」
「左様なこと、けして他言なさってはなりませぬぞ。亮くんのことを、わたし以上に理解している貴殿ならば、龐士元のことも理解できましょう。
双方を理解できるのであれば、無用な衝突を回避できるよう、動くことができるはず。それが、亮くんの主騎たる貴殿の、真の務めではありませぬか」
「襄陽の人間は、どうして、どいつもこいつも、ややこしいのだ」
ぼそりと言う趙雲に、馬良はその色の薄い眉をしかめる。
「亮くんは琅邪です」

徐々に薄れていく靄のなか、緊迫した空気が走る。
それを打ち破ったのは、いつもの孔明の声であった。
「なんだね、朝から、二人とも威勢がよいではないか」
馬良が最後に見た孔明は、腫れぼったい目をして、朝餉をもそりもそりと口に運んでいた。
いまは、しゃっきり背筋を伸ばし、曙光を一身に浴びて、いつもの、どこにも隙のない出で立ちの孔明であった。
孔明は旅慣れている、というのもあるが、いつ、どんなとき、どんな場所でも、おのれの身づくろいを、短時間に手早くおこなうことができる、という特技を持っている。
「士元との話ならば、いちいち対策など練る必要はないということで、話が終わったのではなかたかな、子龍」
孔明が言うと、趙雲は、めずらしくあからさまに不満そうな顔をした。
それをみて、孔明は、「やれやれ」とつぶやき、続ける。
「わたしはあなたが、わたしを心配してくれるからこそ、士元に対して、よい印象を持っていない、ということを知っているよ。そこは感謝している。
だが、わたしを疎んじる者が、士元に集まっていることは、あれは仕方のないことだ。そう割り切れないかな」
「なにをどう割り切る、というのだ。事実、主公の周囲では、公然と、孔明派だの、龐統派だのと互いを色分けするのが流行っている状況なのだぞ」
「それは仕方あるまいよ。わたしはたしかに妬まれやすいからな。この美貌に加えて、智謀も天下一、さらに品行もたいへんよろしい、となれば、妬む輩も、どこをどう罵倒してやればわからぬのだろう。そこへ、わたしが唯一、同等か、それ以上と認める龐士元があらわれたのだ。あなたが彼らになったと想定してみるがいい。
士元に飛びつく彼らの気持ちがわかってくるのではないかな」
「おまえ、自分で言っていて、こそばゆくならぬのか」
「事実を端的に述べたまでだが? それとも、わたしとあなたの間柄で、くだらぬ遠慮や謙遜は、まだ必要なのかな。
それはともかく、士元の周囲の人間について、あれこれ気にしてもはじまらぬ。
光が当たれば影もできるのは致し方ないことだ。そして影をおのれから切り離すということは、だれにも出来はしない。ならば、考えるだけ無駄、ということだ。
おなじ時間をつかって、おのれを快く思わぬ人間のために思い悩むのならば、逆に、おのれを好いてくれる人が、いつも笑っていられるようにするにはどうしたらよいか、考えるほうがよほど有用というものだと思うがね」
馬良は、いたって孔明らしい言葉が出てきたので、休暇のはじめにして、ようやく孔明が復活か、と喜んだのであるが趙雲のほうは、呆れ顔で答える。
「あいもかわらず、驚嘆に値する単純明快さだな。だが、単純なものごとほど、実行にむずかしいものはない。
おまえの言葉は耳に心地よいが、俺にはどうも、おまえがうわべだけの言葉を口にしただけのように聞こえるのだ」
「わたしはあなたには嘘などつかぬぞ。ついてもすぐバレるから、つくだけムダであるし」
「嘘ではないと思う。まあ、よい。時間は山ほどある。おのれを取り戻すまで、じっくり考えよう」
趙雲の言葉を最後に、朝靄のなかの議論は、打ち切られた。





「どこへ行ってもいいって? 奥向きで、か弱い乙女らを相手にしているうちに、ずいぶん丸くなったではないか、子龍。これは主公に感謝せねばなるまい」
と、軽口を叩く孔明に、趙雲は言う。
「鎧姿に薙刀を持った乙女のどこが、か弱い?」
「あなたと比べれば、みんな、か弱い。さあて、どこへ行こうかな。良くんのことだから、きっちり予定を立てて、地図にくびったけの道中になるかと思っていたけれど、こういうあてのないのもよいではないか。
ただし良くん、不満が募ったら、爆発する前に教えてくれたまえ。旅の途中で仲たがいすることほど、嫌なものはないからね」
と、孔明は、趙雲に向かって、かつて崔州平と旅をしたときに、派手に喧嘩をしたことを語りはじめた。

伴のない、三人きりの旅である。
ほんとうは、馬良は、護衛をつけたほうが言いと趙雲に言ったのであるが、趙雲は不敵にも、いまさらそんな必要はあるまい、と言い切った。
馬良にしてみれば、趙雲のことばを疑うわけではないが、敵に襲われたときに、趙雲がまっ先に助けるのは孔明だろうということがはっきりわかっているだけに、ひとり、つくねんとしている状況が、いまから心細い。
「どこへ行ってもよい、というのであれば、妓楼へ行ってもよい、ということかな」
と、孔明が、その気もないくせに趙雲に言うと、趙雲はしれっと返す。
「構わぬ。そんな体力が残っているならな」
孔明は軽くため息をつき、目を細めた。
「厭味もうまくなったな。疲れているので、口が滑ったと好意的に受け取っておく」
「そうだ、俺は心身ともにくたびれ果てている。だからおおいに労わってほしいところだな。
で、まずは方向を決めてくれ、東西南北、どちらだ」
うむ、と孔明は四方を見回した。
そうして、ふと西南の方向で首を止める。
直感の人であるから、なにかピンと来るものをおぼえたらしい。
町の賑わいとは無縁の、田畑のひろがる風景である。そちらが選ばれた理由は、
「なんだか呼ばれているような気がする」
といった、ひどく曖昧なものであった。
ともかく、方角が定まったので、三騎は、てくてく、のんびりと馬の足を進めた。


つづく……

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/08/06)


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