アコログ

色んなコトを感じ思ったこと。 誰かに伝えたくなったこと。 日々の記憶。忘備録。

最上義光記念館にて。

2015-01-15 18:26:01 | 日記
今日は、最上義光歴史館へ~~

今週末で終わっちゃう
古文書展ってのを見に行ったのでした



この古文書(こもんじょ)展、山大の学生と
博物館が共同で展示したとかで、
絵などでわかりやすく説明されてるらしい
しかし、江戸時代の庶民の今の離婚届に当たる離縁状とか、
妻や嫁の家出・娘の身売りなどって、
役所?に届けられ、ちゃんと書面化されてたんですねぇ~


さてさて。
最上義光記念館は、無料で入れて、
常設展は、最上義光のことがいっぱい学べますw

古文書展を見に行ったあたしなのですが・・
江戸時代っつーことでき着物を着てったからか、
入館するなり、目を引いたのか・・
「ボランティアガイドおつけしますか?」
なんてことになり、ガイドのおじさまと回ったのでありますw

ちなみに、山形人なら誰でも知ってるであろう
最上義光ですが。。。
みんなホントに知ってますか~?

実はあたしイマイチ知らなかったのですw
悲運の絶世の美女、駒姫のお父さんとか、
それぞれの菩提寺とかw
山形城主とか当たり前のことくらいしか。

最上義光とは。。
羽州探題(室町時代に出羽国に置かれた幕府の役職)
の名門ながらも、衰退していた最上家を、
戦国乱世の中で57万石まで押し上げた名将で、
山形県の戦国大名です。

もとは22万石を、57万石までのし上げた功績は、
東の関ヶ原の戦いでした。(長谷堂合戦)

一揆も起きない善政を敷き、山形の基礎を築いた仁君で、
長谷堂合戦では、直江兼続率いる上杉軍が
2万余の軍勢に対し、最上軍は7,000余(3000余かも?)
だったのに、美濃の関ヶ原の本陣が決着つくまで
持ちこたえられたのは、数には入らない領民が
共に戦ったからと言ういわれがあるほど、人望高い人だったそうな

その長谷堂合戦で、直江軍から受けた鉄砲の玉が
織田信長より賜った、兜にあたったと言う記述があり、
その兜が展示されてましたよ~。
何百年も経っているのに、すごく綺麗な兜なのは、
鉄の重さが3k以上らしく(...って頭に3kgが首やられそう
重ければ重いほうが、錆びないんだとか、
案内人の方が言ってました(笑)

説明してくれる人も楽しそうで、
聴く側のあたしも面白くって
裏ネタとかもあって楽しかったけれど、
約2時間近かったので、トイレには行きたいわ
4時近くって、母親を4時に病院に連れてくと
約束があったので、ちょっと焦ってしまったけどw
5分で家に帰り着物をばばばっと脱ぎ散らかして
速攻送って間に合ったから良かったけどw

今度は時間あるときにゆっくり行ってみたいです
(もっと沢山教えてもらったけど、書ききれません
名刀鬼切丸、本物が見たい刃物恐怖症ですがww)



でもって、楽しい時間をありがとうの案内人の方とw
後ろの、最上義光公は実寸を模したものだそう。
5尺(190cm近く)もあった怪力な御仁だったとかww
当時の男性の平均身長150cmとかなのにww