アブラム父テラは、カナンの地に行くためにウルから出発して、ハランまで来てそこに住み着いた。そしてハランで死んだ
アブラムも、テラの死後、カナンの地に行こうとして出発したと書かれている。
創世記11:30.12:05では、カナンの地にいくためという目的が繰り返し書かれている。
ところが、へブル11章8節には、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けた時、どこに行くのかを知らないで、出ていきました」と書かれている。
この違いは何でしょう・・・・
神様は、全知全能の神です。初めから、アブラムの生涯の最後まで見通した上で、出て行くように命じられた。
アブラムだけでなく、アブラハムを信仰の父と呼ぶ神の子たちの、相続財産として受け取るべき地、最終的に入れられる地まで、見通しておられたということでしょう。
今、私達は神様が召し出し、遣わしておられるのだと知った時には、それがどこで、どういう経緯でどんなるのかと考え過ぎて、出発するべき時を逸してしまうことのないように、召したお方に信頼して、すっと進むなら、きっと祝福される。
そのような祝福を私自身も何度も経験をして、今ここにいるのである
あちこち動いて、今やっと、ここが安住の地かと思われる場所にいる。しかし、もし今後、神の召しがあれば、自分の願いや計画とは全く違っても、自己主張することなく、身を委ねて動くことになるのだと、考え直している。最終的にどこに行こうとしているのかを、私は知っているのだから