ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

一粒の麦として死ぬとは

2020-01-23 | 礼拝説教
仕事でも、勉強でも、人間関係の中に、競走がある。自分は何とかして勝ちたい!
勝負をするなら、1番が良い。目立ちたい。人から良く評価されたい!
自己実現することに価値がある。目標を高く持とう!

こんな生き方は、「豊かな実を結ぶ一粒の麦」とは全然違う。


暗く、冷たい場所にも忍耐してとどまり、時に傷つくことも恐れず、主の痛みと苦しみをともにする思いで、死んだ気になって、主に仕える。

自分自身が、イエスから出た種である自覚を持っている

自分のほしいままに生きる生き方をしない。
自分のほしいままに神が動くように祈り求めて、自分が神になっていないか自らを見張っている。


イエスにお目にかかりたいという人には、直接イエス様の声を聞くことができることを伝え、イエス様の十字架を見上げることができるところにお連れする


誰かが人を回心に導いたら、その新しい種を喜び、育てる弟子づくりにあずかる。

父からの報いがあることを大いに喜んでい



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一粒の麦 改訂版その2

2020-01-22 | 礼拝説教
もし、一粒の麦が死ななければ、ただそれだけでとどまったままです
もし、死んだら、多くの実を結び続けます
・死なないか、死ぬかが問われていて、生きることは言われていない
・種は、暗い、冷たい、湿ったところを通って発芽する。
・鳥のお腹の中を通って表面に傷がついて発芽しやすくなる。
・堅かったのが、とろけて柔らかく変わって発芽する。

頑張れば頑張るほど、頑なになり、凝り固まってしまう。自我が取り去られて、やわらかく変容しなければ、実を結ぶ者にはならない。私は、健康診断の結果が悪かったので、2年間世話になった漢方医から近くの総合病院に紹介状を書いてもらって、移ることに決心した。

・漢方薬と食事と運動だ! と、自分で頑張っていたが限界だと、降参した。ヘレニズムからヘブライズムに変わる時だと思う。
・漢方医に対するブライドを持っていた。自分の身体を傷つくこと、弱ることを何とか避けたい思いがあった。

漢方医の予約時間が、遠隔地教会員とのラインでの交わりの時と重なって、交わりを欠席すると連絡をしたが、悔改めて、漢方医に時間をずらしてもらうことを依頼した。 自我を突っ張らない方を選び、主に仕える方を選んだので、平安です。


自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
自分の欲求のままを好き好んでしている者は、魂を滅ほしている。
自分の欲求を軽んじ無視してそうしない者は、永遠のいのちに至るまで、魂を見守り
監視し警備していくことだろう

全地全能の父が報いでくださいます。尊重して、最善の対応をしてくださる約束を喜び感謝し期待します。




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出エジプト7-10章 エジプトの災難の中でのモーセの成長

2020-01-21 | 通読・出エジプト記
主はエジプトに10回の災いを行なう中の9回分を読んだ
1.ナイル川 2.かえる 3.ぶよ 
4.あぶ   5.疫病  6腫物 
7.雹    8.いなご 9三日間の暗やみ

 不思議を行なったのは、何が媒体になって災いが起きたのかということ

・初めの1ナイル川、2.蛙、3.ぶよについては、アロンが杖を用いた

・次に4.あぶ、5.疫病は主がなさった
 6.腫物はモーセとアロンが両手にあつめたすすをパロの目の前で、モーセが天に向けてまき散らしたの。すると腫物となった

・7.雹の時は、主は手を天に向けて差し伸ばせと言われたが、モーセは杖を天に向けて差し伸ばした。雹がやむようにするときは、両手を天に伸べ広げた
その後.8.いなごと、9.やみの時はモーセは手をエジプトの地の上に、また天に向かって差し伸ばしている。

私は口べたですと何度も主に言ったモーセが、主のみわざをするにおいて、だんだんに成長していることがわかった。
アロンが杖を指し伸ばすことからーーモーセに助けられる
主ご自身がなされーー主から信頼を学ぶ
モーセが杖を使い
そして自分の両手を、     へブル語ではここでは複数で
今度は片手を指し伸ばしている ここでは単数なのかな・・と思う

モーセは回を重ねるごとに、主のみわざに信頼することにおいて成長している。

私達は、主を信じ受け入れて後、すべてを任せ委ね、すべてを聞き従う生活にすぐに変わるのではなくて、一歩一歩、必要な訓練が与えられて、成長していくものだと思った。
今月から、受洗1年目の姉妹との定期的な弟子訓練の学びを始めるにあたり、私は自分の思いであせっていたが、成長させてくださる主に委ねるようにと教えられた

自分で作った9種類の災いの表はブログに貼り付けることはできないのかな??


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カウンセリングより根本的な癒しを

2020-01-20 | 聖書研究
地域でクリスチャンの集会があることが教会で紹介されたので行って来た
恵みを期待して参加したのですが、何か、違和感が残ったので、その理由を考えた

①説教者の経歴の違いがあった
牧師の経歴をネットで経歴を調べてみた。
・何年か海外に滞在して博士号をとって帰国された先生。
・留学前と、帰国後合わせて、4箇所から5個所の教会を牧会されている。
・7神学校の先生などもしておられる。
・ボランティア活動も熱心にやっておられる。
一方、私の教会の牧師は、40年以上、連続講解説教をして牧会を続けている。
どんな経歴を辿って来たかによって、信仰の色合いに微妙な違いを生むものなのかと思った。

②旧約聖書から語られた
・エレミヤ哀歌3章19~33節から語られたが、前後関係も背景も言葉の意味の説明がなくて、感傷的な詩のような印象がした。
・私の教会では新約聖書から説教がなされているので、旧約聖書についての基礎的知識が不足しているのを感じた。

私が今まで聞いたことのない言葉が繰り返し語られた。
一方、イエス・キリスト、十字架、復活、再臨という言葉が全く語られなかった。
分断された悲しみ。分断された自分は統合することが難しい
・どんなに自分が分断されても神が生かしてくださる
・悲しみは年月がたてば深まるが、神はかさぶたで覆ってくださるので、悲しみに付き合って生きて行くことができる。
・痛み、悲しみが消えず深くなっている人々に宣教しケアーする働きをする、その私自身も神からのケアーを必要としている


ネットで調べると分断と統合とは、カウンセリング用語のようです。
この先生は、イエス・キリストの十字架と復活による救いメッセージを語ることで、罪が赦されて、悲しみも喜びに変えられる人生を歩むことを勧めるよりも
カウンセリングをして、痛み、悲しみにずっと寄り添って励ますことを目標にしておられるのかも知れません。


詩編119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
私は、かさぶたではなくて、内側からの根本的な癒しを求めます。

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一粒の麦の話 改訂版

2020-01-19 | 礼拝説教
20さて、祭りのとき礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシヤ人が幾人かいた。
21この人たちがガリラヤのベツサイダの人であるピリポのところに来て、「先生。イエスにお目にかかりたいのですが。」と言って頼んだ。
22ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポとは行って、イエスに話した。
23すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。
異邦人であるビリポとアンデレは勇気を出して、イエスに会いに行った。するとユダヤ人に伝道していたイエスは、異邦人にも同じ内容を伝えた。
私はごく短期的な流れ者のようにして教会に訪れたが、神はあわれんで、何年もかけて長期的に、永遠に神に仕える者に変えてくださった。

24まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
25自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
自分に預けらている財産、家族・親族までゆだね切って、命をも死んだものとするくらいに、神を優先して生きる。自分自信を愛することを控え、一粒の麦になる方向に進みたい。
私は実家も墓も売り渡し、実家からも子供達からも離れたところに住んでいます。神を優先する姿勢の現われです。

26わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。
神様が私を用いようと名前を呼んでおられるとき、「はい、ここにおります」と、すぐに従い仕えられるように、主がおられる所に、教会のすぐ近くに、いつも控えていたのです。

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