西洋絵画の父 ジョットとその遺産展が11月9日まで開催されています
会場の入り口付近
損保ジャパン東郷青児美術館
http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/index.html
池上先生の引率によりVTCのイヴェントも行われましたので、
ちょっと関連記事を書きます。
ジョットは1267年ごろフィレンツェ近郊で生まれたとされています。
ジョットは羊飼いの少年だった頃、
チマブーエに認められその弟子になったとされています。
しかし、同時代のダンテは『神曲』のなかで、
ジョットの出現により、チマブーエが第一人者ではなくなったと記しています。
さてそのジョットですが、
絵の中の人物が持つ心や感情を外に引き出してきました。
つまり、我々見る側の目線で描いています。
例えば、顔の輪郭線や頬などにうっすらと陰影をつけたりして立体感を出しています。
ジョットはその優れた技法により、イタリア各地に呼ばれて仕事をしています。
そしてその土地土地で、地元の画家達と共同で作業をすることにより、
ジョットの影響が各地に広がったわけです。
その彼らはジョッテスキと呼ばれています。
ジョットの影響はシエナ派などの画家にも受け継がれていきます。
そして、その華麗な技法へと発展させたシモーネ・マルティーニも登場します。
ジョットによって開かれたルネッサンスへの扉は、
夭逝の画家マザッチョにより決定的となりました。
マザッチオは科学的に遠近法を取り入れた初めての人といわれています。
そのマザッチョの作品はブランカッチ礼拝堂に観ることができます。
カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂
聖三位一体:マザッチョ
ルネサンスの画家、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロを初めとして、
多くの画家たちがジョットを尊敬しておりました。
ミケランジェロはジョットの絵を模写していたことが伝えられています。
ジョットの人物画の技法を完成させたのは、ダ・ヴィンチでしょう。
特にモナリザを見ると、ジョットからの到達点にあるように思われます。
《聖母子》:ジョット・ディ・ボンドーネ
モナリザ :レオナルド・ダ・ヴィンチ
ルネサンスの時代の画家たちがジョットを尊敬していたのとは異なり、
17世紀以降のイタリアでは、ジョットの評価ははかばかしいものではありませんでした。
それはイタリアにおける絵画芸術進歩の停滞と期を一にします。
近世のイタリアでは、作品の修復等に当っては、
ジョットの作品については、額縁等の修復をしても、
ジョットそのものの手による部分については修復の手を入れなかったそうです。
それはジョットに対する大いなる尊敬の現われといわれています。
ジョットの作品に手を加えることは、恐れ多いということですね。
以下はジョットを世に知らしめた、聖フランチェスコ聖堂の壁画
『聖フランチェスコの生涯』です。
ただ、第1の場面と第26~28場面は、ジョットの作ではなく、
『サンタチェチリアの画家』と呼ばれている人の手になるものと考えられています。
1.素朴な男の聖フランチェスコへの表敬
2. 貧者にマントを与える聖フランチェスコ
3. 武具のある宮殿の夢
4.サン・ダミアーノの廃堂で神の声
5.財産放棄
6.イノケンティウス3世の夢
7.会則の認可
8.火の車の幻視
9.玉座の幻視
10.アレッツオでの悪魔退治
11.火の証
12.聖フランチェスコの法悦
13.グレッチョでの降誕祭
14.泉の奇跡
15.小鳥への説教
16.チェラーノの騎士の死
17.ホノリウス3世の前での説教
18.アルルの修道院に現れた聖フランチェスコの幻影
19.聖痕を受ける聖フランチェスコ
20.聖フランチェスコの死
21.修道士アゴスティーノと司教グイドのもとに現れた聖フランチェスコ
22.聖痕の検証
23.聖フランチェスコに別れを告げる聖女キアラと修道女たち
24.列聖
25.グレゴリオ9世のもとに現れた聖フラ ンチェスコ
26.レリダから来た傷ついた男
27.ベネヴェントの婦人の告白
28.悔恨する異端者の牢獄からの解放