阿波池田「禿頭」の酔っ払って候(元福寿司2代目)

ブログ開始9年目、75歳になった。家族、師、友にブログ通じ少しでも恩返しが出来れば幸いなり。

道元様 14

2014年02月22日 21時42分11秒 | 仏法
今日は出かける予定でしたが、都合が悪くなり
予てよりお願いしていました、旧館の洗浄機と
冷蔵庫を入れ替えました。10年以上使っていた
物ですので、取り除いた後の清掃に時間がかかり
業者の人を待たしてしまい時間がかかって仕舞い
ました。明日はお祝の料理弁当のご注文が入って
いますので、入れ替え終了後仕込みをしました。

道元様は顔の洗い方、トイレの仕方、お風呂の入り方
まで指導されています、というより日常全てが
沢木興道老師の言葉で言いますと「仏法とは”生活の
全分をひっぱられてゆく”ということじゃ」生活の
一分ではないんです、全てなんです、だから道元様は
正法眼蔵で生活の全分をご指導されているんです。


実はモラロジー研究所を創設された[廣池 千九郎博士]の
道徳科学の論文の中で、洗面、入浴、トイレのことを
書かれています、当時は道元様のことを全然しりません
でしたので、道徳科学の論文を読んだ時はびっくりしたのですが
実は青山先生の話によると、釈尊もわが子ラフラーに
トイレの作法を教えておられるとのことです。

新館ができる1,2年前でしょうか、A銀行から出向か
移動で、○○指導センターに勤務するHさんが
昼食に来店、禿頭はすし組合の役員をしておりましたので
しばらくお話をしたあと、トイレを使われました。
昼の営業を終了後、長男がトイレに入ったあと、
その汚さに怒りをぶちまけ、Hさんに「う○こまん」と
言う称号を与えました。50代で自分のトイレの後始末が
出来ないのに、○○指導センターでなにを指導すんねん
というわけです。

仏法とは”生活の全分をひっぱられてゆく”ということじゃ。

沢木老師も道元様の意をたいしてのお言葉なんですね。
レベルの高いお話は青山先生の解説がなければ、なかなか
理解ができません、CDのお陰です。




コメント
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