教会の中には、いわゆる名門校と言われている学校に合格して通っている子供が何人かいる。
浪人した子供、何年も学校に通えていない子供もいる。
教会で祈祷課題があげられて、拍手されるのは前者の子供達の親であり
教会内で公に話すことはしないで、少人数で祈っているのが後者の親です。
上手く行っているのは、親の信仰の姿勢がはっきりしているから。
上手く行っていないのは、親の信仰や子育てに問題があるから。
このような評価が教会内であると、親はさらに苦しみます。
列王記のソロモンを見ていて、祝福の基準について考えます。
神様からの祝福・恵み・喜びは、どこにあるのでしょうか。
人が神のために働いているなら、問題・困難はあります。
本当の宝は天に積まれていますし、
神の最終的な評価は、地上では見ることはできません。
マタ 6:19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。 6:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
6:21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
ヨハ 16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。
神様からいただく最高の宝物、勘定もできない賜物は、神との和解・救い・永遠のいのち。
これら子供達は、現在教会生活をしている子供も、離れてしまっている子供もいますが
はっきり救われて、霊的に成長して、神に用いられる神の器に成長していくことを願います。
お母さんたちも、そして私自身も、主にあって天国にふさわしく整えられるプロセスの中にいます。
ですから、軽々しく他の人や子供を評価することは避けなくてはなりません。
しかし、いつ急死して、神の裁きを受ける場に出ることになるかはわかりません。
誰でも、行き着く先は、天国と地獄しかないことを、真剣に受け止める信仰は必要です。
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