モーせは12人の族長にカナンの地を探るようにと遣わすとき、細かいチェックリストを与えている。その前に、そのカナンの地は、神がイスラエル人に与えようとしている地であることをしっかり説明していなかったのだろう。
それで、偵察している間に、神の約束も、神の助けや導きも必ず与えられることを、忘れてしまって、恐れる思いが先行してまった。
モーセから与えられたチェックリストを詳細に調べる以上に、自分達がその地に行くことを前提として、そこにどんな神の導きと助けを求めるべきかなどを、かみの働きに信頼して、具体的な報告をするべきであった。
昨日、父の日の感謝会の最後の締めの祈りをするように婦人会長から依頼を受けた。
毎年、子供たち、学生達、社会人で独身の人たち、婦人たちが、それぞれアイデアを出して感謝を表す企画をしている。去年もそうでしたが、ビデオを撮ったり、リモートでやったりと、色々と工夫をしています。
そんな楽しい、嬉しい会の最後のお祈りを頼まれたことにちょっとした恐れを感じて、誰か他の人に頼んだらよいのに・・・・と一瞬思ったが、それは不信仰であるとわかって、その場で引き受けた。
それぞれが隠れたところで企画し奉仕をしてくださっていることを知らないでいたことを悔い改め、婦人会長に今年は各会がどんなことを企画しているのかを、まず聞くことにしよう。
毎年しているから今年も同じようにではなくて、今年、今、父の日を感謝する意味と、感謝するべきポイントを神様に祈って確かめることにしょう。
そして、否定的ではなく、教会全体が神の守りと導きに信頼して、大胆に喜んで教会生活、また社会生活ができるような積極的な雰囲気となる最後のお祈りとなるように、備えの祈りをしよう。