学んだ事
この章ではエフ―によって、アハブに属する者が、子供70人を含めてたくさん殺されている。人が殺されることに私は抵抗感がありますが、それは主がエリヤにお告げになったことばのとおりのことでした。
イズレエルで、前の前の王、アハブの70人の子供を殺した。その首を集めた。
イズレエルで、前の前の王、アハブに属する者をすべて殺した。
サマリヤへの道で、ユダの王アハズヤの身内の人42人を殺した。(ユダの王アハズヤの子供と、王の母(北オムリ王の孫)の子供たちの安否を尋ねに下って来ていた)
サマリヤで、アハブに属する者を根絶やしにした。
サマリヤで、バアルをイスラエルから根絶やしにした。
疑問に思ったこと
イズレエルとサマリヤでなされた殺人は、主のみこころであったのでしょうが、
サマリヤへの道でなされたことまで、主のみこころであったのか疑問が残ります
迎えに来たレカブの子ヨナダブに出会って戦車の上に引き上げて「私といっしょに来て、私の【主】に対する熱心さを見なさい」と言った言葉が気になりました。
たまたま、親戚の人の安否を尋ねて来たユダの人たちまで殺す必要はなかったのではないかと思うのです。
主に対する熱心は、主に対してささげるものであって、人に見せようとするときはそこに自分の人間的な思いが入って来るような気がします。
適応
教会での入力の奉仕を熱心にしていますが、それは著者が手書きで書いた原稿をただコピーして入力しているだけのものです。「こんなにも熱心に入力した!!」と言って喜んで、自分の熱心さを教会の人にアピールしていたことを悔い改めます。
熱心さの源を考えます。その奉仕を私が喜んでできたのは、主が熱心であったからです。主が熱心に、著者に書くべき内容を知らせて、著者がそれに従順に熱心にペンを走らせたものを、担当者が私に入力するようにと与えてくれたからです。源は主の私達の救いの完成に対する熱心だと思いました。
私も従順に入力することに熱心になります。入力したその内容をまっすぐに理解して、主に応答することに熱心になります。本や冊子になって、読む一人一人が、また教会が一致して成長することを祈り願う。そして、主の恵みとあわれみの熱心さに目を注ぎます。
エフ―はバアルをイスラエルから根絶やしにしたが、ベテルとダンにあった金の子牛に仕えることをやめようとはしなかったのと同じような罪が私自身にあるから。
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