出エジプト記2章を読んで、子供の頃の信仰教育の重要性を思いました。モーセは幼少期、母親のもとでへブル人としての信仰教育を受けていたので、大人になって、へブル人を同胞と思い、彼らのところに出て行った。幼い頃に植え付けられたアイデンティティを、ある日、思い出したのだろうと思います。
教会に初めて来られる方の中には、「教会学校に行ったことがある」と言われる人がいる。ちょっとでも思い出した時は神の招きの時。信じて応える方向に進まれるようにと祈ります。
幼い頃から教会に来ていて、中高生になって教会から離れている子たちのことも祈ります。両親や教会学校の先生達が話した福音を思い出して、それを「たわごと」だと考えて信じないのではなくて、思い出して真実だと信用する者となって、立ち返ることができるようにと祈ります。
聖霊が彼ら一人一人の上に働かれて、みことばを思い出させてくださる日が近いと信じて待ちます。
ルカ24:6 ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。
ルカ24:8 女たちはイエスのみことばを思い出した
ルカ24:11 ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。