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ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをまとめています

ほんとうに聞き従うなら、そのようになる

2021-04-22 | ゼカリヤ書

神の約束には、条件がつくことがある。

従うなら

守るなら

検索してみたら、本当にたんさん、もし・・・ならという条件がありました。

それは、旧約の時代も、新約の時代も、変わらない神様のご性質ですから

自分自身の従順の献身度が問われます


ゼカリヤ書
 6:15 また、遠く離れていた者たちも来て、【主】の神殿を建て直そう。このとき、あなたがたは、万軍の【主】が私をあなたがたに遣わされたことを知ろう。もし、あなたがたが、あなたがたの神、【主】の御声に、ほんとうに聞き従うなら、そのようになる。」

気に入ったところだけ聞き従うとか
中途半端でいい加減な姿勢で従うとき
内面に二心を抱えたまま従うとか
パートタイマーとか季節労働者のような仕え方とか

そんな状態のままでは、
神が喜んで大いに祝福するというところにまでは、至らないかも知れない

不十分なしもべですが、主は、赦して、導き続けてくださっていて感謝です

今日の朝、予定していたことは、ほぼできたが
一つ、課題をすることが残っています。

神様は、そのための時間を残してくださっていますから
これからとりかかることにします


教会の植木鉢の手入れをします
ラインで遠隔地会員の姉妹と、主日説教への応答の分かち合いをします。
弟子訓練のための課題をします
お誕生会の準備をします


弱い者よ。叫べ、勇士だと

2021-04-21 | ゼカリヤ書

私の視力に問題があり、下半身に力が入らないので、鍼灸院に通って、かなり回復したので、愛する姉妹に紹介したら、彼女も通い始めました。

彼女は、問診と触診の後、「あなたの身体はボロボロになっている、よくここまで耐えて来られました。私がしっかりと治療しますから安心してください」と言われたそうで、すでに何回か通っています。

今回は、先生に「人に気を遣わないようにする練習をしましょう。まずは私に気を遣わないで」と言われたと、混乱している様子のラインが来ました。

身体は、精神的なものからも影響を受けるものですが、クリスチャンは霊的な力を神からいただいています。そのことを、鍼灸医は知らないので、自分の能力、経験、意欲で、治療して回復させて行けると信じて、熱心に治療にあたっていますから、私自身も、それはトンチンカンだなと思うような事を言われたことがありました。もちろん、私は黙っていないで、ちょっと言いました。そして信仰の本を差し上げました。

 

 

ゼカリヤ書4:6 すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの【主】のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の【主】は仰せられる。

この世の人は、人生を力強く生き抜くためには、とにかく元気で健康で、自分の意志をしっかり持って、礼儀正しくいていないと、幸せに生きて行けないと思っている人が多い。

しかし、神は言われる。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』

人間は、神の霊によってのみ、永遠の価値ある働きをすることができるものです。

帰還した捕囚の民は、人数も少なく、弱々しく、敵に様々に妨害された。
それで、確かに、疲れ果ててボロボロになり、貧しい状態でした。

しかし実は、彼らには、全地全能の神が味方についておられたのだ。

私たちも、人の力や権力、能力にも、また自分自身の力にも頼らないで、ただ、神にのみより頼んで、たとえ死んでもよみがえる、天国にある信仰生活を、どんな状態であっても、喜び、感謝して生きて行きます。

鍼灸師の先生にも、クリスチャンには神の力によって内から励ましを受けていることを知っていただきたい

 

今朝は、ほとんど何もしないで、ずっとゼカリヤ書と取り組んでいました。読みたい楽しい本や、家事、趣味など、気になることもたくさんあったのですが、神様は私をつかんで離さないで、机の前に座り続けていました。鍼灸師の先生からは長時間座り続けるなというアドバイスをいただいていますが、こういう時は無視します。

そして、この長かった時間は、弱っている愛する姉妹をみことばによって励ますために、神様が私を導き続けておられたのだとわかりました。

さあ、健康のためにも、外に散歩に出掛けることにします

 

 
♫ ♪ ♬ ♫ ♪ ♬
 
大いなる方に感謝ささげます、
御子キリストの愛のゆえに
聖なる方に感謝さざけます、
御子キリストの愛のゆえに

今、弱いものよ、叫べ、勇士だと
勝利の主がともにおられる
今、貧しいものよ、叫べ、富んでいると
恵みの主がともにおられる
感謝します

バーンと人を叩いてしまったか

2021-04-21 | ゼカリヤ書

メッセージの後の分かち合いの時、ペアーになる予定だった姉妹が欠席になり、同じように分かち合いをする人がいなくなった別の姉妹から、一緒にしましょうと声をかけてもらった。

 

椅子に座ってほどなくして、始めの祈りをする前に、彼女が「私の娘は主管牧師に厳しく言われたことがあって、嫌がっているので、副牧師の説教の時に来るかも知れない」と言った。

 

娘さんとは、数か月前に、教会の若い人から伝道をしてもらって、イエス・キリストを受け入れるお祈りをした方です。その後、主管牧師と個人的に会った時に、何かがあって、バーンと叩かれたような思いになったのだと思われます。

 

彼女の口ぶりから、私からも「大変だね。そうだね。主管牧師の言い方は厳し過ぎるよね。」と同意する言葉を期待している雰囲気を感じたので、躊躇しないで、「私はそうは思いません。キリストのいのちのみことばを、ご自分の命をかけて取り次いでくださっている主管牧師を私は尊敬し、愛しています。」とはっきり言いました。

 

信仰者になるまで、母子で、様々に苦しい問題の中におられた事情は耳にしているので、教会の人達も、そっといわたるような接し方をしているのでしょう。彼女は、またまたバーンと叩かれたような思いですと、後になって、実は自分でも良くないと思っていたのだと告白して、感謝の言葉をわざわざ私に伝えに来てくださいました。

 

その日の、分かち合うべきメッセージは、「一致して信仰を全うする」というテーマだったのですから、落ち着いてメッセージを振り返ったらなら、娘さんとともに、神の恵みとあわれみにより頼んで信仰生活、教会生活をしていこうと悔い改める時が与えられると信じます。

 

私の言い方が高慢ではなかったか、私の中に感じた「怒り」は罪であった等と、色々とその後も思い巡らしていました。

今朝、ゼカリヤ書を読んでもう一度考えました。

お母さんから、礼拝での説教内容をかいつまんで説明されたものを聞いて、母子一緒に祈るのではなく、独り立ちして、みことばを真正面から聞いて、正しく従って霊的に成長されていくようにと祈り願います。仏教について卒論を書いたという娘さんです。はっきり悔い改めて、謙遜にキリストに聞いて、キリストとともに歩む道を選択することができますように。


ゼカリヤ書 2:8 主の栄光が、あなたがたを略奪した国々に私を遣わして後、万軍の【主】はこう仰せられる。『あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。

詩篇 17:8 私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。

マタイの福音書25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』