マタいの福音書6章25-30節から 思い煩うないでよいことを学んだ
6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
貯金や資産を持とうとするのは、衣食に不安を感じているから。でも衣食より前にいのちのこと、からだのことを考えるなら、それは衣食より大事なもの。
いのち、からだは神が直接支配している。養ってくださっているので、衣食について心配することは無用。そのことを26-30節まで例を上げて説明しています。
6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
いのちについて考えます。空の鳥すら養っていのちを生きるようにしている天の父は、神にかたちに似せて特別に創造した人間を養わないはずがない。全く神に信頼する者を神は必ず養ってくださいます。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
私たちのいのちは生きるも死ぬも神の御手の中にあり、私たちにはどんなに心配しても伸ばすことも短くすることもできません。
6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
次にからだについて、野の花ゆりを考えます。苦労して働くこともしないし、紡ぐこともしていません。しかし、その美しさはソロモンの衣装より美しい。
このことは神創造主を知る人には全く否定できない真実であるのに、クリスチャンもこの世の人と同じように心配している。その理由は神に対する信仰、信頼が薄いからである。イエスはそんな不信仰を喜ばれない。
6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
空の鳥と野のゆりの例を具体的に示した後、もういちどここで、25節の命令、教え、心配するなと繰り返す。
6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
異邦人、神を知らない人々は、神が養って下さることを知らないので切に求めている。しかし、クリスチャンは心配する必要がない。天の父は私達が必要としているものをすべてをご存知ですから、
6:11の主の祈りにあるように「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」祈りつつ、祈りが聞かれることを喜んで日々生活すれば良い。
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
まず第一に求めるのは 6:10の主の祈りにあるように、「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。」ということです。
自分にとって良いことではなくて、神が正しいとすることを実行しようとすること。神のみこころに従って、この世の悪しき霊の働きと戦って、神の国、神の支配を実現するために、永遠の残るもののために仕えることを熱心に求めているなら、他の必要なことはすべておまけについてくる。実際に献身者が経験していることです。
6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
全地全能の神に一切を委ね任せる人生には、心配、憂い、思い煩いはない。日々、神が与えて下さることを、たといそれが苦労であっても忍耐して、喜んで受けてその日を過ごせば良い。
明日は明日で、また与えられものを喜んで受ければ良い。先のことまで取り越し苦労をする必要はなったくない。