かつて、ユースホステルとして泊まりました。
拝観時間が過ぎ一般の方が去った後のんびりとお庭を散歩させていただきました。
住職の奥様から息子さんがアメリカに居て郵便を出したいのでと封筒の宛名書きを頼まれました。
折角なので10枚ほど書いて差し上げたらとても喜ばれたのを思い出しました、懐かしい
京都・智積院の名宝展
サントリー美術館で開催されています。
本展の見どころは何と言っても長谷川等伯親子による障壁画。
秀吉が夭逝した長男鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲寺から智積院が引き継いだもの。
この作品は、全体にしっとりとしており、秀吉が亡き息子を想う心情を反映してか穏やかなものになっています。秀吉はこの襖絵に囲まれた部屋でしみじみと悲しみに暮れたのでしょうね。楓図:長谷川等伯
桜図:長谷川久蔵
当時の秀吉は豪快な作風の狩野永
徳を好んでいたようですが、さすがに菩提を弔うには等伯を選んだのでしょうね。
参考までに 唐獅子図:狩野永徳
会期は2023年1月22日(日)
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2022_5/
いろいろ展示が中止になりましたが、現在の会員カードで2021年3月の展覧会迄入館フリーパスとして使えるそうです。
要するに今年度中は無料で展示が見れるとのこと。
ただし以降の展覧会の開催はどうなる事やら?
美術館の図録
ツタンカーメンテンの図録
裏表紙
アムステルダム国立美術館の公式図録
ヴァチカン美術館の図録
その裏表紙
プラド美術館の公式図録
書棚を整理していたら若い頃に行った美術館の公式図録が出てきた。
スペインプラド美術館、ヴァチカン美術館、アムステルダム国立博物館。
ウィーン国立博物館(今はウィーン美術史美術館)、大英博物館、ルーブル美術館のは散逸したようで見つからなかった。
その代り、1965年に東京で開催された「ツタンカーメン展」の金色に輝く図録が出てきた。
プラド美術館
https://www.museodelprado.es/
ヴァチカン美術館
http://www.museivaticani.va/content/museivaticani/it.html
アムステルダム国立博物館
https://www.rijksmuseum.nl/en
ウィーン美術史美術館
http://www.khm.at/
大英博物館
http://www.britishmuseum.org/
ルーブル美術館
https://www.louvre.fr/jp
没後50年を記念して開かれた大回顧展。
彼の評価は日本でよりもその活躍の場だったフランスでの方が高い。
過日山田五郎さんのとても楽しい講演会を聞きましたので、それを想い出しつつ鑑賞してきました。
彼の作風は学生時代は師 黒田清輝のアカデミー。
フランスに渡ってからはモンパルナスの画家仲間達や特にモディリアニなどから影響を受け、ひょろっと細長い人物画を描いた。
第1次大戦後には彼の代名詞ともいえる「乳白色の裸婦」を描く。
第2次大戦中は一時帰国していて、戦争画も画き、それが元で終戦後は世間から白い目で見られてしまう。
そんなこんだで日本には嫌気が差し再びフランスに渡り、二度と日本の地を踏むことはなかった。
渡仏後はカトリックに改宗し、宗教画なども画いた。洗礼名は「レオナール」
ただ残念だったのは東京都美術館の室内照明が橙色でしたので、
肝心の藤田の「乳白色」が黄ばんで見えたこと。
東京都美術館に猛省を促したい!!
行った日はそろそろ会期も迫っていたので、20分待ち。
入口で並んでいたら偶然知り合いを発見。
折角ですのでご一緒させていただき楽しく鑑賞して来ました。
結局閉館間際までいましたので、韻松亭でお食事までご一緒させていただいちゃいました。
なお、藤田嗣治素描・版画展が以下の日程で開催されています。
日時:10月17日(水)~23日(火)
場所:小田急百貨店新宿店本館10階=美術画廊・アートサロン
入場無料
いただいたチケットですが、最終日に滑り込みで国立科学博物館に行ってきました。
さすが最終日で日曜日とあって親子連れで大混雑。
紀元前3000年からスペインのピサロに滅ぼされるまでのアンデス文明の変遷。
地理的にはアンデス山脈に沿うように南アメリカを南北に細長い地域。
この地域はものすごい乾燥地帯のようなので、ミイラを作って死者を敬う習慣だったようです。
南米大陸はエルドラド(黄金郷)と言うことで、スペイン人にアンデスの黄金を本国に持ち去られ、地金に溶かされて加工されてしまったので、現在は金製品はほとんど残っていないとのことでした。
スペイン人が来て原住民をいきなり大量虐殺してしまったのかと思っていましたが、スペインに迎合する勢力や反対する勢力が入り乱れインカの国々もばらばらになってしまって衰退してしまったようです。
https://www.kahaku.go.jp/exhibitio…/ueno/special/2017/andes/
サントリー美術館で「狩野元信展」、上野の西洋美術館で「アルチンボルト展」
狩野元信展はサントリー美術館の友の会向けの講演会&内覧会。
やはり解説を聴いてから作品を見ると、なんとなく分り易い。
元信は狩野派の始祖狩野正信の息子で、かの狩野永徳の祖父。
正信がどちらかと言うと漢画(水墨画)であるのに対し、元信はそれのみならず「やまと絵」に
も秀でていました。
彼は工房を構えて作品を制作していました。狩野派が師の模写を徹底的にするのはこれに由来す
るのかもしれません。
午後は上野に移動しアルチンボルト展。
彼の絵はいろんな素材をパーツにして肖像画を画く。
当然細かい処をつぶさに見ようと思い、双眼鏡を持参したのですが・・・・・
なんと上の階のコインロッカーに置き忘れてきた。
結局肉眼で見たのですが、その発想が面白い絵画でした。
動物や植物、はては静物までパーツとして使った楽しい肖像画。
当然モデルになった神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世もユーモアにあふれた人ではないかと。
人類はこの方いろいろなものを描いてきたが「風景画」と言うものは近年になってからの物とか。
確かに、石器時代には動物など(ラスコーやアルタミラ洞窟画)のみ。
フランス・ラスコーの洞窟壁画
下って古代ギリシャやローマでも「風景」を描いたものはない。
キリスト教世界になっても、キリストや聖人達を描いた絵の画中には「背景としての風景」が描かれている程度(レオナルド・ダ・ヴィンチの最期の晩餐、受胎告知)
受胎告知:レオナルド・ダ・ヴィンチ
しかし、北ヨーロッパのフランドル地方などでは、ローマカトリックに対峙するように教会の聖母子像など偶像崇拝的な絵画の注文が少なくなってきた。
当時興隆してきた市民階層の注文に沿うような画題が描かれるようになっていった。
ロランの聖母:ヤン・ファン・エイク
ウィーン美術史美術館にはペーター・ブリューゲルなどの風景を描いた素晴らしい作品群があるが、今回は息子ヤン・ブリューゲルの作品が来ているだけなのでちょっとがっかり。
雪中の狩人:ペーター・ブリューゲル
エジプトへの逃避途上の風景:ペーター・ブリューゲル
画中に風景が描かれるようになったのは時祷書によるものが大きいとのこと。
参考として「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」のファクシミリ版の展示があった。
ベリー候のいとも豪華な時祷書:ランブール兄弟
ベリー候のいとも豪華な時祷書 11月:ランブール兄弟
今年の正月にフランスのシャンティー城まで見に行ったのですが、
本物の展示はなくモニター映像での鑑賞でした。
講師:松原 典子 上智大学外国語学部イスパニア語学科准教授
1.プラド美術館とスペイン王室コレクション
2.小品の愉しみ その1(主要出品作の解説)
3.小品の愉しみ その2(主要出品作の解説)
上智大学社会人講座の頭書講座を受講します。
第1回目はスペイン宮廷とプラド美術館の歴史を中心としたお話。
レコンキスタを経てアラゴン王とカスティリア女王が結婚しスペインが統一された。
その後スペイン王家とハプスブルグ家との婚姻を経て世界に冠たる大帝国を築き、それに伴い美術品も収集された。
ハプスブルグ家の領地だったフランドルの画家の作品が多く、またベネチア派の絵画も多数収集された。
フランドルの画家ではルーベンスや、ヒエロニムス・ボス。ベネチア派ではティツィアーノなど。
またスペインの画家ももちろん多数収蔵されている。ベラスケス、ゴヤ、ムリーリョ。
ただ、スペイン宮廷内画家はフィレンツェやローマで重んじられた素描派が殆どで、色彩派であるベネチア派の絵画は別に発注するなどしていた。
たとえば、先ほどのルーベンスやティツィアーノなど。
従ってベラスケスのようにスペイン人が宮廷画家になるのは珍しかったとか。
プラド美術館の収蔵品の収蔵に当たっては、フェリペ2世、4世の尽力が大きかった。
・・・
今回の展覧会ではヒエロニムス・ボスの作品が必見であるそうです。
もともと寡作で板絵が多いため、移送に難があるので日本での展示が適わなかったそうです。
今回の展覧会はスペインで開催されたものの縮刷版のようなものでありその際発行された図録をもとにし
て今回の展覧会用の図録ができたそうです。
その図録のスペイン語から日本語訳をなさったのが講師の松原先生です。
http://mimt.jp/prado/
画像中:国宝 曜変天目茶碗:藤田美術館
画像右:国宝 曜変天目茶碗(稲葉天目)静嘉堂文庫
内覧会の日でしたので空いてはいましたが、スライドレクチャー3回はいずれも満員とのことでした。
そもそも3時の回の公演を聞くのに何で11時に整理券を配布するのでしょうかね。
2時に行っても無理なようです。以前は講演開始30分前からの受付でしたのに。
・・・
藤田美術館は大阪の美術館なのでなかなか足が遠かったところです。
国宝9件、重要文化財52件を擁する魅力的な美術館の展覧会。
今回のは多くの国宝の展示がありますが、とりわけ「国宝 曜変天目茶碗」が目玉でしょうね。
世界に3点しか存在しない曜変天目茶碗の1点ですので期待十分です。
作品はその期待に違わずとても魅惑的なもの。東京の静嘉堂文庫のそれが神秘的なのと比べるのも楽しいですね。
ただ、展示ケースのある場所の照明が極度に落としてあるため、器の内側はぐるりと回って観る分には向いているのでしょうが、
側面である外側が真っ暗で何も見えない。下に鏡を置くのも手かと思いましたが、
それでは肝心の内側の趣を失してしまう。
いっそのこと、静嘉堂文庫のように明るい室内で展示でもよかったのかもと。
そうは言うもののとにかく素晴らしい茶碗でした。是非ご覧ください。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2015_4/index.html
参考までに
静嘉堂文庫 http://www.seikado.or.jp/collection/index.html
藤田美術館 http://fujita-museum.or.jp/
休日なのに早起きして千葉の土気にあるホキ美術館へ。
8時に家を出てから約2時間半かかって到着。
「現代の写実」をテーマに館蔵品の展示。
写真かと間違うほど細密に描かれているが
やはりどこか写真とは違う。
どこか不自然な空間が介在してしまっているよう。
でもある種、写真よりもリアル過ぎる。
そんな違和感が好いのかもしれない。
そこから取って返し、千葉市美術館へ。
でも休日の昼は鉄道の接続が悪い。
已む無しか (;一_一)
こちらでは須田悦弘展。
造花のような素材でリアルな存在のある空間を作り出している。
なんとなく不思議な空間で、展示ブースには靴を脱いで入るのだが、
妙な錯覚を起こしてしまう。
やはり千葉は遠いなあ~、我が家からは (-_-)zzz
ホキ美術館
http://www.hoki-museum.jp/
千葉市美術館
http://www.ccma-net.jp/
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2012/1030/1030_pres...
千葉市美術館でアンケートに答えら,
「チーバくん」のハンカチをもらいました。
企画展は「帰ってきた江戸絵画 ニューオーリンズ ギッター・コレクション展」
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2010/1214/1214.html
江戸中期から明治にかけての日本画のコレクション展です。
コレクションのオーナーのカート・ギッター博士は,
1963年~65年に福岡の米軍基地に医師として勤務した時,日本美術に魅かれて
蒐集を始めました。
特にこれはと言うものではないですが,好いものを蒐集したと言うのが印象です。
しかも比較的短期間のうちにこれだけ蒐集すると言うことは,
相当なる審美眼を持っているということですね。
これだけ日本の美術に詳しいから日本語が出来るのかと思いきや,
日本語を勉強するつもりはないとのこと。
日本語が分ってしまうと,あれやこれやと理屈で考えてしまい,
本来の『美』と言うものから目がずれてしまうからだそうです。
本展の構成は6部からなっています。
「若冲と奇想の画家たち」
「琳派の多彩」
「白隠と禅の書画」
「自然との親しみ」
「理想の山水」
「楽しげな人生」
今回は百点を越える出品ですが,
彼の自宅ではこれらが惜しげもなく,インテリアとして展示されています。
こんなお宅を訪問してみたいですね (^u^)
陶磁器は九谷や伊万里など華やかなものも好いが、
青磁・白磁もなかなかに趣が深い。
特に青磁は大好きで、時として買い求めることがある。
かれこれ30数年前に買った美濃焼の青磁の徳利と杯。
今でも気に入って使っている。確か、加藤何がしという方の作。
貫入が綺麗に入っている湯のみ茶碗も使っていたが、
残念ながら洗う時に端が少し欠けてしまった。
そんな私が見逃すはずもない「南宋の青磁」展、
根津美術館で開催中です(~11月14日)
この南宋青磁は龍泉窯で焼かれたもの。
その抜けるように澄んだ青い釉薬の見事さで、「宙をうつすうつわ」と賛辞されている。
展示品には国宝も含まれており、「青磁鳳凰耳瓶 銘萬聲」、
重要文化財「青磁輪花碗 銘馬蝗絆」など多数あり、感激です。
「青磁輪花碗 銘馬蝗絆」は室町幕府の足利義政が愛用していたが、
破損してしまい明(当時の中国)に同様の茶碗の製作を依頼したが、南宋から時代も下がり、
もはや青磁の製作技術はなく、破片を繋ぎ合わせ戻して寄こしたという茶碗である。
修理の際に使用した部材が、蝗(いなご)のように見えることから、この名が付いたと言う事である。
実際の展示では、その箇所が見えにくいので、鏡など置いて欲しかったですね。
根津美術館 URL
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html
思いつくままにいろいろと書いてみます。
薬師寺は奈良の古刹で、法相宗です。
この宗派は玄奘三蔵、そうです、西遊記で有名なあの三蔵法師が開祖です。
今回の展示にもそのお姿の絵が出展されていました。
薬師寺は天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒のために発願されて、
建立されたお寺です。
薬師寺は、創建以来、たびたびの災害火災に見舞われ、
伽藍は殆ど失われ、創建当時のものは東塔を残すのみとなっておりました。
そこで、昭和40年代の中ごろから伽藍の再建を考えました。
しかし、薬師寺はお墓を持たない、檀家を持たないお寺でありましたので、
当時の高田好胤管主が、写経による浄財を募ったわけです。
私の母も、信心の篤い人でしたので、写経を始めましたが、
その頃から体調を崩し、病の床に伏してしまいました。
そして、母の頼みを受け、私が母の代わりに写経を続けました。
しかし、2巻ほど写経をお納めした頃、母は鬼界へと独り旅立ってしまいました。
母が亡くなってしまったあと、写経をやめようかと思ったのですが、
母の意志を次いで、母ができなかった写経を続け、十数巻書きました。
その一巻一巻を書いていると、子供の頃からの母との想い出が走馬灯のように駆け巡り、
なかなか手が進みませんでした。時には、涙をこぼしてしまい、
せっかく書いた文字がにじんでしまったりした事もありました。
一般にはその写経したものを奈良の薬師寺まで郵送するのですが、
私はそれを奈良の薬師寺まで持参し、薬師三尊にお参りして来ました。
当時は丁度金堂か完成し落成法要があると言うことで、修二会式にも参列しました。
今回薬師寺の日光菩薩・月光菩薩の両脇侍を拝するのは32年振りということになります。
そうです、来年の一月が、亡き母の33回忌になります。
これも何かの因縁かと思い、上野には3回足を運びました。
しかし、御尊像はいわゆる美術工芸品とは思えず、
お像の向こうに亡き母の面影が見えるような気がしました。
そんな訳で、お数珠を持参して特別な気持ちで御参りさせて頂いた次第です。
合掌
20日の火曜日はなんとなく熱っぽく、ボ~ッと(何時もですが)していたので、
ちょっと失礼して会社を早引き。
九段下まで来て東西線に乗り換える時、うっかり反対方向の電車に乗ってしまい、
気が付いて慌てて次の竹橋で下車。
竹橋は西行きと東行きとではホームが別々。
階段を渡り向こう側に行こうと改札のそばを通ったら、
東京国立近代美術館工芸館で
「漆芸界の巨匠 人間国宝 松田権六の世界」展のポスターを発見。
本能的に改札を出てしまい、小雨降る中をひたすら、会場へ会場へと、
足が勝手に進んでいく・・・・
先月だったと思うのだが、NHKの新日曜美術館で放映されていた。
テレビを見て、これは凄い人だな~との印象を持っていた。
何しろ人間国宝になっても、絶えず研究を惜しまないその姿勢。
凡人中の凡人であるわん太夫には想像もつかない世界。
足元どころか、遠い彼方の感。
実際見た観想は、テレビや写真で観るよりもはるかに凄い。
漆の部分もさることながら、「螺鈿」を施した蒔絵、絶句の一語。
特に『赤とんぼ蒔絵箱』のとんぼの意匠は、視線を上下・左右と動かしてみると、
今まさに箱の上から翔び立とうとしているよう。
正倉院御物の琵琶の駱駝の螺鈿を思い出します。
小さな茶入れの棗や、膳のしつらえ等も見事と言う外はありません。
彼の弟子の方々もしっかりとその技術を受け継がれています。
これは、後世に受け継ぐという最も大切な作業ですね。
こんな素敵な作品を拝見していたら、会場を後にするころにはすっかり元気になっていました。
「目」から直接投薬を受けたようなものでした。
画像等詳細な記事は、Tak(たけ)さんの『弐代目・青い日記帳』をご覧ください。
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=928
さらに、こちらもお立ち寄りください
一村雨さんの 『つまずく石も縁の端くれ』