ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

明日は弟子訓練のスタート

2020-01-27 | 弟子づくり
受洗して半年の女性と、牧師夫人とで、これから月に一度、二時間くらいの弟子訓練の学びの時を持つことになった。

私は講座を修了したの後、一度サブリーダーとして一年だけ経験をしたが
牧師夫人は、すでに何人かと二年コースの全部を教え導いた経験がある
どちらの姉妹も伝道に熱心で、これまで何人もの方に福音を伝えて、洗礼にまで導いておられる。

教材の本があり、講義の録音も揃っているので、基本からズレることなく学べるのはありがたい。さらに、しっかり深められるように。


今回の学びをスタースするにあたっての目標をまとめた
・私も、今回学ぶ人も、次には誰かを教えることができるように
・教材も、聖句暗記も、真面目に真摯にチャレンジをして、忠実さを養う
・みことばを信仰をもって、知的に受け止め納得して、信仰の基礎作りをする
・続けるのに問題が起こっても、霊の戦いがあることを意識して忍耐する
・単純に他人と比べたりしない。神が個性、賜物に応じて導いてくださるから
・すぐに他の人に伝える機会がなくても、記録したりして、時に備える
・サタンからのチャレンジかあっても、悔い改めて前進する
・ストレスに感じた時には、神が与えた特別な祝福の時だと受け止めて喜ぶ
・学びを滞留させないで、必ず1年で終了することを目標とする



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弱い信仰を、つまずかせないで、建て上げる

2020-01-27 | 礼拝説教
以前、妹が通っていた教会の牧師から「あなたの信仰が弱い」と言われて納得が行かなかったことを思い出した。私は受洗したばかりの頃のこと。妹、教会の姿勢がちゃんとしていない!と、高慢にも非難したのでしょう。
神学校の先生でもあるご高齢の先生は、未熟な私と、求道者であった妹の両方がつまづかないようにと、深く配慮をしておっしゃられたのだと20年たってわかって、今になって感謝した。

15年程前、お産の手伝いのために娘の所に滞在して、2カ月間、礼拝や祈祷会に出席させていただいていた教会のご高齢の牧師夫人の言われた言葉も思い出した。
偶像礼拝はいけないと杓子定規に話す私に、ナアマンの話を例に出して、不本意でも形だけ偶像を礼拝することも許されているというような話をされたのだった。

今回、第Ⅱ列王記5章を読んでみた。生まれたばかりの異邦人マアマンの信仰が、偶像礼拝に満ちた自国に帰った後も、何とか信仰が建て上げられていくようにとの願いを込めて、「安心して行きなさい」と祝福して送り出したのだろう。

その後の彼のことは聖書に書かれていないが、神がいつもともにいて、偶像の神殿で身をかがめなくてもよい方向に、時間をかけて守り導いてくださったのではないかと思う。
しかし、ナアマンは、ユダヤ人がしているとおりに、石を用いないで、土で祭壇を造るために、(出エジプト20章24節)二頭の驢馬に土を載せて運んだ帰ったが、祭司もいない異邦人の国で信仰を持ち続けることは困難なことだっただろう。


戦争をくぐってご苦労されながらも、宣教を続けてこられた日本の信仰の先輩たちを尊敬するとともに、この弱かった私をも守り導いてくださった主を、人々にお伝える働きに用いられることを願います。

(第Ⅰコリント8:7-13の主日メッセージへの応答)


20:25 あなたが石の祭壇をわたしのために造るなら、切り石でそれを築いてはならない。あなたが石に、のみを当てるなら、それを汚すことになる。

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リーダーのイノベーション その2

2020-01-27 | 通読・出エジプト記
モーセがしゅうとのイテロ、ミデヤンの祭司の助言を聞いて、言われたようにした。このことから、教会でこれまで聞いドラッガーの話を思い出しつつ、モーセのリーダーシップについて考えたら、昨夜は7項目になった。(出エジプト記18章より)

今朝は、さらにもう一つの項目を付け加えた。それは最近、聞いて知ったばかりの言葉、インテグリティー


8.イテロがモーセに言った「あなたのしていることは良くありません。」からを始まった細かい助言をモーセは聞き入れ、すべて言われたとおりにした。
ーー良いリーダーは、良しとしたことにブレない。言行一致、真摯に最善を尽くして行く。これがインテグリティー

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モーセのマネジメントは上意下達?

2020-01-26 | 通読・出エジプト記
モーセは、出エジプト記18章で、イテロの助言に従って、
千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長を民の上に立てた。

これまで、ピラミッド型に組織化したのかと思っていたが、違うのではないか。
イスラエルの民は、利益を得るために会社で働いている人たちではないのだから。

各長の人たちは、モーセがするのと同じように、民に代わって神の前にいて、事件を神のところに持って行く。そして、民におきてと教えを伝えて、彼らの歩むべき道と、なすべきわざを彼らに知らせる。一人一人、一件一件、神によって解決がなされるので、指示命令を人から、トップダウンで受ける必要はないだろう。
相談したり、調整することはあっても、それは自由にできたのではないかな・・・

では、千人、百人、五十人、十人と人数に違いがあるのは、どういう意味だろう。

長となるために必要な資質は、
神を恐れる、力のある人。
不正の利を憎む誠実な人。

これらの人を捜し出す必要があった。見込み違いということもあっただろう。
力があると言っても、賜物に違いがあり、その力量にも差は当然ある
まず、少ない人数でやってみて、どれ程の力があるのか、見定めて、任命したり、担当を変えたりもしただろう。

だから、
問題の種類を分類して、適材適所に配置し
予想される問題の発生頻度を考えて、担当する人数を決定したのだろう。

トップダウンの組織を作るというよりも、もっときめ細かな配慮に基づいて、それぞれの長の割り振りを、モーセはやったことだろう。
ものすごい人数のイスラエル人、しかも、すぐにつぶやいたり、不満を表す人々。またエジプトから連れて来た奴隷や異邦人も交じっていたのだから、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長を置いても、それぞれマネジメントするのは、大変だったことだろうと想像する


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1タラントの人、教会に不満を感じている人

2020-01-24 | 聖書研究
旅に主人から、1タラントを預かった人は何が問題だったのか
一番の大きな問題は、自分の財産をあずけて、旅に出て行く人のことを、正しく理解していなかった。誤解したまま長年過ごしていたことだと思う。

任された5タラント、2タラントで、生き生きと商売をして結果を出している仲間を見て、劣等感を感じ、疎外感も感じ、ますます主人に対してかたくなになっていたことだろう。その生活は暗くて、歯ぎしりをするほどの孤独、不満を隠し持っていたのではないかと思う。





赤ちゃんの時から教会に来ていたのに、この2-3年教会に来ていない中学生のことを心配する教会学校の先生の話を、今日ちょっと聞いた。
私自身は、そのお母さんの奏楽奉仕の音色が、暗くて喜びが感じられないのが気になっていた。

中学生の子供が教会に来なくなった原因は、お母さんの信仰、神観がいつのまにか、ズレてしまっていることにあるのだろうと思う。それで、神様のに対してだけでなく、教会に、牧師に対して不満を隠し持っているようだ。

そのお母さんが、勇気をもって、謙遜になって、大胆に悔い改めて、霊的な軌道修正をするようにと、取り扱いを受けられることを祈り願います。




1タラントの人は、自分のズレに気付いた時に、隠してあったタラントを掘り出して、どう商売したら良いのか、5タラントの人に教えてくださいと、持って行けばよかったのにな~と思う。



私自身も、修正されるべき基本姿勢があるなら、主の前に砕かれて、考え方の姿勢から整えられることを、厭っていてはいけない。
人前で恥ずかしい思いをしても、再臨の時になって恥を見るよりも、ずっといいですから


なぜなら、主人に 「よくやった。良い忠実なしもべた。、主人の喜びをともに喜んでくれ」と言われるのだから、その喜びは想像以上に大きな喜びとなるだろう。喜びに満たされるのだろう。


ヨハネ15:11
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。





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