ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

死後、人間はどこに行くのかな?

2020-05-27 | 伝道
死後、人間はどこに行くのかを、3人の人に聞いたことがある

父親のお姉さんがお嫁に行った先で、両親のお墓があるお寺の住職は、親戚の叔父さん達が集まっている中で、まっすぐに「死んだお母さんは今はどこにいるのですか」聞いたら、「面白いことを聞く子だ」と言って、みんなで笑われた。よくわからなくて、はっきり言えないのだなと思ったものでした。

母親のお兄さんが亡くなった時に行ったお寺では、読経の後、私達に向かって「人間は死後は地獄、餓鬼、畜生など6つの世界に行く」というような話をされた。初めて聞く話でびっくりした。輪廻転生のような話もしておられた。そこには、小学生もいた。この話は本当のことなのか、まさか嘘ではないだろうなと思った。

中学生だった姪っ子が通い出したという教会に行ってみた時、私は初めて牧師の話を聞いた。印象に残ったのは「死んでからの行き先は、天国と地獄の二つに一つです」という話だったので「では、私はどっちなのか」と姪っ子に聞くと、そばにいた妹が「今、話してもどうせわからないから」と会話をさえぎった。納得が行かない思いが残った。

25年ぐらい前の話です


ザクロの花
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父の命令は永遠のいのち

2020-03-19 | 伝道
46わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。
 もともと、人間は生きる意味も目的もわからず、暗闇の中に生まれ、暗闇の中で死んで行くものでした。しかし、創造主なる神様から遣わされて世に来られた「光であるお方」イエス・キリストを信じる者は、もはや暗闇の中にずっといることはない。
 私は、特に体調がすぐれない時など、いつの間にか神から離れて暗闇の方に向かっていることがあるが、それはいつまでも続かない。必ずイエス様が、その私の思い・考え・行ないに光を当てて、変えられるのです。




47だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。
 イエス様が世に来られた目的は、「さばく」のではなく「救う」ため。
今、イエス様の言うことょ聞いて守らなくても、今、すぐに、この地上で、さばかれることはない。




48わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。
 イエス様の語られた言葉やイエス様のなさった事々をはっきりと否認する者、受け入れて聞き従わない者は、彼をさばく方を今すでに持っている。再臨の時、最後の審判の時には、イエス様の語ったみことばが、彼をさばくことになります。
 私は、語られた救いのメッセージ、恵み深い救いの提供を受け入れてキリスト者となりました。その時、一緒に来ていて一緒に洗礼をうけましょうと言っていた方は、結局拒んで教会から去りました。大きな分かれ目でした。彼女とはそれ以来、一度も会ってはいません。どうされているでしょう。

 


49わたしは、自分から話したのではありません。わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。
 なぜ、イエス様の話した言葉によって終わりの日にさばかれるのか。それは、イエス様は自分自身で語っているのではなく、むしろ、イエス様を遣わした父なる神様ご自身が命令・戒めを語っているからです。
 その命令・戒めとはイエス様が何を語り、何をしゃべるのかを、前もって父なる神様はイエス様に授けておられたからです。
 だから新約聖書のイエス様のことばは神の言葉です。また神の言葉である旧約聖書は、そのまま聞き従うのではなく、イエス様を旧約聖書で預言されている救い主であると理解した上で、理解するべき。ここは私のテーマです

 


50わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。
永遠のいのちとは、父なる神の命令に従うこと。
永遠のいのちとは、神の語りかけを聞いて、徹底的に聞き従う生き方をすること。父なる神様に従順に、十字架にまで従い通されたイエス様を信じ受け入れること。
永遠のいのちとは、死んでよみがえられて、今もこれからも永遠に生きておられるイエス様を、心に迎え入れて、父なる神様との交わりの中で生きること。
 私は、自分が光の中を、光である方とともに、永遠のいのちを生きることが赦されていることを、はっきり知っています。神の支配の中、天国で今、生かされていることを喜んでいます。
足が痛くて、気持ちが沈んでいましたが、今、みことばにより、引き上げられて、ハレルヤ! 讃美します
先週、イエス様を信じ受け入れた若いママが、自宅で祈っていると、ご主人が子供には影響を与えないで欲しいと言われたからもう教会には来ないと言われたそうです。よくあるパターンですが、それでも、賢い選択をして、子供を連れて教会に来られますように。


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人間をとる漁師に、イエスがまずなられた

2020-01-08 | 伝道
イエス・キリストは、バプテスマを受けた後、悪魔の試みを受けて、旧約聖書のみことばによってサタンを追いやり、み使いが来て仕えた。そして宣教を開始して一番になさったことが、漁師たちに「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」と言った。その時、まずイエス・キリスト自身が二人の人間をとったのだ。人間をとる漁師になるという模範、手本を自ら示された。


彼らはすくに網を捨てて従った。しかし、実際に人間をとることになったのは、イエスが栄光を受けられてからのことであった。
イエス様がシモンとアンデレを見つけたのにも、彼らがすぐに網を捨てて従ったのにも、み使いの働きがあったのかも知れない。


このことから、私達、イエス・キリストの十字架と復活を信じて聖霊を受けた者が、「回心をしたら伝道をして弟子づくりをするようになる人」を捜して伝道をしようとするなら備えが必要だと知った。


祈って神の御前に出て、罪を悔改めて、聖霊に満たされて、サタンに勝利しなくてはならない。そうすれば、み使いの助けも求めることができる。主がともにおられると確信を得てる。そして出て行くと良いのではないかと思いました。


しかし、頭だけ、机上の言葉だけで終わっていてはいけない。実際の生活に適用していかなくてはならない。出て行く先は教会の主催する伝道イベントだけではないだろう。「ざるですくう」ような働きでも、始めなくて何も始まらない。


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御酒が大好きだった夫も救われた

2020-01-06 | 伝道

夫がまだイエス・キリストを受けてれる前のことです。夫はお酒が好きで、毎晩飲んでいた。

★牧師の娘さんが家に泊まりに来て下さって時、夫は彼女にお酒を勧めた。
彼女も、彼女の父親もお酒を飲まないことを知っている私は、どうなることかと見ていた。
すると、彼女は、さっと飲んだ。
しかし、ほんのしばらくしたら、顔が真っ赤になったので、夫はそれ以上は進めないで自分ひとりで機嫌よく飲んでいた。


★牧師の家庭に招かれた時、夫は上等をワインを手土産に持参した。
彼にとって、お酒のない食事会は考えられなくて、ワインならと、考えたのでしょう。牧師も牧師の家族も、誰も敢えてお酒の話はしないで、乾杯の代わりに皆で手をつないでお祈りをしてくださった。
そしてワインは、何となく少量を付き合って飲んでくださった。


★役員さんのお宅でバーベキューパーティをするからと招かれた時、
夫はビールを持参しても良いかと私に聞いたので、役員さんに尋ねたら
「私の家では、誰も、いっさいお酒は飲まないことにしています」と言われたので
夫は、パーティに行くのを辞退した


お酒に関するこの三件の経験は、どれが先で、どれが後だったか覚えていない。
しかし、どちらの経験も、夫が救いに導かれるプロセスの中で必要なことだったのだうと思える。
死ぬまでお酒を飲み続けると宣言していた夫が救われたのは、癌末期になって一滴も飲めなくなった後だった


そのお酒をはっきりと断った役員さんは、夫がイエス・キリストを受け入れてから、教会員の中で一番多くの回数、彼の病室を訪ねてくださって、聖書の話などをしてくださったのだった。、


次のみことばを読んで、思い出しました。
Ⅰコリント 9:2227
22弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
23私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。

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また、お会いする時があるかしら

2019-12-12 | 伝道

今日の集会に出席された婦人の方のことを、夜になっても考えています。始めてお会いした方で、2時間間くらいの間の一緒に歌い、メッセージを聞き、個人的にお話をした方です。

 

自分からよくお話をされたのですが、他の人の話を聞いてそれに答えるのが苦手のようで、次々とご自分の話をされるので、フォローして聞くのが少し大変でした。

 

義理のお母様との関係。

大きな相続財産で投資して損をした話。

一人娘が登校拒否していたこと。

占いと厄年の行事のこと。

むすめ娘さんが大学を転校した話。

 

彼女の回りをクリスチャンの私達三人で囲んでゆっくり聞いたのですが、生活が混乱しておられるようで、可哀そうな感じがしました。

 

皆がメッセージを聞いている間、落ち着かない様子でした。自分の鞄からお菓子を取り出してテーブルの上に置いて何度も手にしたり、ガサガサ音をさせて、紙袋の中のお菓子をつまんだりしておられました。

 

精神的に少し病んでおられるのかも知れないという気もして、ただ彼女の話を聴くことに徹しました。様々なクリスマスのイベントのチラシを見せて案内をしたら、興味を示しておられので、もしかしたら、また来られるかも知れません。

 

その時には、祈りつつ、丁寧に応対をしなくてはならない。会話ができるような関係になって、彼女に福音をしっかりと届けることができるようにと祈り願います・

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