漢字を捨てた韓国、捨てなかった日本―中国メディア
中国メディア・時代週報は25日、近代中国の白話文運動の後遺症を、日本における漢字廃止をめぐる動きと対比する形で論じた、華中師範大学国学院院長で書法家の唐翼明氏による評論文を掲載した。
五四運動のなかで起きた白話文運動の重要性は誰もが認めるところだ。しかし、今や完全に天下を取った白話文の推進運動には本当に問題点はなかったのか、という疑問が提起されたこともほとんどなかったのだ。以前、柄谷行人氏と四方田犬彦氏という2人の日本人学者に「なぜ日本はハングルのように漢字を捨ててひらがなやカタカナに置き換えないのか」と聞いたことがある。その答えは「1つの漢字を捨てることは、その字に込められた文化の珠玉を捨てることになる。韓国人は今、後悔しているよ」だった。
その正論ぶりと思考の深さにとても驚いた。
その話から、白話文の台頭で中国人の日常生活、そして記憶からさえも追い出されていった文語文の境遇に思い至った。われわれは文語文が背負ってきた文化的な宝まで葬り去ってしまったのだろうか。もちろん、文語文は漢字廃止のように完全に捨て去られたわけではなく、白話文の中に一部が生きている。しかし、使わなくなった、あるいは意味が変わった字句が沢山あることは否定できまい。
たとえば、儒家の中心的概念の「仁」は、白話文では単独で使うことがほぼない。しかし、その文化的含意は、白話文で登場する「博愛」などの言葉で機械的に置き換えられるものではないのだ。
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中国4000年から漢字伝来、韓国も当初は漢字文化だったのか。日本は、これを元にひらがな、カタカナに独自に進化した。やっぱり朝鮮とは、何でも文化が異なるレベルも。

はくわぶんうんどう【白話文運動 Bái huà wén yùn dòng】
中国近代の口語文運動。まず広義に解して,清末の維新運動の中で古典的文語文の限界が自覚され,一部に〈言文一致〉の主張が芽生えて以来の大衆的書面語の創成・普及のための意識的努力全部を指すとすれば,それは,民国時代の〈国語〉を経て今日の〈普通話(プートンホワ)〉に至る近代国民国家としての共通語の形成運動と互いに規定し合いながらその最も重要な一部をなしたものといえる。しかし,文語の特殊な権威が王朝体制の〈礼楽〉秩序の根幹をなす〈文章〉観念に由来した以上,口語文が正統性をかちえるためには,王朝制自体の崩壊を前提とする文学言語の解放が必須であった。...イマイチ判りません。