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宴のあと、雲は敬に呼び出された。
趙家の屋敷を一望できる、土塁のうえに来いという。
土塁は、このところ力をつけている黒山賊の襲撃を避けるため、村のひとびとが総出でつくったものだ。
厚い雲に覆われて、星空は見えない。
ひゅう、と寂しげな風が、土塁のうえに生え始めている雑草をさわさわと揺らした。
家は目の前にあるというのに、なぜか、この世に自分だけ取り残されてしまったような、さびしい気持ちになる。
雲はおのれの体を抱えるようにして、寒風をやりすごした。
土塁のうえに腰かける。
いつだったか、長兄が機嫌のよい時に話をしてくれたが、この土塁をつくろうと言い出したのは父であったそうだ。
「父上がまだ若くて、天下無双の槍の名手として鳴らしていたころは、襲ってくる賊を、ほとんどひとりで蹴散らしていたのだがな。
事故を予見していたのか、あるいは、おのれの力が落ちていることを実感していたためか、わからぬが、この土塁をつくろうと言い出しだのだ」
父は好色という悪い欠点があったが、しかし領民想いであったのはまちがいない。
いまでは見る影もない父だが、土塁のはなしを聞いて、雲は父を見直した。
父については、ほかにもさまざまな武勇伝が村に残っているのだが、その勇壮な姿をしのばせる手がかりは、この土塁のほか、もうどこにもない。
賊と戦って、守り抜いた土地には、閉そく感ばかりがただよう。
英雄の抜け殻を中心に、いかにちっぽけな土地で生き残るか、岩の裏のだんごむしのようにうごめいている、趙家の子弟たちがいるばかり。
土塁の上に座り込んだ雲は、となりに、お気に入りのしゃれこうべをともにならべた。
そして、家の様子をみつめる。
じっと目をこらしていると、おのれが闇と同化して、すべてを見通せる力を得たような錯覚さえおぼえる。
家のなかの明かりがちらちらとうごいている。
まだほとんどの者が起きているのだろう。
これがおのれの世界なのだ。
闇から俯瞰するおのれを取り巻くすべてを見たとき、雲は、叫びだしたくなる気持ちをおぼえた。
ずっとここにいなければならないのか。
うぬぼれでもなんでもなく、袁家の婿養子の件は、まちがいなく自分にまわってくるだろう。
かねてより、袁家のあるじは、雲を買っていた。
袁家の婿になれば、もうここから逃げられない。
さまざまなしがらみが、四方から手を伸ばしてきて、自分をがんじがらめにしてしまうだろう。
ふと、宴の前の、幼馴染たちの顔が浮かんだ。
かれらが雲との隔たりを、現実のものとして受け入れつつあるように、自分もまた、責任ある身であることを、受け入れなければならないときがきているのか。
あきらめることが、成長する、ということなのだろうか。
「律儀だな、末っ子。ちゃんと来るとは感心だ」
酒で上気した頬を夜風になぶらせて、敬は明るい声を夜闇にひびかせやってきた。
完全には酔っぱらってはいない様子で、足取りはしっかりしている。
なにより、酔っぱらい特有の、どんよりした目つきではない。
すらりと背の高い敬は、風にゆれる雑草を蹴散らしつつ、雲のところへやってきた。
「どうした、袁家の婿になれるという幸運がせっかく舞い降りてきたのに、浮かぬ顔だな。
お母上も喜んでおられるだろう」
気にさわるほどに明るい声に、雲は無言で抗議のまなざしを向ける。
そんな嫌味を言いにきたのであれば、いますぐ部屋にかえってしまおう、と思った。
「おやおや、兄弟たちが袁家の婿の地位を咽喉から手が出るほどに欲しがっている。
それなのに、幸運にめぐまれた末っ子は、まるで大荷物をかつがされたロバのような顔をしているな。
まあ、たしかに袁家の跡取り娘は、あまり見栄えがよくないから、しかたないか。
ただし、性格はたいへんに良い。
えてして、名家の娘というものは、おっとりしていて気立てが良いものだが、あの娘はまさに、その典型と言うべき娘だ。
最初はしっくり来ないであろう。
だが、年数が経てば、妻にしてよかったと思わせてくれる、よい娘だぞ」
次兄は、十六のときに洛陽に遊学に行って、それきり一度も常山真定に戻ってこなかったという。
それなのに、よその家の事情までよく知っているものだと感心していると、次兄は、傲然と胸を張った。
「おどろいたか、わたしはなんでも知っているのだ。
袁家の主は、おまえが常日頃から、もくもくとおのれを鍛え、兄上の言いつけをよく聞いていたのを知っていた。
だからこそ、自家を確実に守ってくれるであろう少年と見込んで、おまえを婿養子に、と父上に頭を下げた。
もしおまえがこの話を蹴ったら、ほかのおまえの兄どもに話が行くだろうが、向こうとしては残念がるだろうな。
見る人は見ている、ということだ」
つづく
宴のあと、雲は敬に呼び出された。
趙家の屋敷を一望できる、土塁のうえに来いという。
土塁は、このところ力をつけている黒山賊の襲撃を避けるため、村のひとびとが総出でつくったものだ。
厚い雲に覆われて、星空は見えない。
ひゅう、と寂しげな風が、土塁のうえに生え始めている雑草をさわさわと揺らした。
家は目の前にあるというのに、なぜか、この世に自分だけ取り残されてしまったような、さびしい気持ちになる。
雲はおのれの体を抱えるようにして、寒風をやりすごした。
土塁のうえに腰かける。
いつだったか、長兄が機嫌のよい時に話をしてくれたが、この土塁をつくろうと言い出したのは父であったそうだ。
「父上がまだ若くて、天下無双の槍の名手として鳴らしていたころは、襲ってくる賊を、ほとんどひとりで蹴散らしていたのだがな。
事故を予見していたのか、あるいは、おのれの力が落ちていることを実感していたためか、わからぬが、この土塁をつくろうと言い出しだのだ」
父は好色という悪い欠点があったが、しかし領民想いであったのはまちがいない。
いまでは見る影もない父だが、土塁のはなしを聞いて、雲は父を見直した。
父については、ほかにもさまざまな武勇伝が村に残っているのだが、その勇壮な姿をしのばせる手がかりは、この土塁のほか、もうどこにもない。
賊と戦って、守り抜いた土地には、閉そく感ばかりがただよう。
英雄の抜け殻を中心に、いかにちっぽけな土地で生き残るか、岩の裏のだんごむしのようにうごめいている、趙家の子弟たちがいるばかり。
土塁の上に座り込んだ雲は、となりに、お気に入りのしゃれこうべをともにならべた。
そして、家の様子をみつめる。
じっと目をこらしていると、おのれが闇と同化して、すべてを見通せる力を得たような錯覚さえおぼえる。
家のなかの明かりがちらちらとうごいている。
まだほとんどの者が起きているのだろう。
これがおのれの世界なのだ。
闇から俯瞰するおのれを取り巻くすべてを見たとき、雲は、叫びだしたくなる気持ちをおぼえた。
ずっとここにいなければならないのか。
うぬぼれでもなんでもなく、袁家の婿養子の件は、まちがいなく自分にまわってくるだろう。
かねてより、袁家のあるじは、雲を買っていた。
袁家の婿になれば、もうここから逃げられない。
さまざまなしがらみが、四方から手を伸ばしてきて、自分をがんじがらめにしてしまうだろう。
ふと、宴の前の、幼馴染たちの顔が浮かんだ。
かれらが雲との隔たりを、現実のものとして受け入れつつあるように、自分もまた、責任ある身であることを、受け入れなければならないときがきているのか。
あきらめることが、成長する、ということなのだろうか。
「律儀だな、末っ子。ちゃんと来るとは感心だ」
酒で上気した頬を夜風になぶらせて、敬は明るい声を夜闇にひびかせやってきた。
完全には酔っぱらってはいない様子で、足取りはしっかりしている。
なにより、酔っぱらい特有の、どんよりした目つきではない。
すらりと背の高い敬は、風にゆれる雑草を蹴散らしつつ、雲のところへやってきた。
「どうした、袁家の婿になれるという幸運がせっかく舞い降りてきたのに、浮かぬ顔だな。
お母上も喜んでおられるだろう」
気にさわるほどに明るい声に、雲は無言で抗議のまなざしを向ける。
そんな嫌味を言いにきたのであれば、いますぐ部屋にかえってしまおう、と思った。
「おやおや、兄弟たちが袁家の婿の地位を咽喉から手が出るほどに欲しがっている。
それなのに、幸運にめぐまれた末っ子は、まるで大荷物をかつがされたロバのような顔をしているな。
まあ、たしかに袁家の跡取り娘は、あまり見栄えがよくないから、しかたないか。
ただし、性格はたいへんに良い。
えてして、名家の娘というものは、おっとりしていて気立てが良いものだが、あの娘はまさに、その典型と言うべき娘だ。
最初はしっくり来ないであろう。
だが、年数が経てば、妻にしてよかったと思わせてくれる、よい娘だぞ」
次兄は、十六のときに洛陽に遊学に行って、それきり一度も常山真定に戻ってこなかったという。
それなのに、よその家の事情までよく知っているものだと感心していると、次兄は、傲然と胸を張った。
「おどろいたか、わたしはなんでも知っているのだ。
袁家の主は、おまえが常日頃から、もくもくとおのれを鍛え、兄上の言いつけをよく聞いていたのを知っていた。
だからこそ、自家を確実に守ってくれるであろう少年と見込んで、おまえを婿養子に、と父上に頭を下げた。
もしおまえがこの話を蹴ったら、ほかのおまえの兄どもに話が行くだろうが、向こうとしては残念がるだろうな。
見る人は見ている、ということだ」
つづく
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なんだかんだと4月も最終週! 早いですねえ。
5月に親戚がうちにくるのですが、我が家の庭は、ざんねんなことに、いまが花盛り。
5月まで持つかなー、と一家でヤキモキしています。
花粉もなくなってきたし、いい季節になってきましたね。
みなさま、今日もよい一日をお過ごしください('ω')ノ