前から覚悟はしていたが、ついにその時がきた。
連絡を受け、仙台市に向かう。
我が田舎では、通夜は身内、平服が普通だが、仙台市では
葬式と同等かそれ以上の式を行う。
もちろん正装だ。
正装して通夜→夜通し線香守→正装して葬儀→火葬
けっこうハードだ。
義母(嫁の母親)なので、「借りてきた猫」状態だ。
まあ、喪主よりは何倍もいいのではあるが・・・
参列者の便宜を図り、100日法要までいっしょにやってしまう。
ここまでは、どこでも普通に行われていること。
しかし、仙台市では49日、100日法要に移るとき、別に御霊前を出す。
アナウンスでは「仙台市だけの風習ですので、それ以外の方はそのままでけっこうです」と
言っていたのだが、なんか居心地悪いよね。
先に言ってくれよと・・・
しかし、都会の葬儀らしく、とぎの使い、詠読み、親(合ってるのか?)などは、ない。
また、「なんであいつが飯持ちで、俺が団子持ちなんだよ」などと不満を言う人もいない。
その場で決めるくらいのラフさ加減である。
すっきりしている。
今回も「読経だけ」のアルバイトのお坊さんに依頼した。
檀家付き合いなし、寄付なしである。
都会の葬儀はスマートで、「この機会に、飲むだけ飲んでやんべえ」なんて人はいない。
また、「とりあえず食わせるだけ食わせねえと、何言わっかわかんねよ」なんて言われることもない。
みんな形ばかり、一口箸を付けて帰って行く。
都会はみんな忙しく、「出勤前」とか「仕事をちょっと抜け出して」という人ばかり。
ほとんどの人が、ウーロン茶を一口飲んで車で帰っていくのだ。
50人の参列者の葬儀で、ビールが3本しか消費されなかった(笑)。
実にうらやましい。
いつからか、火葬場がプライバシー保護のため「場内撮影禁止」になっていた。
場内を撮影してブログにアップする私のようなヤツ(笑)がいるため、トラブルになるのを避けたいのだろう。
仙台市では人口が多いため、告別室に長い時間いられない。
だから、葬儀場でお棺を閉めたら、あと故人の顔を見ることはできない。
すぐに炉に入ってしまうのだ。
実際、次の遺族が我々の終了を待っていた。
表示も液晶パネルで、すぐに次の遺族の名前に書き換わる。
呼び出しアナウンスも人工音声で、
「1号炉のご遺族の皆様、第5収骨室へおいでください」
という具合だ。
でも、個人的には嫌いではない。
どんなに悲しんでも、死んだ人間は生き返らない。
淡々と、肉体が消えて骨になるプロセスを行うしかない。
義母だから言うのでない。
享年80歳。若すぎる、ということはないだろう。ちゃんと順番通りだ。
どんなに尽くしても、悔いなんてものは残るものなのだ。
私の亡父のように、心筋梗塞であっさり死なれても、2~3年看病した後逝かれても
やはり、悔いというものは誰にでもあるのだ。
俺って、考えがおかしいかね?
義弟には申し訳なかったが、台風が心配だから、火葬後早めに帰宅準備。
みんな火葬場ではお菓子くらいしか食べていないので、火葬の後、葬儀場で「ふるまい」と
呼ばれる食事が用意されているのだが、私と会津柳津町の親戚は早めに退席した。
帰りは「はま寿司」。
「大トロ」らしい。ご存じの通り、マグロ、牛などの部位は、はっきり区切られてはいない。
ここから大トロだな、と言われればそうなるのだ。
このギラギラした油がなんとも・・・演出するくらいなら、いっそやらないで欲しいね。
「鮭」らしい。
別にサーモンというネタがあるのだが・・・
まあ、回転寿司のサーモンは、ほとんど「マス」だから、これは本物ですよ、ってことか(笑)?