ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

教会の大掃除

2019-12-26 | 喜び

今日は、教会の大掃除デーでした。事前に、場所と担当者を決めて一覧表にされている。それ以上にやる人もいて、ランチも準備されていて、毎年の年末行事です。
一応、時間は9時から13時となっていたが、毎年夕方まで空いている。私自身は、ゆっくり聖書を読んだりしてから、11時頃遅れて行った。一緒に担当するはずだった姉妹が仕事が入ったとのことで、一人で別館を担当。ちょっと新しい工夫を取り入れたりして楽しんで片づけた。

 

 

遅くなって空腹をおぼえたので教会に行ったら、皆さんのランチタイム(チャンポン麺)は終わっていたが、ほんの少しのスープとたくさんの麺が残っていた。お菓子とコーヒーも。
そこに、ちょうど牧師が姿を現したので、二人で分けていただいた。ほんの少しの時間だったけど、牧師が今、とんな用事で忙しいのかの話が聞けて良かった。

時間も、食べ物も、一緒に食べる人も何もかもが神のタイミングで与えられた

 

 


大勢の教会員が、あちこちで、それぞれ進んで手を動かして、整理整頓、奇麗にしていくのはとても嬉しい。気持ちいい。
皆さん、義務とか仕事のように働くのではなくて、掃除の賜物、片づけの賜物、ランチ作りの賜物、キッズスタッフの賜物、時間の賜物、それぞれの賜物を生かして、生き生きと大掃除をして、子供達の歓声が聞こえたりもして、楽しいひと時です。

 

 

これから、定例祈祷会、越年祈祷会、元旦礼拝と、教会に集う機会がたくさん与えられていて、一人暮らしの私は寂しさを感じる時がありません。主がともにいてくださり、教会員同士が支えあい励ましあっているので、こんなに幸いな一人暮らしのおばさんは、日本広しといえど、そうはいないでしょう・・・・・にやっ


 

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マリヤが感じた恵みと使命・責任感

2019-12-26 | 礼拝説教

---マリヤの信仰----

処女マルヤは、み使いの言葉、「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられます」を聞いた時の気持ちはどうだったろうか。ものすごい言葉です!!

生まれながらに義人は一人もいないので、マリヤにも罪はあったことだろうが、マリヤは、戸惑いながらもその言葉を受け入れて、信じて、考え続けた。

アブラハムの信仰と同じように、聞いて信じたことにより義とされた。マリヤは「神にとって不可能なことは一つもありません」(ルカ1:37)と言われた言葉を信じた。マリヤは、主によって語られたことばは必ず実現すると信じきった(ルカ1:45)

 

---マリヤの使命・責任-----

 マリヤは、とまどい、これはいったい何のあいさつかを考え込んだり、(ルカ:29)
羊飼いの話をただ驚くだけでなく、そのすべてを心に治めて、思いを巡らしていた。(マタイ2:19)
シメオンの言葉「剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。」から、苦難の道も覚悟していたのだろう。(ルカ2:35)

ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりにこの身になりますように」と、ともにおられる(インヌマヌエル) 主の霊の導きに聞き従い、委ねられる平安・喜びとともに、イエスを育てる責任感や、生涯主に仕え通す使命感を持っていたことだろう。

 

---私達クリスチャンも---

み使いがマリヤに言ったこの言葉は、おそれおおくも、今の時代の私達にも言えることだと思われます。

「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます」

クリスチャン一人一人は、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今その聖霊を私達一人一人の霊の中に注いてくださる。霊によって新しく生まれ、その後も、聖霊を与え満たし続けて下さっている。(使徒2章)

今年の私の最高のクリスマスプレゼントは、聖霊が与えられていることの壮大な恵みに気付いたことでした。

私達も主の霊を内に宿す主のしもべ・はしためとしての使命・責任を自覚しつつ、喜び讃美して、主に仕える日々が導かれます。
 

 

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真に喜んで生きる3つのステップ

2019-12-23 | 喜び

1--最初のステップ。キリストの弟子となったことを喜ぶ

人生で初めての大きな喜びです。神に罪が赦されるれ大きな喜び。これは、どうしても必要な最初のステップ。回心、神との和解。新生と言われるもの。それまで、神を知らず、また認めず、悪い思いに支配されていたことに気づき、罪からの救い主、主イエス・キリストを受け入れる。まったく考え方が逆転して、神との霊的な交わりの中に入れられたことを喜ぶ。

クリスマス礼拝で二人の女性が洗礼を受ける恵みに預かった。一人は主に牧師夫人が導かれた。もう一人は教会員のご高齢のお母様。どちらもこれからの成長が楽しみです。 

2--信仰生活の中に起こる問題・困難を喜ぶステップ自分がキリストの弟子として成長して、弟子づくりをすることを喜ぶ

礼拝で説教を聞いたり、自分で聖書を読んで、困難・問題の中にいても、それは霊性の成長のために、神の子として扱って与えておられる訓練であると喜ぶ。喜べるまで時間がかかることがあるが、礼拝説教やみことばからのデボーションから教えられ修正を受ける。いつも、どんなことでも、喜べるように、一歩一歩整えられていく。神のみこころを知るようになっていく。

そして聖書に書かれている救い、自分でも体験した喜びを、他の人に伝えて、回心をともなった救いに導く。相手の方が主を受けれて喜んでいることを、救い主である主とともに喜ぶ。

4カ月前に受洗した婦人と、教会のテキストで学んでいる。明日がその教材での最後の回となる。牧師夫人がリードし、私がフォローをした。来年から新しい教材を用いて、誰と一緒にすることになるか、牧師夫人がより忙しくなりそうなので、まだ祈り中です。新人クリスチャンは「先生」と言われる職場で長く働いてこられた、人脈が広くて聡明なお方です。福音を正しく理解して、喜んで伝道をすることができるようにと、祈り願って学びを続けたい。

3------伝道して救われた人が、他の人を導いて救いに入ったことを喜ぶ。弟子が弟子づくりをして成長していくことを喜ぶ。

伝道して救われた人が、家族や知人に伝道をしてその方が救われて、その救われた方が今度は伝道をして実を結ぶようになること。
教会で育てられた牧師の子どもが成長して、ユース牧師となって、他の人を救い導いている。その救われた人が家族を教会に導いて、一家で教会に集っている。こうして、やっと、弟子をつくる弟子を育てたと言える。

 牧師
ーーー●●牧師の子どもの◎◎先生
  ーーー◎◎先生が導いた△△さん
   ーーーー△△さんが導いた△さんの奥さんと小さい子と、奥さんの両親とおばあちゃん
    ---今、△△さんも、△△さんの奥さんも、ご両親もそれぞれ、伝道をしておられる

 このような、着実に御国が拡大していく弟子づくりは、牧師や牧師夫人だけの働きではなく、信徒の私達も目指しているもので、教会には素晴らしく主の救いのみわざに用いられている献身者が与えられていて、模範となってくださっていることは感謝なことです。私もこの同じ道を進ませていただきたいものです。

4--最終ステップは、天国で王として支配するようになるというも約束に基づく希望・喜びに至ることです。

教会でのキリストのみわざのために仕えて、用いられて、天に宝をたくわえつつ 弟子をつくる弟子となって行けることは最高の喜びです。聖書の文字だけによらないで、個人生活・教会教会の中で、牧師たちや、他の働き人に聞き従って、一致して、喜びから喜びに展開していく大きな喜びの中に入れられていることを、この年末に大いに感謝します。   

最後は勝利。今か今かと待ち望みつつ,その都度教え示されるなすべきことを、生きて働いている主に委ねて、一歩ずつ歩んで行こう。

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ナルドの香油 

2019-12-22 | 礼拝説教

マリヤがイエス様に注いだ純粋な香油を考える (ヨハネ12章1-11節)

  • イエスをメシヤ(油注がれた者)という預言を成就した。イエスは王であり、預言者であり、大祭司に就任する油注ぎを受けたことを意味する
  • イエスの埋葬の準備ともなった。
  • 300グラムの純粋な香油の香りは、イエスだけでなく、マリヤにもマリヤと一緒にいた人々にも移って、過越しの祭りの間、エルサレムの町中に広がっていた。


マリヤは自分のやっている意味をよく知らなかった

しかし、マリヤは、どこまで考えていたかはわからなかっだろう。
ただ、信仰によって、ここぞという神の時に、彼女のできる精一杯のささげものをして、信仰・献身をあらわしたのだった。

 

私も信仰によって、感謝をあらわそう

私も、必要が示された時に、賜物のすべてを大胆にささげよう。礼拝・デボーション・献金・奉仕・伝道・・・

  • そもそも、ささげるもののすべては、命さえも、神から受けたものである。
  • これまで私も、何度も様々なささげものをする時があったが、この世においても十分すぎる祝福を受け続ける経験をしている。
  • ささげることで、信仰から信仰へ、祝福から祝福に、喜びと感謝が積み重なってきている。


その結果がどうなのかを知らなくても

私の知らないところでも、私のささげものが影響を与えているのかも知れないが、結果は神にゆだねる。自分で詮索する必要はない。(例:東方の博士たちの黄金・乳香・没薬)

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創世記13章 左右・東西南北・縦横

2019-12-21 | 通読・創世記

アブラムとロトは、右に行くか、左に行くかを、決めた

主はアブラムに「さあ、 目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい」と言われた。

また「立って、その地を縦と横に歩き回りなさい」と言われた

左右・東西南北・縦横 どう違うのだろう

 

右か左かーーーーー基準は自己中心な欲。ロトの目から見て、どっちが好ましいか

北と南、東と西ーーさあーー発想の変換が促されている

目を上げてーー自己中心ではなく、創造主・天を仰ぐ

見渡しなさいーー実際に見えるのは近辺だけだけど、見えない地域まで洞察する

縦と横ーーーーー立ってーーー信仰・思い・考えを行動にあらわす最初の変化

        あちらこちらと歩き回っても、軸の中心を主にしている


聖書の中の北を検索してみた。
神殿を建てるのに東西南北は大切。中心に主がおられるからではないかしら
東西南北の順番が違うところがあるのとどういう意味だろう。目が回るではないか。


創世記 28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。

申命記 3:27 ピスガの頂に登って、目を上げて西、、南、東を見よ。あなたのその目でよく見よ。あなたはこのヨルダンを渡ることができないからだ。

詩編 107:3 彼らを国々から、東から、西から、から、南から、集められた。

アモス 8:12 彼らは海から海へとさまよい歩き、から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない。


これから、身支度をして教会のクリスマス会で仕えます。
奉仕表を見ると、多くの奉仕の項目が書かれている中で、私は小学生達の待機部屋にいる奉仕とのこと。何をどうするのか不明。

しかし、全体のマネジメントしておられる婦人と二人の名前が書かれているので、彼女の指示に従えば良いのだ。なすべきことは聖霊様が教えてくださると、安心している。

今回の私の奉仕の目的は、子供達が教会のクリスマスを楽しみ、福音の話をよく聞いて理解すること。さあ、目を上げて、立って、出かけよう


へブル12:2「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」


 

 

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